「わたしは、神が不公平な方ではなく、どの国民でも、神を恐れ、義を行う人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります。」(使徒10:34,35)
昔、エホバ神は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるイスラエル人をご自分の民として、特別に優遇されたことがありました。生来のイスラエル人は、生まれつき神との恵まれた関係を持っていました。さまざまな特権は、イスラエル人に差し伸べられました。
しかし、今日、状況は異なっています。エホバは特定の国家を優遇されません。それはどのように分かるのでしょうか。事態の変転が起きたのは、西暦36年のことです。カエサレアにコルネリオという名の人がいました。イタリア隊と呼ばれる部隊の士官であり、生来のイスラエル人ではありませんでした。おそらくイタリア出身の人だったのでしょう。
コルネリオは、自分の家の者たちすべてと共に神を恐れ、民に憐れみの施しを多く行ない、絶えず神に祈願をささげていました。(使徒10:1,2)コルネリオは、生来のイスラエル人ではありませんでしたが、神を恐れて神の恵みを祈り求めていました。エホバ神は、生来のイスラエル人ではない、コルネリオをどのように扱われるでしょうか。
ある日、彼は幻の中で、エホバのみ使いからお告げがありました。み使いは「あなたの祈りと憐れみの施しとは記念として神のみ前に上りました。」と述べ、人を遣わしてヨッパにいるペテロを呼ぶようにと指示を与えました。(使徒10:4,5)
コルネリオが遣わした人がヨッパに近づいた頃、ペテロは屋上にいました。その時、ペテロは非常に空腹になり、何か食べたくなりました。そして、彼はこうこつとした状態になり、天から一枚の大きな亜麻布がその四隅を持って地上に降ろされるかのように下ってくるのを見ました。そして、その中には、地のあらゆる動物や、天の鳥がいました。モーセの律法によると、それらは汚れた食べてはいけない動物です。
そして、「ペテロ、ほふって食べなさい。」という声がしました。しかし、ペテロは、「いえ、それはできません。主よ。わたしはいまだかつて汚れたものや清くないものを何も食べたことがないからです。」と答えました。すると、その声は、「あなたは、神が清めたものを汚れていると呼んではならない。」と言いました。そして、こうしたことが三度起こりました。
ペテロは、自分の見た幻は何を意味するのだろうかと考えていたところ、コルネリオから派遣された人たちがペテロを訪ねてきました。ペテロは、聖霊によって「彼らと一緒に行きなさい。わたしが彼らを遣わしたのですから。」と言うのを聞きました。それで、次の日、ペテロと幾人かの兄弟たちは、彼らと一緒にカエサレアに行きました。
コルネリオは、自分の親族や親しい友人たちを呼び集めて彼らを待ち受けていました。ペテロが入ると、コルネリオは、ペテロの足元にひれ伏して敬意をささげました。しかし、ペテロは、「立ちなさい。私も人間です。」と言って、コルネリオの身を起こしました。
そして、ペテロは集まっている人々に話しました。ユダヤ人にとっては、別の人種の人々と一緒になったり近づきになったりするのが許されないとペテロは、考えていたことを言い表しました。しかし、「神は、何人をも、汚れているとか清くないとか呼ぶべきでないことをわたしにお示しになりました。」とペテロは述べました。(使徒10:28)ペテロは、自分が見た幻は、そういう意味だと判断しました。
そして、「わたしは、神が不公平な方ではなく、どの国民でも、神を恐れ、義を行う人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります。」と言います。そして、ペテロは彼らにイエス・キリストについての良いたよりを宣明しました。(使徒10:28,34,35)
ペテロが話しているうちに、神は、話を聞いている人々に聖霊を送られ、その証拠に彼らはいろいろな国語で話し始めました。ペテロと一緒に来ていたユダヤ人の弟子たちは驚きました。(使徒10:44~46)彼らは、エホバ神はユダヤ人だけに恵みをお与えになると考えていたからです。
すでに西暦33年のペンテコステの日以降、神は、ユダヤ人のイエスの弟子たちに聖霊を注がれ、その証拠に彼らは、いろいろな国語で話すことができるようになっていました。ユダヤ人のイエスの弟子たちに聖霊が注がれたことは、神の恵みと是認の証拠でした。ユダヤ人の弟子たちは、そうした神の恵みと是認は、ユダヤ人だけに差し伸べられると考えていました。
しかし、ペテロが見た幻やコルネリオやその家族や知人に起きた事柄は、エホバ神は単にユダヤ人だけを優遇されないこと、非イスラエル人にも公平にイエスの弟子になるという特権を差し伸べられることを示しています。エホバ神は、どの特定の国家の人々を他の国家の人々よりもすぐれているとか、重要であるという見方はされないことが分かります。
今日、ユダヤ人が生来神に優遇されるということはありません。また、キリスト教の国家であるとしてある国家が優遇されるようなこともありません。特定の国家に特権を差し伸べて戦いに勝利するよう助けるということもありません。天的な希望も地的な希望も、どの国民の個々の人々にも差し伸べられます。エホバは、どの国民でも、神を恐れ義を行なう人を公平に扱ってくださいます。
私たちもどの国民の中にも、神を恐れ義を行なう人がいることを認めて、エホバ神にみならってどの国民でも、特別視したり、見下げたりすることなく公平に接するようにしましょう。
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