皆さんもご経験あるかと思いますが、私はクリスチャンになる前に度々「神に守られている」「神に祝福されている」と感じる事がありました。そのひとつのお話しをさせていただきます。
アメリカ合衆国に興味を持ったきっかけは私のいた学校に留学生として来ていたアメリカ人の元夫と出逢ったからですが、当時彼は日本語は全く話さない、また高校を出た後19歳で日本の高校に留学をするのは異例で、しかし校長の知り合いの紹介という事で例外的に受け入れられた留学生でした。
学校は創始者の意思で基督教を基としていました。しかし、当時の私には未信者に対して閉鎖的な宗教でクリスチャンには絶対ならないと思わせる学校でした。
ある日知り合いのクリスチャンが自分の家にアメリカ人の英語の教師や留学生を招待しているので英語の話せる私に来て欲しいと言われそこで初めて彼に会いました。
この学校に行かなければ、また彼が妹の経験を聞いて日本に興味を持たなかったら、彼のagentが学校の校長と知り合いでなかったらありえない状況での出会いでした。しかし、全て神のご計画であったと思います。
この彼によって「唯一絶対の神」でなければばらないことを伝えられ、そこから真剣に神を探す旅が始まりました。
神は全ての人にクリスチャンになる前からさまざまな方法を通して語られています。
彼が米国へ戻る際にアメリカへ来て欲しいと言われ会いに行く約束をし、それまで国内旅行も一人でしたことはなく、海外に一度も行った事のない私でしたが自分で航空券を準備して全く未知の国へ出発しました。
その頃は成田へ行くのはかなり困難で時間がかかり、しかも初めてのことで乗り換え時間が短いことや雨のせいで渋滞が起こり乗り遅れるところを航空会社の方の計らいで特別な車に乗せられ飛行機にギリギリ間に合って出発することになりました。
国際線の飛行機に乗るのは初めての事で、ずっと大人しくしてないといけないのかなとか今では考えられませんが、何時間も飲み物も頼めずひたすら黙って座っているような状態でした。
成田から直行便でSeattle Tacoma 空港に到着後、最終目的地までは乗り換えなければならずそこに彼が迎えに来るはずだったのが電話をするとお母さんが州を跨ぐ運転は危ないから行くなと言って止めたから迎えに行けないと言われました。
人見知りだったので見知らぬ人に声をかける事などできず足早に歩く人に聞くこともできず、空港で乗り換えのサインを探すしかないと思いましたが見回しても当時のTacoma空港にはサインなどが全く見当たらず、案内板も案内人もない状態でした。(現在は標識も道順案内も案内の人もいます)
降り立った場所は鉄の壁に囲まれていてどうやって乗り換えるのかわからず取り敢えず「外に出ればサインがあるかも」と考えて狭い昇りエスカレーターに乗った瞬間、その狭いエスカレーターに二人の白人男性が押し込むように私の横に乗ってきて一人に両腕を掴まれ、もう一人にスーツケースを取られ「誘拐される」とわかったので周りを見回し、私のすぐ後ろの白人の老婦人が声をかけてくれないか目で合図しても逃げなさいの手振りだけで助けてくれません。
そこでその長いエスカレーターのトップに後少しで到着する、というところで考えが浮かびました。
「一人が車をとりに行く隙に荷物を取り返して下のエスカレーターに飛びうつり逃げる」です。
すると私のスーツケースを持った一人が車を取りに行くと連れに身振りをして私のスーツケースを床に置いたのです。
その瞬間、「いまだ!」と思い掴まれている腕を思いっきり振りほどき床に置かれたスーツケースを掴み、丁寧に「こっちに行くから」と挨拶をして下りのエスカレーターに飛び乗り、大きなスーツケースを持って逃げました。
しかしその後も乗り換えが全くわからないし、そのまま鉄の壁の前にいると、突然その壁が開きそこは電車の入り口でした。
何もわからないでもとにかくこれしか方法がない、また次にいつ来るかわからないと思い飛び乗りました。
そこでどうやって自分の降りる場所を決めたかと言うと沢山の人の中に一人の女性を見つけ「彼女の後を3回ついていく」という思いがわき、3回彼女の後をついて乗り換えをした後、4回目に彼女が出て行く時には後を追わずに次の駅で降りるという考えが浮かびました。ドアが開き降りてみるとそこに目的地までいく乗るべき飛行機の搭乗口がありました。
そこから外に行き、小さな飛行機に乗りかえて目的地に到着し、迎えにきてくれた車の中で夕日に染まる真っ直ぐな地平線を見た瞬間、
「この地は神が作られた」とはっきりわかりました。
それまでは神様がいることは子供の頃から感じていました。しかし「この神」だとはわかっていませんでした。そしてこの瞬間この世を創造した神の存在を確信しました。
ここで述べているのは「無謀な旅をしなさい」というのではありません。
神が私たちに語られていること、また神に近づこうとすると、それを阻む力も現れてくること、その上で神はこの世にすでに勝利されているという確信を持って神の声に聞き従うと必ず守られることを知ることができます。「恐れ」「不安」「後悔」や「未来を覗こう」とすること「怒り」「他人や自分自身への負の感情」など全て「幸せでない感情」は悪の語りかけでありそれを聞いてしまうのは神への不信仰になります。そのような感情が起こった時には即「罪の赦し」を祈って神の平安を受けてください。そして赦された確信を信仰で受け取ると全くの平安が与えられます。
そう思うと今後の人生には何も心配がなくなります。
どうぞ「全て」を委ね神のみ手があなたと共に「いつも」あることを信仰で受け取ってください。全てを神に委ねた時に神が大きな恵を見せてくださいます。
人はよく「ここまでは自分の力でしよう」と思いますが、生活の中での出来事の「全て」を神に委ね、信仰で受け取って歩むと私たちの想像を超える神の大いな恵を受けることが容易になります。
なんでも自分でするのではなく、神様に働く隙間を与えて見てください。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
箴言 3:5 JA1955
私たちは「何もできない」小さな存在です。そして神に全てを委ねた時、神は人を通して多くの人に働かれます。
神の通り良きくだとして毎日聖霊の充しを祈りましょう。
(LL)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.