種蒔きと刈り取り」
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、”
種蒔きと刈り取り”について考えてみました。
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。(2コリント9:)これはコリント人への第二の手紙9章節の御言葉です。ここに記されているように、神は、しばしば与えることを種まきと比べられます。農夫のように、出て行ってたくさんの種をまけば、たくさんの収穫を得ますが、もし少ししか蒔かなければ、少しの収穫しかなく、まったく蒔かなければ、何の収穫もないのです。どの農夫も、種まきを支出と考えたりはしません。彼らはそれを投資とみなします。彼らは、種を買わなければ収穫もないということを知っています。農夫たちが種を蒔くとき、彼らは興奮と期待をもってそれを蒔きます。彼らは、一粒のとうもろこしの種を地に蒔くと、たくさんの実の付いたとうもろこしになるのを信じているからです。ですから、彼らは収穫を楽しみにして種を蒔くのです。聖書は、種まきと刈り取りについて三つの事を言っています。
1.人は自分の蒔いたものを刈り取るもしあなたが批判の言葉を蒔くなら、人々はあなたを批判するようになります。もしうわさ話を蒔けば、人々はあなたのうわさをするようになります。人生において、あなたが何を蒔こうが、必ずあなたは自分の蒔いたものを刈り取ることになるのです。しかし嬉しい知らせは、この原理が否定的な事柄だけでなく、肯定的な事柄においても同様に当てはまるということです。つまり、もしあなたが祝福を蒔けば祝福を刈り取り、喜びを蒔けば喜びを刈り取り、愛を蒔けば愛を刈り取るのです。(真実な愛は時には厳しさを装う場合もありますが・・・)
2.人は常に蒔いた以上のものを刈り取る一粒のとうもろこしの種を地に蒔いた農夫は、やがて100~200粒の実のついたとうもろこしを何本も得ることになります。あなたが蒔くものもまた同じです。
3.人は常に蒔いた時と違う時に刈り取るある季節に蒔いたものは、別の季節に刈り取りをします。もしあなたが今日種を蒔いて、明日それを掘り起こしてみても、何も変わっていません。しかし、しばらくそのままにしておけば、やがて成長し実を結びます。それが神の経済における待つ必要に対する信仰の部分です。あなたは自分の人生に、どれくらい大きな収穫を望まれますか?神はこう言われます。「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」(マタイ9:29)
今日の一言: 与えることは支出ではなく霊的投資である鶴田健次
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