折々の言 15 私語のない中学校のこと1

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

工藤 信夫
平安女学院大学教授 精神科医

 一、一つの経験

 最近「全く私語のない講演会」、しかもその対象は「五、六百人の中学生とその保護者」というおもしろい経験をしたので、今回はそのことを記してみたいと思う。

 私が、講演会であれ、伝道集会であれ、そこで何が語られるかは、そこに集まってくる人々つまり聞き手の態度や聞く能力によって大きく左右されることに気づいたのは、もう20年も前のことであった。

 『人を知り人を生かす』(1981年 いのちのことば社)の「独語か対話か」という項目の中に、私はすでに次のようなことを書いている。

 「多くの奉仕から、現在確信しつつあることは、集会の成功は、聴く側の信仰と語る側の霊性に深くかかわっており、この両者の間には、重要な相互性があるにちがいないということです」(158頁)

 しかし、現実には年を追うごとに、聞き手の態度には失望させられることが多くなってきているように思う。

 例えば、「私語」という問題がある。

 北陸の歴史ある幼稚園で、三列目あたりに座っていた若い母親が、人の話にお構いなしに声高に10分も20分も私語するので、外に出てもらったのが15年程前。九州のミッションスクールで「オ~イ、その辺うるさいぞ!」と壇上から叫んだのが10年前、この勢いは一向に止まらず、ここ数年は「学級崩壊」という言葉をよく耳にする。

 2、3年前確か若手の落語家が大学の教壇に立ったところ、前期は私語で授業らしい授業はできず、後期は急に私語がなくなったと思いきや、その理由は、学生が一斉にメールを打ち始めたための静けさであったという話を聞いたことがある。

 いずこの大学の教師も苦労しているらしい。(と言っても、一人ひとりの学生に直接会ってみると、概して率直であり、それがひどく教師を苦しめたり、大いに学ぶ気持のある級友に迷惑になっているとは気づいていないらしいので、よけいに驚く。)

 そんなわけで、最近の私は講演会や集会は安易に引き受けないことにしているので、公立中学校でそんな体験に恵まれたことに、ことの外、驚いてしまったのである。

 二、混乱と努力

 ところで私の興味を引いたのは、どうしてこの中学がこうなったのかということであった。

 この点、私を呼んだその学校のPTA会長は、その地域の牧師先生であったが、次のように説明して下さった。「実は○○中学というと、数年前までは県下有数の荒れた学校として知れ渡った所でした。授業が成り立たない。校舎を自転車が走り回る。体育館を掃除すれば、タバコの吸い殻がバケツ二杯分……。生徒も、教師も全く自信を失っていました。……荒れる要因の一つは急激な人口増加に伴う都市化の波の中で、不安定要素が増え、学校も荒れていったと思います。しかし、ある時から学校と地域が一体になり対話と討議を重ねて、千人いた学校を二つに分け、教師も一丸となって生徒一人ひとりの気持ちを汲み、寄り添って近づこうと努力しました。そして、生徒に自信、誇りを持たせようと努力しました。それに授業を色々工夫して。また、『秋の音楽祭』には全校でドイツ語で『第九』を歌って連帯感を深めるようにしました」。

 さらにもう一言私の注目を引いたのは、次の校長のお話であった。

 「生徒たちには『聞くこと』に集中させたのです。講師の先生の顔をまっすぐに見て、とにかく聞き入ることに注意を集中せよ』と」。

 確かにそうである。子供たちは、一心に私の方を向いて話を聞いている。

 三、「聞く力」のもたらすもの

 一か月後、私のもとに、何通かの感想文が届けられた。私が感心したのは一年生の次の文章である。

 工藤信夫先生のお話を聞いて

 先生は、「たいせつなきみ」という演題でお話をしてくださいました。お話の中で、(成績という一つのものさしで人を評価する)学校に行ったために自信を失って、人間としてダメになってしまう人がいることを聞いて、私はとてもびっくりしました。

 私にとって学校とは知識を吸収できる場所であり、何でも話せる友達と会える、大切な場所です。でも、その学校に来ることで自分をダメにしてしまう人がいるなんて、私は本当にびっくりしました。

 また先生は、お話の中でこんなことも言っていました。「コンプレックスもまたその人の財産になることがある」。

 私は、そうなのかなぁと疑問をもちました。でも、手塚治虫さんがコンプレックスを自分の力に変えて、すっごく頑張っていたことを先生のお話で知って、コンプレックスは自分の財産になることもあるんだと思いました。

 工藤先生は、『落第のない学校』という本を書いたグラッサー博士の事も、話してくれました。博士は、学校という所は(本来)子どもの自信を奪う場所ではなく、子どもに自信を与える場所だと言っています。(工藤信夫著『心の風景』36頁 いのちのことば社)子どもは大人に決められた目標に向かうのではなく、自分で物事を決め、責任をもって行動しなければいけないと、思いました。

 今日の講演で一番、印象に残った言葉は、「Best oneからOnly oneへ」という所で、皆の中で一番になるのもとても大切なことだけど、自分にしかできないことを見つけることは、本当にすごいことなんだなぁと思いました。

 四、中学生の感性と大人の責任

 読んでビックリしたのは、私である。中学一年生というのに、実に簡潔にまた分かりやすく、話の要点を捕らえ、大人顔負けの文章を彼らは書いているのである。

 私はふと、こんなことを思った。人間の感性というものは、大人よりも子供の方が、純粋で本質的なものを捕らえるのではないだろうか。そしてそれゆえにまた、大人の責任というのは重大であろうと。

 ちなみに、その日宿で聞いたラジオの中で、女優の岸恵子さんがこんなことを述べていた。

 「見苦しい景色、環境の中で育っている子供たちというものは、きっと夢のない未来を生きることになるのではないかと、私は心配です」と。

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