伝道の三要素

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「伝道の三要素」

秋葉正二
詩編 135,1-3;

 パウロはひと言で表現するとキリスト教をつくった人物だと言われます。 そのパウロにそのような働きをさせるために送り出し、支えた教会がシリアのアンティオキア教会です。 きょうのテキストは、原始教会の中でも傑出した働きをしたアンティオキア教会の成立を伝えています。

 使徒言行録の叙述は、この前の部分までエルサレム教会を軸に進められてきたのですが、アンティオキア教会の成立は、使徒言行録の叙述を新しいステップへと導いています。 アンティオキアは、アレキサンダー大王のブレーンであったセレウコスが大王の死後、その統治を引き継ぎ、建設した新しい都会です。 セレウコス王朝の首都とされ、ローマ帝国の支配下でもシリア州の首都として総督が駐在しました。 当時ローマ、アレキサンドリアに次いで人口80万人を抱える三番目のマンモス国際都市です。 住民の多くはシリア人ですが、次いで多いのがギリシャ人です。 文化的には圧倒的にヘレニズム影響下と言えます。

 ローマ支配下になってからはかなりのローマ人も居留して、ラテン文化も進みました。 セレウコスが政策上ユダヤ人の植民を奨励したので、ユダヤ人社会も形成されていたのです。 地理的に見ても、ギリシャ文明がシリア砂漠に接する所ですから、いわばヨーロッパとアジアの合流点です。 こういう場所に建てられた教会ですから、アンティオキア教会には、自由で開放的な国際精神が横溢していたことでしょう。 ですから、この教会が異邦人伝道の拠点になったのは、決して偶然ではありません。

 エルサレム教会の最初の伝道対象は内外のユダヤ人でした。 ペトロたちの話す言葉はヘブル語ですから、ヘブル語を話すユダヤ人(ヘブライスト)が対象になったのは当然でしょう。 しかし外に出ていた離散のユダヤ人ディアスポラや、外から来たユダヤ人たちはギリシャ語を話しましたので、徐々に伝道対象はギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)へと広がっていったのもまた自然です。 ペトロたちはやがてエルサレムで迫害されるようになり、19節にあるように、フェニキア・キプロス・アンティオキアまで伝道圏が広がっていきました。 アンティオキア伝道のきっかけは、20節にあるように、キプロス人とキレネ人の活躍です。

 彼らはギリシャ人にも呼びかけて主イエスを伝え始めました。 彼らは専門的訓練を受けた伝道の専門家ではありませんから、ギリシャ人に呼びかける新しい方法を知っていたわけではないでしょう。 実直にイエスさまの教訓や奇跡や十字架・復活を語りました。 21節の『主がこの人々を助けられたので』というのは、そういう意味です。 その結果、アンティオキア教会で信仰に入る人が増え、それを聞いたエルサレム教会は、バルナバをアンティオキアに派遣しました。

 バルナバは4章36節によれば、キプロス生まれのレビ人です。 23-24節にはバルナバの人となりや行動が記されています。 まず第1点。 アンティオキアの教会に到着して、バルナバは先ず、『神の恵みが与えられた有様を見て喜』(23a)んでいます。 これはアンティオキアの教会に聖霊が働いていることをすぐに直感した、ということでしょう。 バルナバは聖霊のあることを知り、またそれを経験していたのですぐに分かったのです。

 次に第2点。 教会の人たちに、『固い決心をもって主から離れることのないように』(23b)と勧めています。 どんな時にもイエス・キリストによって神を信じる信仰を失わないように、と強くアドバイスもしています。 そして第3点。 24節に『バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた』とあります。 「立派な人」(アネール アガソス)とありますが、この言葉は単純に訳せば、「良い人」(good man)ですが、「立派な人、アガソスな人」と訳されている語アガソスには、単純に「良い」というだけでなく、「寛容な」という意味もあり、この意味をも込めてルカは「立派な人」と言っていると思われます。

 バルナバの特徴を表す以上の3点は、伝道に必要な3点でもあります。 皆さんは「そんな~、バルナバのようにはとても慣れないよ~」と思われるかもしれませんが、福音を伝える者の一人として、私たちの最後の自己研鑽目標はここに置かなければならないでしょう。

 さて、バルナバがアンティオキアに来たことによって、目覚ましい進展を遂げたアンティオキア教会は、さらに新しい指導者を必要とするようになります。 そこでバルナバは、かつてあのエルサレムで使徒たちに紹介し、その力量をよく理解していたパウロをタルソスへ探しに行き、見つけ出してアンティオキアに連れて来ました。 パウロが故郷タルソスを足場にして小アジアで伝道活動をしていたことを耳にしたのかもしれません。 バルナバはパウロが異邦人伝道の器として並々ならぬ力量を備えていることを忘れてはいませんでした。 「パウロのような人物を異邦人伝道に活用しなかったら、一体どこで活用するというのだ」というのがバルナバの気持ちだったに違いありません。

 この時のバルナバの行動をキリスト教の歴史はもっと大きく取り上げてもよいと思います。 よき器も、それを見抜く人がいなければ埋もれます。 バルナバとパウロの出会いは、間違いなく神さまの備えたレールだったと私は思っています。 26節によりますと、二人は丸一年の間、一緒に活動し、多くの人を教えました。 これは並みの人にできる業ではありません。 バルナバには変な私心などなく、神さまの恵みを見て、心から喜べる、そういう人であったからこそ、神さまは彼にパウロを引き会わせたと思います。

 26節にはもう一つのことが書かれています。 それはアンティオキアにおいて、初めて弟子たちがキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになったことです。 ギリシャ語では、複数形でクリスティアノイという語ですが、この言葉はクリストス(キリスト)に語尾がついてできた言葉です。 ヘロデ派と訳されているヘローディアノイに倣えば、キリスト派と訳してもよい言葉です。 教会外の人々がアンティオキア教会の人たちをクリスティアノイ、即ちクリスチャンと呼んだのです。 あまりに熱心にキリストを宣べ伝えたので、いわばあだ名のようにクリスチャンと呼んだのです。

 エルサレム教会では最初のうち、クリスチャンたちはユダヤ教徒と一緒に神殿で礼拝を守っていました。 その様子は5章に書かれています。 ですからエルサレムでは、教会は発足当時、ユダヤ教の一派だろうくらいに思われていたのです。 それに比べると、アンティオキアではユダヤ教徒とはまったく違う教会が形成されたと言えます。 26節には『この教会に』という表現がありますが、これは異邦人のクリスチャンの群れに初めて「教会」(エクレシア)という言葉が使われた例でもあります。

 さて、最後に27節以下です。 ローマ皇帝のクラウディオスの時代に、エルサレムでは飢饉があったようです。 『世界中に』と書いてありますが、ローマ帝国全域というよりはパレスティナ全土という意味でしょう。 とにかく、これを預言したのが、エルサレムからアンティオキアに来たアガボという人物でした。 当時はこうした預言者がいたようです。 歴史的には紀41-45年にかけての出来事です。 その時、アンティオキア教会の人たちは、それぞれ力に応じて、ユダヤ地方に住んでいる信徒たちに援助を送ることを決めました。 それをバルナバとパウロに託して、エルサレム教会の長老たちに送り届けたのです。 

 信仰が生き生きと脈打っている時には、こうした血の通った業が当たり前のように生まれます。 歴史家ヨセフスが書いた「ユダヤ古代史」という本がありますが(邦訳あり)、それには紀元46-47年頃、パレスティナはひどい飢饉に見舞われ、47-48年の安息年と重なって一層悪化したと記されています。 パウロが後に異邦人教会でエルサレム教会へ献金を送ったのは(Iコリント16,1-4等)、この時のことを参考にしたのかもしれません。

 ともあれ、国際色豊かなアンティオキア教会から私たちはたくさんのことを学べると思います。 私たちの暮らす21世紀、教会は国や民族の枠組みを超えて世界中に存在しています。 私は外キ協(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会) という組織の事務局長をもう十数年も務めているのですが、日本の教会はまだまだ教会が国際色豊かな群れであるという意識が希薄だと感じています。

 カトリック教会は外国人信徒数が邦人信徒数を既に上回っていますから、割合熱心に外国人の人権を守ることに積極的に取り組んでいますが、プロテスタント教会はまだ非常にお粗末です。 教会は世界宣教の拠点であるという自覚をもう少し持ちたいものです。 またアンティオキア教会のたくましい成長ぶりを示されると少々羨ましくなりますが、教会の伝道的成果について言えば、その鍵は当該教会の霊的生命のいかんにかかっていることが分かります。 教会は霊的にたくましくなれば、自然と新しい宣教のページが開かれます。 神さまがその教会を放っておかれるはずはないからです。 私たちの代々木上原教会もそうありたいと願って、祈ります。


 
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