「主が来られる時まで」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・12・5

「主が来られる時まで」

村上 伸
ヨブ記 42,1-6 ;ヤコブの手紙 5,7-11

先週の特別音楽礼拝で、まことに喜ばしい、祝福された幕開けを迎えた今年のアドヴェントも、蝋燭が二本ともって第二週を迎えた。だが、正にこの喜ばしい時に、訃報が相次いでいる。

深見さん昇天の知らせは、先週の礼拝の開始直前にもたらされた。今週の土曜日にはこの教会堂で告別式が行われることになっており、その準備をしている矢先、今度は3日(金)の午前4時に加藤勇さんが召されたという知らせが入った。慌ただしくそれに対応し、昨日の夕方6時からご自宅付近の式場で前夜式を執り行い、今日はこの礼拝が終わった後、午後2時から同じ式場で葬儀を営むことになっている。

いつかはこういう日も来ると覚悟はしていたが、一週間の間に二人の大切な兄弟を失って、私はいささか打ちひしがれている。

 

だが、実はここにこそアドヴェントの意味があるのではないか。

せっかく待降節の喜ばしい時を楽しく過ごそうと思っている矢先に、親しい人々の死を告げる悲しい知らせが来た、と私たちは暗い気持ちになって考えているかもしれない。だが、それでは順序が逆なのだ。

人生には悲しいことや、気持ちが暗くなるようなことが沢山あるが、その中に主イエスがお出でになる! そのように考えなければならない。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ 4,16)。

その意味で、今日の説教テキストにヤコブ書5,7-11が選ばれているのは、神の恵みという他はない。

 

「アドヴェント」というのは、元々、「近づいている」とか、「到着する」という意味のラテン語である。重大なこと・決定的なことはまだ起こってはいない。それはこれから来る。我々の生活の中に、やがてそのような重大なこと・決定的なこと、現在の我々にとっては裁きを意味するかもしれないが、根本的には救いであるような事が起こるであろう。それを待ちながら我々は生活する。

「主が来られる時まで忍耐しなさい」(7)とヤコブは言う。

これを書いた時、ヤコブは貧しい農夫たちのことを念頭においていたであろう、と注解者は言う。今日食べる物にも事欠くような貧しさの中で、これだけは手をつけずに取っておいた種を蒔く。汗水流して働いて、やるべきことをやった後は、秋の雨と春の雨が降って穂が実るまで、農夫たちはじっと忍耐して待っている。

現在の貧しさは最終的な結論ではない。その後で来るべきものがある。主が来られる!神の恵みの光が暗闇に住む民の中に、死の陰の地に住む者の中に射し込んで来る。その時がやがて来る。主が来られる。苦しみを通って喜びへ。闇から光へ。この方向を、聖書は指し示す。「夕べがあり、朝があった」(創世記1,5)と言われているのも、そのことと関係があるかもしれない。

 

我々は、普通、逆の方向で考える。今は良くても段々悪くなるというように。確かに、体験から割り出すと、そういう結論になるだろう。

コヘレトの言葉 12,3-7に、気が滅入るような調子で語られているように、手足が震え、腰が曲がり、歯は欠け、視力は衰える(3)。耳は遠くなり、眠りも浅くなり、声にも力がなくなる(4)。道を歩いていても転びやすくなる(5)。これらは皆、私自身に取っても思い当たることばかりだ。若い時の溢れるような元気はもうないし、身体の機能も衰えてきた。記憶力も昔のようではない。そして、最後には確実に死がやってくる。―――これは人類にとって共通の経験である。

聖書はこのような体験的な事実から目を背けたりはしない。

私は弱い人間であって、例えば手術の後のざっくりと口を開けた傷口を直視することはなかなかできない。思わず目をつぶってしまう。だが、聖書は、そのような人間の現実を真っ正面から直視するようなことをやっている。今引用したコヘレトの言葉もそれだ。

「今は良くても段々悪くなる」という事実。聖書はそこから目を背けない。それを直視した上で、聖書はその根っこの所にある、我々の目にはしばしば隠されている真実を掘り出す。我々が見ていること・聞いていること・手で触って確認していること・体験によって確かに知っていると信じていること―――それらを聖書は否定しない。しかし、我々が体験的に割り出している事実がすべてではない、と言う。それらは最後の言葉ではない、というのである。

最後の言葉は、神が持っている。「主が来られる」というのはそういう意味だ。

ヨブは口に言いつくすことのできないような苦難を受け、彼の妻は「神を呪って死ぬ方がましだ」(2,9)と結論を出したが、それでも神が最後に何と言われるか、そのことを待っていた。「ヨブの忍耐」(11)とはそのことであり、最後に彼は「御旨の成就」(42,2)を信じることができたのである。

アドヴェントとは、そのことを学ぶ時なのだ。



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