「あなたの信仰があなたを救った」(4)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

(その1 その2 その3)

前回の投稿では、ルカ福音書における「信仰」の概念は、ローマ帝国や旧約聖書における「信仰(あるいは信頼)」の概念とつながるものであることを見ました。イエスに対するクリスチャンの「信仰」は、ローマ皇帝が臣民に対して要求した「信頼(忠誠)」と同様のものとして考えることができます。しかし、イエスに対する「信仰」と、皇帝に対する「信頼」とは異なる側面もあります。今回は、両者の間の連続性ではなくて非連続性の側面について見ていきたいと思います。その再注目するのは、ルカがイエスをどのような種類の「王」として描いているか、ということです。

王なるイエスに対する「信頼」

このことが非常に示唆に富む形で表されているのは、ルカ22章1-62節おける、最後の晩餐とそれに続くできごとの記述です。この箇所ではイエスと弟子たちの間の信頼とともに、「信頼」の反対概念としての「裏切り」の主題が重要な役割を演じています。

冒頭でルカは、イスカリオテのユダがイエスを裏切ろうとする計画について述べています(3-6節)。イエスは最後の晩餐の席で、自らを裏切る者の存在について語り(21-22節)、弟子たちはその裏切り者は誰かと議論を始めます(23節)。その後イエスはペテロの裏切りについて予告します(31-34節)が、その間に、神の国における王権のあり方についての議論(24-33節)が置かれているのです。一見すると、この王権についての議論は裏切りについての議論を中断する不自然な逸脱のように思われますが、「王なるイエスに対する信頼」という視点からこの箇所を読むならば、首尾一貫した論理の展開を見いだすことが可能なのです。

最後の晩餐
(By Andrey Mironov via Wikimedia Commons)

イエスは最後の晩餐において、弟子たちのために犠牲とする自らのからだと血の象徴としてパンとぶどう酒を彼らに与えます。これはイエスの弟子たちに対する「真実」(「信仰」と訳されることの多いピスティスはこのようにも訳せます)のあらわれと見ることができます。しかしイエスの真実に対して、これを裏切る者が存在することが語られるのです(21-22節)。

「しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。

その後、弟子たちの間に誰が偉いかという議論が持ち上がり(24節)、それに対してイエスはこの世の支配のあり方(支配者が被支配者を力で押さえつける)とは反対に、神の国における「支配」のあり方は、上の者が下の者に仕えるという形で表されるのだと教えます(25-27節)。

それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。」

そして、29-30節における、終末における神の国の完成と、弟子たちに対する王権授与に関する教えも、このような神の支配の理解のもとに読まなければならないのです。

それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

つまり、世の終わりに弟子たちが王座に着いてイスラエルをさばくという約束は、彼らが他者に愛をもって仕えるという形で実現するのです。

さらに重要なのは、これらの議論の間に、弟子たちのイエスに対する信頼についての言及(「あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。」)が置かれていることです(28節)。弟子たちはこれまでイエスの側にとどまり、ともに試練に耐えてきました。彼らがイエスを裏切ることなく、イエスに信頼し続けるなら、終末におけるイエスの支配に参与することができるのです。

ここに、神の国における支配についての議論と、その前後にある裏切りについての議論とのつながりを見いだすことができます。弟子たちがイエスを裏切る誘惑に抗し、イエスへの信頼にとどまり続けるために必要なことは、神の国における権威の正しいあり方を理解することなのです。

さて、神の国における逆転した支配のあり方について教えた後、イエスはペテロに語りかけます。

「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰(ピスティス)がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。(31-32節)

ここでのピスティスを「ある命題に同意する心的態度」と理解したのでは意味が通りません。ペテロはイエスを否認したときも、イエスがキリストであるという確信がゆらいだわけではありませんでした。イエスを主であることを知りつつも、人々の前で彼を否定してしまったことで、ペテロは慚愧の念にとらわれるのです(62節)。したがって、ここで危機にさらされているのはペテロの「信念」ではなく、彼とイエスとの間の信頼関係、「忠誠」です。ここに登場する「あなたの信仰」は、これまで見てきた「あなたの信仰があなたを救った」という表現に出てくる「あなたの信仰」と同じ内容を持っています。ペテロの「信仰」がなくなることは、彼とイエスとの間の信頼関係が損なわれることであり、それゆえ彼が救いを失うことを意味しているのです。

ペテロの「信頼」は王なるメシアであるイエスに対するものです。しかし、ペテロがこの信頼を持ち続けるためには、イエスがどのような種類の王であるかを理解することがどうしても必要だったので、イエスは神の国の「支配」に関する誤解をあらかじめ解いておく必要がありました。まことの「ダビデの子」、イスラエルのメシアは、異邦人の王、とりわけローマ皇帝のように力で他者を支配する存在ではなく、愛をもって人々に仕える存在であり、そのために自らのいのちさえも与える存在です。しかし、イエスをこの世的な「王(メシア)」の視点で見るならば、イエスが捕らえられ、十字架につけられるというできごとは、そのような「王」に対するペテロの信頼(ピスティス)を失わせる要因となりえます。それがサタンによる誘惑であり(31節)、ユダも同じような誘惑に直面し、それに負けた(3節)と考えることが可能です。

このように見てくると、ルカの描く、王なるイエスに対する「信頼」は、ローマ皇帝に対する「信頼」とは似て非なるものであることが分かります。イエスの弟子たちは、力をもって上から支配するこの世的な存在ではなく、自己犠牲的な愛によって仕える「王」に対して信頼を持つ存在です。そのようなイエスに対する信頼が彼らの救いをもたらすのです。その意味でイエスに対するピスティスはローマ皇帝に対するフィデースへのアンチテーゼとなっているということができるでしょう。

まとめ

ルカ福音書における「信仰(ピスティス)」は、当時のローマ帝国における「信頼(ピスティス/フィデース)」の一般的概念のコンテクストの中に位置づけることができますが、両者の間には連続性と不連続性を見ることができます。キリスト教的なピスティスはより一般的なピスティス/フィデースと同様に、人格を持った存在同士の信頼関係に関わる概念であり、相手の人格に対する信頼、忠誠をあらわす概念です。これは単なる「信念」ではなく、具体的な行為によって表現される、相手へのコミットメントです。しかし、キリスト者のピスティスは王なるメシアであるイエスに向けられている点でユニークなものでした。

ルカにおいては、「信仰(ピスティス)」はイエスにおいて現された神の愛なる支配への正しい応答であり、それによってその支配が(いやしなどの形で)目に見える形で現れます。そして、その信仰は多様な人々(ユダヤ社会で疎外されている「罪人」や女性、異邦人など)に開かれており、人々がそれを行使するなら、イエスとの信頼関係に基づいて神の国に入ることができます。その意味で、ルカにとってのピスティスは「救いを与える信仰」なのです。

 

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