Q:カトリックやルーテルと、その他のプロテスタントでは、十戒の区分が異なりますが、なぜこのような相違が生じたのですか。また、行いではなく信仰によって救われるというキリストの福音がもたらされて以降の現代において、十戒はどのような位置づけにあると考えたらよいのでしょうか。
A:とても大切なご質問をお送りくださり、ありがとうございます。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、十戒の区分に関しては、意見の相違があります。
十戒が出て来る聖書箇所は、出エジプト記20:1~17と申命記5:6~21です。カトリック、ルーテル、その他のプロテスタントなど、すべて同じ聖書箇所を基に十戒を論じます。ただし、番号の付け方に若干の差があります。私はプロテスタントですので、その立場で説明します。プロテスタントは、①~④戒を神と人の関係、⑤~⑩戒を人と人の関係とします。それに対してカトリックは、①~③戒を神と人の関係、④~⑩戒を人と人の関係とします。違いは、第2戒の偶像を作ることの禁止令を、カトリックでは第1戒に含めることです。さらに、第10戒の貪欲の禁止令を、カトリックでは2つに分離し、隣人の妻を欲しがってはならないという命令を単独で第9戒とすることです。
2番目に、意見の相違は、どの伝統に従っているかの違いです。
プロテスタントが採用している十戒の区分は、大変古い伝統に基づくもので、ユダヤ教のタルムードとも合致します。カトリックが採用している十戒の区分は、アウグスチヌス(紀元4~5世紀)から始まっています。
いずれにしても、戒めを10に区分するのは、恐らく記憶のためであり、聖書がそう教えている訳ではありません。従って、どう区分するかで議論をしても、ほとんど意味がありません。
3番目に、十戒に関する誤解を解きましょう。
十戒は、行いによる救いを教えたものではありません。それは、恵みによってエジプトからの解放を経験したイスラエルの民に、いかに生きるべきかを教えたものです。旧約時代においても、救いは恵みと信仰によって与えられました。アブラハムの救いがそれを証明しています。本来、十戒を含めたモーセの律法は、契約の民イスラエルに与えられたもので、異邦人には無関係です。新約時代になると、モーセの律法は無効になり、新しくキリストの律法(愛の律法)が与えられました。私たちクリスチャンは、キリストの律法に従うように召されています。私たちが十戒を学ぶ理由は、第4戒(安息日の規定)を除いた9戒すべてが、キリストの律法でも登場するからです。
「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります」 (ガラテヤ6:2)
旧約時代も新約時代も、人は恵みと信仰によって救われます。
He is a cross pendant.
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Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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