解放の時が近い

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「解放の時が近い

 今日はアドヴェント第2主日。私たちは主イエスの誕生を待ち望む喜ばしい時の真只中にいる。それにしては、今日のために指定された福音書は余りに不吉だ。「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべも知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである(25-26)。だが、アドヴェントに、このような言葉を読むことにも深い意味がある。今朝はこのことについて話したい。

 そもそも「アドヴェントという言葉は、「到着するとか「接近するという意味のラテン語 advenio から来ている。主イエスの誕生を「救い主が到来した出来事と捉えたキリスト教会が、クリスマス前の4週間を「アドヴェントと名づけたのはごく自然な成り行きであった。この期間、教会はその時々の状況に応じて、「主イエスの誕生において救い主がこの世に来られたという信仰を新たに呼び覚まし、「主よ、来たり給えと祈った。また、先ほど私たちがルターの歌を歌ったように、「いま来たりませ、救いの主イエスと歌い継いで来たのである。

 子供の頃、私たちは「もういくつ寝るとお正月/お正月にはたこ揚げて/こまを回して遊びましょと歌いながら、お正月が来るのを指折り数えて待ったものだ。幼い子供にとって、お正月は楽しいことだけが一杯詰まった最高の祝祭であった。

 だが、アドヴェントは、「お正月が来るのと似ているようで、実は全く違う。アドヴェントは、喜ばしいだけの時ではない。確かに、「救い主が来るのだから喜びがない筈はない。しかし、来るのはほかでもない。この世を覆っている罪と死の支配から私たちを解放して、互いに愛し合って共に生きるように招く救い主が来るのである。この方は、もちろん、深い意味では私たちを喜ばせるために来るのだが、同時に、私たちの生き方への厳しい裁きを伴って来る。もし私たちが罪と死の支配に加担し、その手先となって働いていたりすれば、そのような生き方は根本的に否定さ、悔い改めへと招かれるのである。アドヴェントはそのような時である。

 ワシントンで先週、巨大なクリスマスツリーの点灯式が行われたというニュースを見た。ブッシュ大統領が上機嫌で演説し、イラクで戦っている勇敢な米軍兵士たちを称えた。しかし、この世界に来られた救い主イエスは、決して戦争を望まれない。いわんや、それを煽り立てたりはなさらない。アドヴェントに蝋燭を灯して「いま来たりませと歌う人は、直ちに戦争をやめなければならない。アドヴェントとは、自らの罪を知って悔い改める時、そのことによって真の喜びへと招かれる時である。

 敢えて譬えるならば、それは外科の大手術と似ているかもしれない。癌を疑われた患者は、ルカ21,25-26にあるように、最初は、「なすすべも知らず、不安に陥るだろう。中には、「何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失う人もいるかもしれない。だが、優れた医者が正確な診断を下して癌を早期に発見し、問題の場所を突き止め、「私に任せなさいと言ってメスを執り、病巣を抉り取る。その時、恐れや痛みや苦しみと共に、命が救われたという深い喜びが来る。

 あたかもそのようにして、救い主は来るのである。この世界の病気の根を正確に指摘し、それを抉り出して命を救うために、彼はこの世に来る。それは当然痛みや苦しみを伴う。しかし、それを通って初めて、真の喜びも来る。このことを心に刻むために、私たちは今日、ルカ福音書21章を読んだのである。

 この箇所のもとになっているのは、マルコ福音書13章の「小黙示録であるが、そこには、近づきつつある終末のさまざまな「徴、つまり前兆について書かれている。先ず、「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう(13,5-6)とある。現代のカルト指導者たちを連想させる。次に、「戦争の騒ぎや戦争のうわさ(7)があり、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる(8)と言われている。これも現代の世界でしばしば見られる現実である。さらに、「方々に地震があり、飢饉が起こる(8)。「兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう(12)という。正に2004年の日本そのものではないか。これらの「徴が私たちと無関係にではなく、現代世界の現実に当てはまるような仕方で書かれていることには、重要な意味がある。

 マルコは続けて言う。迫害が起こり、主イエスを信じる者は「すべての人に憎まれる(13)ことになるかもしれない。しかし、それらはすべて「産みの苦しみの始まりである(8)、と。終末の救いはすんなりとは来ない。私たちはさまざまな前兆に出会う。それは私たちを怯えさせるだろう。だが、その後で確実に喜びが来る。そして、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる(13)。

 ルカは、このようなマルコの思想を受け継いで、今日のところでそれを簡潔にまとめているのである。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ(28)。

 頭を上げる! 高見盛という力士は、負けた時はうな垂れてしおしおと花道を引き揚げるが、勝った時は昂然と胸を張り、上を向いて歩いて行く。だが、私たちは苦しみの中でも頭を上げる。それらが「産みの苦しみの始まりであり、「解放の時が近いと知っているからだ。主イエスは、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない (33)と約束された。アドヴェントとは、このような約束を確認する時なのである。



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