「主は羊飼い」マタイ8:23-24 中村今日子

詩篇23:1-6;マタイによる福音書8:23-24

詩篇23:1-6;マタイによる福音書8:23-24

今私の画面の後ろに映っているのは、沢山の羊と、その羊と一緒に旅をしている羊飼いの写真です。 今でも、羊を連れて、夏は高い山の方で生活して、冬になると下の低い土地に戻ってくる人たちがいます。そして冬が終わると、また涼しい山に羊を連れていき、夏が終わると羊たちを連れて戻ってくる。こうして、羊たちが暑さや寒さで病気にならないようにするのだそうです。聖書には、羊飼いが羊を守ってくれるように、神様が私たちをいつも守っていてくださる。と書いてあるのです。 

私は去年の10月に、一人でイタリアのアッシジという丘の上にある町に行きました。
そこは、フランシスコという人が、今から800年ほど昔に、自分の物は何も持たず、神様にすべてをささげる生活をした場所でした。

私は、2006年に介護の必要な高齢者の方に日帰りでの介護を行うデイサービスセンターを立ち上げました。その7年前の1999年に、今はもうないのですが、介護について学ぶために御茶ノ水のYWCA福祉専門学校に1年間通いました。それまで音楽療法の仕事をして、高齢者施設や精神科病棟を訪問しておりましたが、そこで介護の仕事がとても大切な仕事であることを知り、自分も困難を抱えた方たちと共に笑い共に泣く仕事をしたいと思ったのでした。
YWCAのカフマンホールで行われた入学式だったと思いますが、そこで代々木上原教会の秋田聖子さんが、私たち生徒に「サラエボのことを覚えてほしい」というお話をされました。
実は、その前に秋田さんとは「女性の祈り会」で何度かご一緒することがありました。ですから私はびっくりして、式が終わってから急いで秋田さんのところへ行き、「私はここで介護の勉強をすることにしました」と声をかけたら、秋田さんもとても驚いて喜んでくださいました。
それから一年もたたず、次の年の2月に秋田さんは天に召されました。入学式を行ったカフマンホールで秋田聖子さんをお送りする礼拝が執り行われました。その礼拝で説教をされたのが村上先生でした。
その後、不思議なお導きにより、私は2003年のイースターに代々木上原教会に転会させていただきました。あれからもう20年以上がたちました。

専門学校を卒業し、介護の仕事を始めた2000年は、ちょうど介護保険制度が始まった年でした。「介護の社会化」がうたわれ、学校では「介護は妻や娘や子供の妻等、主に女性による無償の仕事であったが、これからは社会が行うのである」ということと、「お一人お一人の尊厳を守ることを最優先する」ということを繰り返し学びました。
介護の仕事をはじめてから、色々と思うところがあり、2006年に今のデイサービスセンターを立ち上げました。
YWCA専門学校で学んだことを実践し、一人一人の高齢者の方とそのご家族に寄り添う仕事はとても意義のあるものでした。同じ志を持つ職員は定着し、離職者が多い介護業界の中で、ほとんどの職員は10年以上継続して勤務してくれています。
しかし、3年ごとの介護保険改正のたびに、事業者の報酬は下げられていきました。
2018年の自治体の調査の際には、それまで何年も指摘を受けたことが無いような子細な事柄についても指摘や指導をされ、心身共に疲労が重なることが多くなりました。それでも職員達が心を込めて丁寧に仕事をしてくれたため、地域の方の信頼を得ることが出来、サテライト施設を開設できるまでになりました。 約1年の準備を経て、銀行からの借り入れをし、ようやくサテライト施設がオープンした2020年の春、ほぼ同時期に新型コロナウィルス流行が始まりました。

とたんに働く職員の仕事量は増えました。朝ご自宅に迎えに行くときには、必ずお一人お一人の検温をし、手を消毒していただいてから乗車してもらいました。ただでさえ忙しい業務の上に、やらなければならないことが増えていきました。一つ一つの備品を毎回消毒し、トイレは一人使用されるたびにアルコールで消毒をしました。認知症の方は感染対策について理解が出来ませんので、職員が何度もマスクを着けなおしてあげなくてはなりませんでした。
目に見えず、ワクチンも薬もなく、アルコール消毒液もマスクもペーパータオルも手に入れることが難しい状況の中で、私は高齢者の方と職員をコロナから守らなければなりませんでした。
人との交流や集まることは自粛するようにと、何度も何度もアナウンスがあり、緊急事態宣言や非常事態宣言が発令されるたびに、デイサービスの利用を控える方が増え、50名定員のデイサービスなのに、1日10名のご利用の日もありました。緊急事態宣言や非常事態宣言が出てお休みをされるたびに認知症が進行したり、歩行が難しくなったりする方が増えていきました。

職員は毎日、コロナ感染の恐怖の中入浴介助や、排泄の介助や食事の介助をしなければなりませんでした。入浴や食事の際には、マスクを外しますので、そこから感染が広がらないだろうか、と毎日毎日不安とストレスを抱えながら働く職員の疲労は大きくなりました。「中村さん、いったいコロナはこれからどうなるんですか。変異株が増えてきている中でこれ以上の対策は無いのですか」と私に質問をする職員もいましたが、当初はWHOのテドロス氏でさえ会見で「まだはっきりとしたことはわからない」と言っている状態なので、WHOが分からないことが私にわかるわけがないのです。
私は「ただ、むやみに怖がることはせず、基本的な感染予防マニュアルをしっかりやっていきましょう。 職員のだれかがもしコロナに感染しても、決してその人が悪いわけではありません。」 と伝えましたが、みな、自分が家族から、または通勤電車の中でコロナに感染して、それを身体の弱い高齢者の方に移しては大変だ。と、恐れていました。
自分の家族が感染してしまった職員からは「すみません。私の家族がコロナに感染してしまいました。 もし私が無症状で利用者様にうつしていたら本当にすみません」と、半ばパニックになって連絡が来ました。
どんなに気を付けていても、コロナウィルスの感染力は圧倒的に強く、一人の方が陽性となると、ドミノ崩しのように次々と感染者が出て、保健所からの指示で1週間デイサービスが閉鎖となったことも2度ありました。中には、「どうしてくれるんだ」とお怒りになるご家族もいらっしゃいました。

このような中、私は何度も何度も「どうか、私に、船の中で眠っておられたイエス様の信仰と心の強さと、一人一人の高齢者と一人一人の職員が安全に安心して過ごすことが出来るような知恵をお与えください」と神様にお祈りをしました。なかなかガリラヤ湖で嵐の中船の中で寝ていらしたイエス様のようには、なれないものです。 

また、新型コロナウィルスにより、利用を控える方が増え、そのことによって収入が減る中でも、支払わねばならない家賃や職員の賃金などの固定費は変わらないため、経営は大変厳しくなりました。デイサービスセンターは、1回あたりの利用に対しての介護報酬が決まっているため、たとえ緊急事態宣言や保健所からの命令での休業であっても、その間の収入はゼロ、となります。特別に設けられた補助金は、とうてい経営を支える額ではありませんでした。 

このような幾重にも重なる困難がいつ終わるかわからない状況が続き、私は何度も何度も神様に「神様、どうぞ私たちのデイサービスをお守りください。地域で暮らす高齢者の方とそのご家族をお支えする仕事を続けさせてください」と祈りました。  

そのようなとき、私の心には不思議と、15年ほど前に訪問したアッシジのサンフランシスコ大聖堂に描かれたジョットの絵が浮かぶのでした。それは、フランチェスコが全ての財産を投げ出して、着ていた服も父親に返した場面の絵でした。

そんなことがあったので、新型コロナが落ち着いた昨年10月、聖堂のあのジョットの絵を見ることと、もう一つ、フランチェスコに従った女性であるキアラが女性たちと一緒に生活をしたという「サン・ダミアーノ」を訪問するために、一人でアッシジに行きました。
今、観光地のホテルはとても値段が高いため、今回はローマの駅近くのポーランド系の修道院が経営している修道院ホテルに泊まりました。
そこに宿泊する東洋人は私一人でしたので、他の宿泊客の男性から階段ですれ違いざま、「あなたはフィリピン人?」と聞かれて、「いえ、日本人です」と答えたら、その方は「えーっ、日本人!」と驚いて階段から落っこちそうになっていました。カトリックの修道院に宿泊する東洋系の人は、きっとフィリピンの方くらいしかいなかったからだと思います。中国や韓国の人と間違えられるのはよくあることでしたが、フィリピンの人と間違われたのは初めてでしたので、私も驚きました。楽しい思い出です。
そのホテルに大きな荷物を置いて、ローマから電車でアッシジに向かうことにしました。

サン・ダミアーノを訪問した日はとてもお天気が良くて、10月でしたが最高気温が30度という暑い日でした。 丘の上の中世の街並みが残るアッシジの町を通り抜け、丘の下のサン・ダミアーノ教会に向かって急な坂を下って歩きはじめると、下のサン・ダミアーノ教会から戻ってくる人たちがとすれ違いました。みな苦しそうに息を上げ、ふらふらと坂道を登っていました。「ああ、帰りは大変そうだな」と思いましたが、ここで引き返したらもったいない、と思い教会に向かって降りていきました。 

サン・ダミアーノの質素な教会は薄暗く、その祭壇にはろうそくがともり、熱心にお祈りをする人、物珍しそうに色々と眺めている人や、つまらなそうに通り過ぎる人がいました。教会には色々な国の人が集まっていて、色々な国の言葉が聞こえてきました。 

私は教会でお祈りをしたあと、中庭がきれいな花でいっぱいで美しかったので、回廊で少し休みながら手帳に絵を描きました。ちょうど同じ時間に、色々な障害を抱える方たちのグループが来ていて、その中の一人の男の子が私の描いている絵を覗きに来ましたので「見てみる?」と私が訪ねると、その男の子のお母さんが「だめよ、迷惑をかけては」と男の子の手を強く引っ張っていきました。 ああ、このお母さんは、いつも他者に気を使っていて、お子さんが人に迷惑をかけないように心配されているのだなあ。と、お母さんのご苦労を考えると、少し胸が痛くなりました。もっと障害をお持ちの親子に寛容な世の中になってほしい、と思いました。 

絵を描き終えてから、教会の前の広場に出ると、障害を抱えたグループの方たちが、虹色のテープを手に取りながら輪になっていて、一人一言、順番に短いお祈りを始めました。
さっきのお母さんと息子さんもそこに参加していました。どの方のお祈りもユーモアがあり、それぞれのお祈りが面白いので、みんなで笑いながらお祈りをされていました。困難な中でもユーモアを忘れずに生きている姿には力強さを感じました。
それから私は、教会を後にして丘の上に戻るために歩き始めました。オリーブの木の林の中に出来た道はとても美しいものでした。
けれども暑い日に、ひとりきりで、日陰の無い長い坂道を上るのは予想通り大変で、早く丘の上のアッシジの町に戻って美味しいアイスクリームでも食べたい。と気持ちばかりが急いでいました。

そんなとき、ふと、「たった一人でこの坂道を上るのなら、あわてずゆっくり歩いて、神様に今までちゃんとお祈りできていなかったことをお祈りしながら歩こう」と思い直しました。
そして靴一つ分、本当に靴一つ分ずつ、ゆっくり上りながら、汗を拭きながら、沢山沢山神様に話しかけました。
この三年半の間の、様々な心の葛藤のこと、なんども「もうだめかもしれない」と思ってきたこと、嵐の中翻弄される小さな船の中のような状況で、決断をしなければならなかった色々な事柄、そして、そのたびに神様が不思議な形で最善の答えを出してくださったことなど。
日本人はどこにもいなかったし、たった一人だったので、一人でぶつぶつと声に出して神様に話しかけながら、まさしくひと足ひと足、足を進めました。

お祈りをしながら歩き、ふと顔を上げると、あんなに遠くに見えていた丘の上の町の門が私のすぐ目の前に現れたのでした。とても驚きました。本当に驚きました。 

「長くて苦しいときにこそ、あわてずに、ひと足ひと足ずつ、少しずつ進んで、その時間を神様にお祈りをする時間にすればよいのだ。神様と一緒に歩けば、遠くて辛いと思うような道でも、ちゃんと行先まで進むことができる。神様は私の行く道を示し、導いて、支えてくださっている。」ということを、生まれて初めて分かった瞬間でした。とても不思議な体験でした。
神様は、このことを私に教えるために、ここに呼んでくださったのだ、と、心から感謝しました。

2020年の春から、今までに経験したことのなかった困難をいくつも経験しました。
まだ乗り越えたとは言えない状況の中にありますが、自分の努力だけではどうすることもできない大きな困難の中にあるとき、沢山の聖書の言葉やイエス様の姿、そして、アッシジのフランシスコやキアラのような、神様に従った人々の生き方が私を支えてくれました。
これからの人生も、私の行く道を示し続けてくださり、常に共に歩んでくださる、羊飼いである主イエスに支えられ、導かれて生きることが出来る幸せを喜び、冒頭の写真のように、羊飼いであるイエス様に従う羊の群れのうちの一人として、みなさんと共に信仰の歩みを進めていきたいと思います

最後に感謝を込めて、「フランシスコの平和の祈り」という歌を歌います。

※最後の歌は著作権の関係上、音声には含まれていません。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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