アドヴェントに入り、クランツの蝋燭に一本火が灯された。今日は『日々の聖句』に従ってマタイ21, 1-9について語りたい。マタイはここで、旧約のゼカリヤ書9,9を引用している。メシアが「ろば」に乗って来る、と預言されている箇所だ。21日の礼拝後に皆さんと靖国神社の「遊就館を見学した際に考えたことも、これと無関係ではないし、24日の「祈り会では、ゼカリヤ書9章を学ぶことになっていた。このめぐり合わせは、我々に何か重要なことを暗示しているように思われる。
そこで、今日のテキストであるマタイ福音書21章に目を向けよう。
主イエスはこの直前の20章18節で、「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである」と述べて、自らの苦難を予告した。これを覚悟して彼はエルサレムに入って行く。その時、彼は「ろばの子にまたがっていた。それが今日読んだ21章の始まりである。
主イエスが「ろばの子に乗ってエルサレムに入ったということは、四つの福音書すべてが記しているが、ゼカリヤ書と関連づけているのはマタイとヨハネだけだ。とくにマタイは、「預言者を通して言われていたことが実現するためであった(4)という解釈を加えた上で、9章9節後半を引用している。
一体、「預言者を通して言われていたこととは、何か?
それはゼカリヤ書を読めば分かる。先ず、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る」(9節前半)とある。預言者、紀元前6世紀のイスラエル民族に向かって、お前たちは今苦しみの中にあるが、やがて訪れる終末の時には「あなたの王」が、すなわち真実の支配者・メシア(救世主)が来る、そして必ず救って下さる、と約束したのである。そのメシアは、「神に従い、勝利を与えられた者、つまり、神の正義を実現して悪に勝利する方だ、という。ここまでは他の預言者たちと変わらない。
ゼカリヤのユニークさを物語るのは、その次の言葉である。メシアは「高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って」。幾分ユーモラスで、ほのぼのと温かく、しかもその情景がはっきりと目に浮かぶような言葉だ。
私は小学生の頃、一年だけ満州で暮らしたことがある。そこではよく「ろばを見かけた。中国では、今でも奥地に行けば「ろばがいるのではないか。体が小さいから、荷物を背負わされた姿は痛々しいほどだ。優しい目をしている。耳が不相応に長いので「ウサギウマとも呼ばれる。頑固な一面もあって、文語の詩編に「弁(わきま)えなきうさぎうま」(32,9)と言われているように、一旦つむじを曲げたら梃子(てこ)でも動かない。私もそういう場面を見たことがある。
しかし、「ろばは矢張り「柔和と「平和の象徴だ。「軍馬」と違って、戦争の時にはまるで使い物にならない。しかし、そこにいるだけで周囲を和ませる。
先日の新聞に面白い記事が出ていた。赤ちゃんを小学校のあるクラスに連れて行った、というのである。すると、そこに赤ちゃんがいるというだけで、普段は喧嘩やいじめが絶えないクラスにも優しい雰囲気が広がり、穏やかな平和が全体を支配するようになった。この経験をこれからの学級経営に生かせないだろうか、とその記者は提案する。むろん、そこには難しい問題もあるだろうが、この着眼は素晴らしい。
赤ん坊のように全く無力で弱い存在が、むしろその「無力さによって周囲の世界を変えることがあるのだ! メシアが「ろばに乗って来るというのも、そういうことではないだろうか。
我々人類を本当の意味で救う方、我々に真の平和(シャローム)を来たらせるメシアは、鼻息も荒く疾走する体格の頑丈な「軍馬や、人々の暮らしを蹂躙する「戦車に乗っては来ない。子ろばに乗って来る。
「アメとムチ」という言い方がある。我々の世界ではしばしば、飴をしゃぶらせるように相手をおだてて言うことを聞かせる「懐柔策か、それとも、鞭でひっぱたくようにして相手を無理やり屈服させる「強攻策か、どちらかだと言われる。アメリカの「ネオコン」の政策が、これの典型だ。
だが、見え透いた「懐柔策は必ず破綻する。結局は「先制攻撃論」に代表されるような「強攻策に変わるのがふつうである。だが、暴力は真に問題を解決する道ではない。圧倒的な軍事力によって一旦は強引に敵を叩き潰したとしても、それは憎しみを増幅させ報復テロを拡散させるだけで、真の平和は限りなく遠ざかる。ファルージャがその実例だ。人類はこれまでも、ヴェトナムで、パレスチナで、チェチェンで、そしてその他の地域で、幾たび同じ失敗を繰り返して来たことだろう。
預言者ゼカリヤは、神は「エフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれると告げる。これは、核兵器だけではなく、あらゆる軍備の廃絶が神の意志であることを指し示す。そして、その時に初めて、「諸国の民に平和が告げられる」(10)。このメシアの平和は、「海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。ペルシャ湾から地中海まで、ユーフラテス河からナイル川の向こうまで、つまり全世界にくまなく行渡る。――これが預言者の夢なのであり、そしてそれは、主イエスの愛において既に始まっている。アドヴェントはその完成を待ち望む時なのである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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