もはや戦うことを学ばない

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・5・2

もはや戦うことを学ばない

イザヤ書 2,1-5 ; ヤコブ書 4,1-10

イザヤは紀元前8世紀のユダヤの預言者である。

当時のユダヤは、北王国イスラエルと、南王国ユダに分裂していた。イザヤは南王国ユダの都エルサレムで、「ウジヤ王が死んだ年」(6,1)に、これは紀元前739年のことだと考えられているが、預言者としての活動を開始した。

ウジヤ王は、産業と経済を盛んにし(=景気を良くし)、多くの建築物を作り(=箱ものを建て)、近隣諸民族を勢力下に収めて貢ぎ物を差し出させた。つまり、世間的な意味では有能な、従って「良い王様」であったが、よくあるように思い上がり、傲慢になって、祭司たちから祭祀権を奪い、晩年は重い病気にかかって苦しんだという。

この王の死後、イザヤは預言者としての召命を受けたのだが、彼にとって政治家や宗教家の退廃や、それによる社会的弱者の苦しみは目に余った(1,10-17;21-23)。このような国内状況の中で、彼は神の御心として正義と公平を強く求めたのである。

その上に、当時の国際的な力関係が悩みの種であった。アッシリヤ帝国は、テイグラト・ピレセル三世の指導のもとに、イスラエルに圧迫を加えて来た。この王は、エジプトをも征服して巨大な世界帝国を建設するという野望を持って、ユダヤ近辺の諸国を侵略したが、北王国イスラエルにも貢ぎ物を納めるように要求した。北王国の王メナヘムはこの要求に屈したが、その子ペカの代になると、ダマスコ(シリヤ)と同盟を結んでアッシリヤに対抗しようとした。この両国は、この軍事同盟に南王国ユダをも引き入れようとして、大軍をもってエルサレムに攻め寄せてきた。これが「シリヤ・エフライム戦争」(紀元前734-732)である。

南王国ユダのすべての人々は、アハズ王を初めとして、非常な不安に襲われた(7,1-2)。そのために、イザヤの助言(7,3-7)を聞こうとせず、当面の敵に対抗するためにアッシリヤの軍事援助に頼るという便宜的な策を選択した。

こういう複雑な力関係の中でイザヤは、うろたえて強国との軍事同盟に頼ったりせず、万軍の主に信頼して、「落ち着いて静かにしていなさい」(7,4)と語ったのである。

 

以上に述べたのが、イザヤの生きていた時代の状況であった。

 ちょっとキーワードを挙げるだけでも、最近我々の国に起こっていることと、嫌になるほど似ているのではないか。とても2700年も昔のこととは思えない。ウジヤ王の、バブル期のような経済至上主義、その挙げ句の道徳的退廃、政治や宗教の無力化と堕落、複雑な国際関係、すぐ軍事同盟に頼ろうとする貧困な発想、等々。

 もちろん、それぞれの時代には固有の背景というものがあるから、イザヤの言ったことをそのまま現代に当てはめることは避けなければならない。それにもかかわらず、イザヤの言葉には、今日の我々にも十分通用するものがある。「落ち着いて静かにしていなさい」(7,4)というのはその一つだ。

 

 「落ち着いて静かにしている」とはどういうことか?


 目先の不安に駆られて、例えば泥棒がやってくるかもしれないから銃を準備しておくとか、敵が攻めてくるかもしれないから軍備を備えるとか、大国との軍事同盟に頼って「有事」に対処しようとか……そのような小手先の策を弄しないということである。そんなことをすれば、必ず相手方にも不安を与え、軍拡競争に拍車をかけ、際限のない悪循環になる。冷戦時代の米ソの核軍核競争はその実例だ。慌ててそういう愚かなことをしない。その前になすべき事はたくさんある。

 しかし、「落ち着いて静かにしている」というのは、「何もしない」ということではないだろう。イザヤはそこまで言ってはいないが、イザヤの影響を受けたと思われるイエスは「先手を取って和解の道を探る」べき事を教えた。そのことと結びつけて理解することは、必ずしも無理な解釈ではないであろう。

 

 最後に言いたい。「落ち着いて静かにしている」ためには、将来への希望がなければならない。イザヤの場合、それは「終末の平和」の希望であった。2,1-5

 ドイツがまだ東西に分裂していた頃、80年代の初め頃、中距離核ミサイルのNATO 配備の問題を巡って、東独で驚くべき事が起こった。あの独裁体制の下で、平和のためのデモが行われたのである。そのとき、東側のデモ参加者は、それぞれ銃を折る場面を図案化したワッペンを胸につけていた。ロゴは、イザヤ書2,4から取られたものであった。

 ニューヨークの国連ビルの、道路を挟んで向かい側の壁には、この言葉が英語で刻まれている。国連が発足した時、誰もが願っていたことは、我々の世界がこのようになるということであった。神が造られたこの世界には、最後には、このような平和(シャローム)が来る。この終末論的な希望に支えられていなければ、誰がこの世界の絶望的な退廃に耐えられるだろうか。



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