イエスのこの言葉に対して強い拒否反応を示す人は、少なくはないであろう。
8月6日付の毎日新聞夕刊に、西アフリカ・ギニアの、二人の少年の記事が載った。
2日の早朝、ブリュッセルに着いたサベナ航空機の着陸装置(車輪?)付近から、この二人は凍死体で発見された。飛行中の外気温は氷点下55℃にも達するというから、無謀なことをするものだと思ったが、良く読んでみると、この14歳と15歳の少年は、手書きのフランス語の手紙を、大事に包んで懐中に忍ばせていた、という。
「ヨーロッパの指導者の皆さん、僕たちは貧しさと戦闘に苦しんでいます。十分な食糧も教育も受けられないままです。僕らもヨーロッパのみんなと同じように勉強がしたい。どうか、アフリカを救って下さい。そのために、僕たちは命をかけます」。
と書いてあった。ベルギー政府はこの事件に大きな衝撃を受け、早速アフリカ諸国への開発援助を増やす方針を表明した、とこの記事は伝えている。
この少年たちが「僕たちは貧しさと戦闘に苦しんでいます」と書いているように、貧しい人々は不幸なのだ。我々は先ず、この事実を認めなければならない。楽な暮らしをしている第三者が、「貧しい人々は幸いだ」というイエスの言葉を、他人事のように甘く解釈することは許されない。そんなことは「罪」である。
「貧しい人々は幸いだ」と言ったのはイエスなのである。粗末な馬小屋で生まれ、生涯富とは縁がなく、貧しい人々と共に生きたイエス。その人々を愛して命を捧げたイエス。このイエスがこう語ったのであり、彼以外の何者も、こういうことは言えなかった! 彼が語ったからこそ、この言葉は意味を持つのである。例えば富める人々が同じ言葉を語ったとしても、それには説得力がない。
では、イエスが語ったこの言葉にはいかなる意味があるのか?
全体を見てみよう。ルカの「野の説教」には、マタイの「山上の説教」と比べて、はっきりした違いが少なくとも三つある。
貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々、人々に憎まれ・追い出され・ののしられ・汚名を着せられる人々は、明らかに不幸である。このことは、イエスも前提していたと私は思う。軽々しく気休めを語ることなど、彼にはできなかった。
しかしイエスはこの不幸を、絶対に動かし難い運命とは見ていない。この点が肝心である。
現在はどれほど不幸であるにしても、その状態は永続的なものではない。やがて変わる。このことを彼は、我々が良く言う「その内に良いこともあるさ」というような、無責任な空約束・気休めとして言ったのではない。
時は神のみ手の中にあると彼は見ていた。今、不幸のどん底にあるとしか考えられない人々に対して、やがては自分も十字架の上で絶望の叫びを挙げることを予期しながら、彼は、あなたの時は神のみ手の中にある、その神を見上げなさい、と言うのである。今、貧しい人々、飢えている人々、泣いている人々、人々に憎まれ・追い出され・ののしられ・汚名を着せられる人々、つまり、今不幸であると感じている人々に対して、イエスは「神の支配があなたがたの所に来る」と宣言する。→4,16以下。ここに、「あなたがたは幸せだ」という根拠がある。
この「時」の要素――神のみ手の中にある私の時、やがて確実に来るべき「主の恵みの年」――を抜きにして、我々は幸・不幸を論じるわけにはいかない。
我が国の演歌にも、「時」の要素を取り入れたものがある。「知らないうちが花なのよ、知ってしまえばそれまでよ」! 今週の週報の「牧師室から」欄に紹介した歌にも、「時」の要素はある。「父さんが帰ってくる」という前喜びを、母と息子が共有する。みずみずしい感性で表現した所は魅力的だ。だが、この場合も、「時」がどのようなものかは依然として曖昧なままだ。
聖書はこの点、極めて明確である。「神の支配があなたがたの所に来る」。そういう形で神の将来が、我々の現在に対立し、克服する。我々のすべての時は、神のみ手の中にある。この信仰において、過去・現在・将来が見据えられる。その時、ある神学者が言ったように、「すべての喜びは前喜びである」ということが理解される。
逆に、今富んで、満腹して、満面に笑みをたたえ、人々から誉められて得意の絶頂にある人々は、やがてどん底に落とされるであろう。誇り高ぶる者は、いつか必ず神の裁きを受ける。
「平家物語」では、「おごる平家は久しからず」というのが基本的な思想だが、これはあたかも「自然の法則」のように言われる。しかし、イエスは歴史の支配者である神の裁きとして、「現在の状況が逆転する」と告げるのである。
来週、我々は敗戦の記念日を迎えるが、敗戦は明治以来の我が国のおごり高ぶりに対する神の裁きであった。キリスト者でない人々にとって、こういう見方は難しいかもしれないが、せめて「平家物語」の知恵に学ぶことはできるのではないか。そうでないと、やがてはまた神の裁きが下るであろう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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