「平和を告げる」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」(7)。

実際は、「良い知らせを伝える者」は「山々を行き巡」って来たわけだから汗臭く、その足はお世辞にも「美しい」とは言えなかっただろう。サンダルのようなものしか履いていないから、埃にまみれてドロドロに汚れ、恐らく悪臭を放っていたであろう。その汚れた足が、この上なく美しく見えたという。待ちに待った吉報をもたらしてくれたからだ。経験のある人には、このことが良く分かる筈である。

敗戦の時、職業軍人であった私の父は南京で抑留されていた。母は、姉・妹・弟を守って満州に残った。独りで日本に残っていた私は、全く情報を得られないままに、半ば諦めて津軽の母の実家で厄介になっていたのだが、ほぼ一年経った時、母ときょうだいは私のもとに帰って来たのである。四人とも一様に汚れた衣服をまとい、垢だらけで、年ごろの娘であった姉や妹などは頭をザンギリにしていた。皆、よれよれに疲れていた。だが、その母や姉の姿が、私には光り輝いて見えた。家族が生きていた!私は独りではない!

先に読んだ第二イザヤの言葉は、紀元前6世紀の「バビロン捕囚」という出来事と関係がある。紀元前587年、エルサレムは、バビロン王ネブカドネツアルの大軍に包囲・攻撃されて陥落、神殿も焼かれ、主だった人々はバビロンに強制連行されるという憂き目を見た。これを「バビロン捕囚」という。だが捕囚であった同胞は紀元前539年、ペルシャ王キュロスによって解放された。解放されたユダの人々が故郷に帰って来る。イザヤ書は、その知らせが来たときの沸き立つような喜びを書いている。

 「山々を行き巡り、良い知らせを伝える者」というのは、伝令使のことだろう。彼は至る所で「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた」(7)と、声を嗄らして叫んだのであろう。今や平和(シャローム)が来た、我々は救われた!

その声を聞いたとき、要所要所に立っていた見張りの者たちは歓声を上げ、肩を抱き合って喜びの歌を歌った。程なく、帰還者の列が見えてくる。「彼らは目の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを」(8)。彼らは、半世紀の間異郷の地で大切に守ってきた礼拝用の道具を肩に担いでいる。これで、廃虚となったエルサレムで礼拝を再開することが出来る。「歓声を上げ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた」(9)。

さて、ユダヤ人にとって、いわば民族の「原体験」とも言うべき「解放の経験」が二つある。「出エジプト」と「バビロン捕囚からの解放」である。彼らは、解放の喜びを決して忘れず、解放者である神への信仰を子々孫々に語り伝えた。このことは、「民族の記憶」に残った。

 今日、我々はクリスマスを祝って礼拝しているが、イエスの誕生という出来事は、民族の「解放の経験」と切り離しては理解できないのである。だから、ルカ福音書は、イエスの誕生をこの解放の歴史に繋がるものとして、むしろ、その完成として描き出す。「ザカリアの預言」はその代表である。

「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」
  (68-69)。

 「僕ダビデの家から起こされた救いの角」とは、イエスのことである。イエスの誕生は、先祖に約束された「解放の出来事」そのものだ、というのである。

何からの解放だろうか?モーセの場合はエジプトからの解放であった。第二イザヤは、バビロンからの解放を語った。ザカリアは何からの解放を歌っているのか?

 「我らの敵すべて我らを憎む者の手からの救い」(71)と彼は言う。この「敵」という言葉を、ありきたりの敵対関係を表すものとして理解するならば、今アフガンやパレスチナで行われている報復戦争を正当化するものとなりかねない。しかし、ザカリアが言うのはそういうことではない。彼が続けて「罪の赦しによる救い」(77)と言っている点に注目しなければならない。

 イエスは後に宣教の第一声を放ったとき、「捕らわれている人に解放を告げ」(ルカ4,18)と言ったが、「捕らわれている人」とは単に受刑者のことではない。「罪に捕らわれている人」を意味する。高慢や絶望に捕らわれること、憎しみや復讐心に捕らわれること、愛することを拒否すること。人間の間違った在り方から解き放たれることが解放なのである。その意味で、自己から、自己の罪から解放されること。それが真の平和(シャローム)なのである。

 イエスは、この「平和を告げる」ために、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(79)ために、神から遣わされたのであった。


 
 

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