「忠実な証人」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

ペルガモンは紀元前133年まではペルガモン王国の都として栄えたが、最後の王アッタロス三世の死後ローマ帝国アジア州に編入された都市だ。スミルナの北東約70kmの内陸地にあり、州の政治的中心地であった。紀元前29年には皇帝アウグストウスを祀る神殿が建てられ、アジア州における皇帝礼拝発祥の地となった。文化的にも重要な所で、ここの図書館はアレキサンドリアのそれと並び称されるほどであり、羊皮紙を英語でPerchmentというのは「ペルガモン」から来たと言われている。また医学校があり、医学の神アスクレピオスを祀る神殿もあって、病人が群れをなしてここを訪れたという。そのために、この町を「小アジアのルルド」と呼ぶ人もいる。

この町はまた、宗教的にも重要であった。ギリシャやローマの神々(ゼウス、女神ローマ、デイオニュソス等)を祀る神殿があり、盛んな礼拝が行われていた。これら神殿遺跡の一部は19世紀にそっくりベルリンに移築されて、その名も「ペルガモン美術館」と名づけられる美術館に展示されている。息を呑むほど壮麗なものだ。

このように政治的・文化的・宗教的に重要な意味を持つこの町の教会に宛てて、ヨハネは手紙を書いたわけである。

先ず、「鋭い両刃の剣を持っている方が次のように言われる」(12)とある。これは、復活して今も天で我々を見守っておられるキリストのことだ。「両刃の剣を持っている」キリスト、つまり、「心の思いや考えを見分けることが出来る」(ヘブライ 4,12)キリストが、「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある」(13)と語りかける。「あなたの住む所にはいろいろと難しい問題があることを、私はちゃんと知っている」という慰めに満ちた言葉である。

「サタンの王座」は、差し当たり「偶像を礼拝する習慣が支配している」という意味に取れる。市中の至る所に偶像を礼拝するための神殿があり、それら多くの偶像には日ごとに犠牲の動物が捧げられ、その肉は払い下げられて市場に出回り、人々の口に入る。このように、日常生活全体が偶像礼拝の雰囲気の中で営まれている町に少数のキリスト教徒が住む場合、様々な困難に直面することは明らかだ。

だが、それだけではない。「サタンの王座」は、むしろ皇帝礼拝と関係している(佐竹)。知人に伊勢皇大神宮がある宇治山田市で牧師をしていた人がいたが、天皇が神であった戦時中、この町で信仰を守って生きることは容易でなかったという。

ヨハネはアンティパスという人物の殉教に言及しているが(13)、キリスト教徒を殉教に追い込む強大な勢力が、換言すれば、キリストの教えた「謙虚な愛」に真っ向から敵対する「時代精神」、つまり皇帝を神とするイデオロギーがペルガモンを支配していたのである。「サタンの王座」は、そのことを意味している。

権力者が神として崇められることは、正に「サタン的」なのだ。ヒトラーは皇帝礼拝風の儀式を演出した。日本の天皇も「神」として礼拝された。そうしたおぞましいやり方が、どれほどの傲慢と暴虐を生み出したか。その典型的な実例は、植民地支配下の朝鮮で「神社参拝」を強制された多くのキリスト教徒が殉教したことである。権力者の神格化は、主イエスの愛の戒めとは相容れない。ヨハネがそれを「サタンの王座」と名づけたのは、当然であろう。

さて、天におられるキリストは続けて、「あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった」(13)と賞賛する。教会の歴史には、このように忠実な証人が存在する。このことを、我々は感謝と共に想起する。「おびただしい証人の群れに囲まれている」とヘブライ書の著者が言う通りである(12,1)。

だが、それに続けて天上のキリストは、「あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる」(14)と警告する。教会史には「負の遺産」もあるのだ。

バラムという人物については、民数記22-25章に、お伽噺のような物語が伝えられている。エジプトを脱出したイスラエルの人々がモアブという所に近づいた時、土地の王バラクは恐れて、霊能力のあるバラムに「イスラエル民族を呪って下さい」と依頼した。バラムは「呪ってはならない」という神の言葉を聞いて、一旦は断る。しかし、懇切な招待を断りきれずにロバに乗って出かけると、そのロバが途中で動かなくなる。怒って杖で打つと、今度はロバにたしなめられる、という話である。――しかし、別の伝承 (民数記31,16)もあって、彼はイスラエルの民を唆して偶像礼拝とあらゆる性的悪行に走らせたという。ヨハネはこっちの方を取ったのであろう(14c,d)。

「ニコライ派の教えを奉ずる者」(15)も詳しくは分からないが、多分、グノーシス主義者の一派ではないかと言われる。彼らは、霊的な救いに重きを置くあまり、日常的な生活に関しては「どうでもいい」と高をくくる傾向があり、その結果、簡単に偶像礼拝に妥協してしまった。キリストはこのような人々を厳しく戒めるのである。

主イエスに従って謙虚な愛を追い求める者には、困難の中でも必ず生きる道が備えられる。イスラエルの民が砂漠で食糧が尽きた時、天から降ってきた「マンナ」によって生かされたように。また、「白い小石」(17)が与えられる。これは、表面にまじないの言葉が書いてある小石を持っている者は悪霊から守られるという異教の伝統を換骨奪胎したもので、そこには「新しい名が記されている」。イエスの名である!


 
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