“驚くべき聖書預言の成就”

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

今日は ”驚くべき聖書預言の成就”について考えてみました。

聖書は巻から成っており、旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻です。また旧約聖書には23,214節、新約聖書には7,959節があります。聖書は、約40人の記者たちによって、100年の歳月をかけ、ヘブル語、アラム語、ギリシャ語を用い、アフリカ、アジア、ヨーロッパにおいて書き記されたものです。

ところが驚くべきことに、こうした状況の中で書かれたものでありながら、その内容は、まるで一人の人が書いたように完全な調和と一貫した主題を持ち、少しも矛盾するところがありません。このような不思議な事があり得る唯一の説明は聖書の中に記されています。

聖書はすべて神の霊感を受けてかかれたものである。(IIテモテ3:1)

つまり、この聖句が意味することは、聖書は神の言葉であるということです。そして、その聖書の記述の正しさを証明するひとつが聖書預言とその成就です。聖書預言の代表的なものは、ユダヤ人に関する預言、そしてイエス・キリストに関する預言です。もちろん、他にも多くの預言がありますが、取り合えずこの二つの預言がどのように実際の歴史の中で成就してきたかを見てみます。

まずユダヤ人(イスラエル)に関する預言の主なものは、離散と迫害、それに祖国の再建です。 

たとえば、BC15世紀ごろに書かれた申命記28章には、ユダヤ人が神に背くならば、彼らはイスラエルの地から世界中に散らされ、行く先々で迫害に会うことが預言されています。そして、この預言どおり、AD70年にローマ帝国によって滅ばされ、それ以来、ユダヤ人は国を失い、世界中に離散し、1900年間に渡って迫害を受け続けることになったのです。まさに、旧約聖書に預言されていた通りのことが、ユダヤ人の上に成就しました。

ところが、このユダヤ人について、もう一つのことが預言されていました。BC7世紀ごろに書かれたエレミヤ書30章には、諸国民の中に散らされ、迫害されたユダヤ人が、必ず世界中から祖国に戻って来て国を再建することが預言されていたのです。しかし、長い間、これらの預言が成就する兆しは全くなく、誰も、世界中に散らされてしまったユダヤ人が国を再建することなど想像もしませんでした。歴史的に、国を失った民族は500年も経てば周囲の民族に吸収されてしまうと言われています。そういう中で、聖書を神の言葉と信じる人々は、「ユダヤ人は必ず祖国に戻り、国を再建するに違いない」と信じていました。果たして1930年代になって、ユダヤ人がパレスチナの地に帰還を始め、ついに1948年、ユダヤ民族は彼らの先祖の地に独立国家イスラエルを再建したのです。

次に、イエス・キリストに関する預言を見てみますが、かつてイエス・キリストが、「聖書(旧約聖書)は私について書いているのです」と言われたように、旧約聖書には、キリストの初臨に関する預言が約300、キリストの再臨に関する預言が約1500記されています。

たとえば、キリストの誕生に関する旧約聖書の預言をいくつか挙げてみますと、ダビデの子孫から生まれる、処女から生まれる、ベツレヘムで生まれる、一時エジプトに移る、ナザレという町に住む、高貴な人たちがキリストを礼拝することなどが預言されていました。また、キリストの生涯に関しては、たとえ話によって教えられること、盲人の目を開け、多くの病気の癒しや奇蹟を行われること、そして、柔和で優しい方であること、支配者たちの憎しみを買い拒絶されること、友の一人によって裏切られること、頬を打たれること、つばきをかけられ、鞭で打たれることなどが預言されていました。

さらに、十字架につけられて死なれることに関してもはっきりと預言されていました。悪人と共に処刑されること、人々から嘲られること、衣服がくじ引きにされること、十字架上で苦いぶどう酒と酢を与えられること、そして、十字架上で「わが神、わが神。どうして、わたしをお見捨てになったのですか」と言われることも預言されていました。

また、キリストの苦しみの激しさと渇き、その苦しみを耐え忍んで口を開かなかったこと、さらに脇腹を刺されること、その骨が砕かれないこと、葬られる時には、金持ちの墓に葬られることなども預言されていました。墓からよみがえられることと、それが葬りから三日目であることも預言されていたのです。イエス・キリストのご生涯のすべてが、重要な出来事だけでなく詳細に至るまで、旧約聖書にはっきりと預言されていたのです。

キリストの初臨に関する約300の預言が歴代の人物の中の一人の上にすべて成就する確率は計算不能と言われてきましたが、300のうちの48の預言が成就する確率を計算した人がいます。その結果は10の157乗分の1です。比較のために、全宇宙に存在するすべての電子の数は10の79乗です。統計学においては、10の40乗分の1以下の確立の場合、その可能性をゼロと見なします。つまり、48の預言がイエス・キリストの上にすべて成就したといだけでも、偶然では絶対にあり得ないことなのです。言い方を換えれば、キリストの誕生、またその生涯は、初めから神の計画通りであったとしか解釈のしようがないということです。

これらの事実は、聖書が明らかに神が人類に啓示された真理の書であり、人類の歴史の背後に神のご計画と導きがあることを明確に証言しています。そして、この聖書は、神が天地万物の創造主であること、また、神が目的をもって人間を創造されたこと、人類の始祖アダムが神に対して罪を犯して以来、すべての人間は神の前に罪を犯し続けており、人間はみな生まれながらの罪人であり、死後に神のさばきを受けなければならないという厳粛な事実を記しています。当然のことですが、死は人間にとって最も重要な問題です。どんなに健康な人も、若い人も、金持ちも、権威ある人も、すべての人は必ず死に直面する時が来ます。そのために備えることは人生において最も大切な課題なのです。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9:27)

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ人への手紙6:23)

しかし、神がこの聖書を人類に与えた最大の目的は、神が全人類を愛しておられ、その救い主として、ご自身の独り子イエス・キリストをお遣わしになり、死後の永遠の裁きから私たちを救うために、身代わりとして死んで下さったのち、墓に葬られ、三日後によみがえられた事実を伝えるためなのです。

そして、この方を自分自身の個人的な救い主として信じ受け入れた人は、罪が完全に赦され、永遠の命を受けることができるのです。このような偉大な愛を人類に示すために、神はこの聖書を与えて下さったのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3:16)

今日の一言: 聖書はまぎれもない神の言葉

平安

鶴田健次

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