歴代誌下7:11-16;ヨハネによる福音書10:27-30
今日もヨハネによる福音書から聴きましょう。27節から28節にかけて、こう記されています。
わたし(イエス)の羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼ら(人間)を知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
私たちのことを動物の「羊」にたとえるのは合点がいかないと思われる方もいるのではないでしょうか。しかし先々週も先週も申し上げたように、イエスさまのお話の仕方というのはとても現実に即した仕方でなされていました。ガリラヤという田園地帯で羊飼いと羊の関係は誰にでもよくわかる話でした。羊というのはたいへん依存的な動物なのだそうです。視野が狭く、自分の鼻先しか目に入らないので、常に群れをなし、また誘導してくれる羊飼いがいないことには危険な場所に入り込んでしまったり、ほかの動物の餌食になってしまうのだそうです。
私はこの話を本で読んでいて、どことなく私たち人間に似ているところをもっているのではないかと思いました。いろいろな人がいて決して群れをなしている人々だけではないのですが、弱さを抱えている私たちも時に迷い、傷つき、疲れ果てて助けを求めています。イエス・キリストは私たち一人ひとりを滅んでいくことから救い出し、永遠のいこいの牧場である「神の国」に導いてくださいます。
もし私たちがイエス・キリストという羊飼いの羊であるならば、羊飼いは羊である私たちを全力で守ってくださるのです。イエスさまは、御自分についてくる羊に、永遠の命を与えてくださると言うのです。それは何によっても失われることのないいのちです。それは死の力によってさえも奪われることのないいのちです。それゆえ、「彼らは決して滅びない」とイエスさまは言われるのです。それはどんな試練にも、どんな誘惑からも、どんな悪の力によっても、それに屈しないということを意味します。死でさえも、イエス・キリストのもとからその羊を奪うことはできません。このことが私たちにとって「よきおとずれ(福音)」そのものなのです。
「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」――イエスを信じて歩みを起こしているものからすれば、分かりきったことかもしれません。今日の前の箇所の22節には、「エルサレムで神殿奉献記念祭が行われていた」と記されています。現在ではユダヤ教のクリスマスとも言われる「ハヌカー」という祭りが年末の12月25日から8日間祝われます。このお祭りの起源は紀元前 6 世紀にバビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちが神殿を再建したことに始まります。けれども、その後に神殿は再び異邦人たちによって汚され、神殿にはゼウス像や異教の祭壇が築かれました。そこからユダヤ人を救ったのは、ユダ・マカバイオスという人物でした。ユダ・マカバイオスはエルサレムを奪還すると、主なる神ヤーウェに犠牲を献げる祭壇をつくり直し、神殿の汚れを潔めました。
当時のユダヤはローマ帝国にも支配されておらず、ユダヤ人一時的に自分たちの王国を建国しました。それが紀元前164 年12 月14日のことでした。ユダヤ人たちは、このことを記念して神殿奉献記念祭を祝うようになったのです。その厳格な行事が行われているときに、イエスさまは「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」と言われたのです。ヨハネ福音書はあえてこういう記事を伝えています。それは祭りを盛大に祝ったとて、それが信仰を持っていることではないとヨハネ福音書は言おうとしているのです。
私たちがそれぞれに永遠の命に触れたときにこそ、本物の信仰が与えられるのだというのです。形骸的なものではない、心の通った信仰を持つことをイエスさまは願っているのです。ですからイエスさまに従う羊はかれの声を聴くのです。祭りが大事なのではない、個々人が、羊が羊飼いの声を聞き分けるように、永遠の命を与えられて、そこに辿り着くのです。それが信仰者にとって大切になってくることなのです。そこで「わたしは彼ら(人間)を知っており、彼らはわたしに従う」という言葉が出てくるのです。
イエスは「わたしは彼らに永遠の命を与える」と続けられます。ここに言われている「永遠の命」はこのヨハネ福音書を貫く全体テーマといってもよいかもしれません。
マザー・テレサが1984年に来日して、上智大学で講演をしました。その際に日本の印象についてこう語っておられます。
「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだしとても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。
インドの貧しい人たちは、体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」。
そしてマザーはこのようにも話しています。
「アフリカの国々が滅びるとしたら貧困が原因だろうが、日本は心が原因で滅びるでしょう。日本人はインドのことよりも日本の国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。」
日本の本質を見抜いたようだったマザーの来日から40年が経ちました。マザーが「日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか」という指摘は、イエスの今日の箇所の言葉に通じると思います。私たちはたくさんのものを今この社会の中で受けていますが、本質的なものを見失ってしまっているということについて私たちは看過してはならないと思うのです。
ヨハネによる福音書は4つの福音書の中では最も執筆年代が遅く、紀元80年代中頃から90年代ごろに書かれたのではないかとされています。この頃にはすでにエルサレムの神殿はローマ軍に破壊されていましたが、宗教の形骸化、祭りやそこで行われる儀式が目に余るようになっていたのです。そうではなく個々人がイエスの教えに出合い、永遠の命を得た者は「彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」というのです。
そして29節からのところで
「わたし(イエス)の父(神)がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父は一つである」と記されます。
このイエスさまと神さまが一つであるということが、今日の箇所の重要なポイントです。神さまとイエスさまが一つでなければ、私たちはいくらイエスさまに従っても永遠の命をいただくことができないのです。イエスさまと神さまはそれぞれ別の格を持っています。しかしこの2者は真実の愛をもって一つとなっておられます。真実の愛は互いに通じ合い、互いのいのちが交流し合います。それは、たとえば私たちも二人の別々の人が互いに愛し合い、その愛をもって一つとなっていく様に似ています。神さまとイエスさまは完全な愛をもって一致しています。
イエスさまは私たちを幸せに生きるように守り導いてくださいます。それは羊飼いが羊の群れを、危険のはびこる中を、命をかけて守り育てる姿に似ています。羊たちは羊飼いの声を聞き分け、その声に従っていきます。それと同じように私たちも毎日の生活の中で神さまの声を聞き分けることができるようになりたいものです。では神さまの声を聞き分けるにはどうしたらよいのでしょうか? 確実に言えるひとつのことは、私たちのすぐ近くにいる人々の声を聴くということです。神さまはさまざまな人との出会いを通して、私たちに語りかけ、歩むべき道を示してくださいます。
アメリカ長老派教会が出したカテキズム(教理問答)には、最初のページにはこう書かれてあります。私はこれを最初に読んだ時にものすごい感動を覚えました。
問1 あなたは誰ですか
答え わたしは神さまの子どもです。
私たちも、また私たちと出会うすべての人が神さまに属し、神さまの子どもなのです。まさに、今日読まれた箇所においてイエスさまが約束してくださっているのは、このことなのです。「だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」そして「だれも父の手から奪うことはできない。」私たちはただこの方の声に耳を傾け、この方に信頼してついていけばよいのです。そうです、イエスの羊とは、イエス・キリストの声に耳を傾け、イエス・キリストを遣わされた神の子、救い主として信じ、この方に信頼してついていく者です。私たちは普段の生活の中で自分自身のことさえどうすることもできないような者です。しかし、安心していいのです。イエスさまがこう言われるからです。「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」と。
イエスさまについていくことを妨げるのは人間の弱さではありません。むしろ、強さなのです。「羊飼いなんかいなくたってやっていける」「羊飼いなどいらない」と思ってしまう自信過剰です。あるいは、自分だけの幸せを求めてお願い事を突きつけて真実の神さまの声を聞こうとしない傲慢さです。どうぞそのことを心に留めて新しい1週間をここから歩み出しましょう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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