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- エキストラマイル
エキストラマイル 「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。」(マタイ5:41) このイエス様のことばは、義務付けられたことを義務付けられた分だけするのではなく、義務付けられた以上のことを自発的にするようにという勧めです。 一マイルを行くように強いられた場合、強いられたとおりに一マイル行くとしたら、強いられた者の心には強いられたことに対する不満が残ります。ところが、もし自分から進んで二マイル行くとしたら、それはもはや強いられた者の心ではなく、そこには自分から進んで自発的にする者の前向きな、解放的で、充実した心があります。 さて、世界に目を向けると、新型コロナウイルスの蔓延に続き、ロシアのウクライナ侵攻がもたらした西側諸国のロシアに対する経
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- グッドフライデー
グッドフライデー6 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。(1コリント1:18)第一コリント1章18節の御言葉は、イエス・キリストの十字架上での犠牲の重要性と力を深く反映し、また人類の救済における神の計画の核心をついています。これは単なる物語ではなく、私たちの存在と運命に影響を与える深遠な真理です。十字架上の主イエスの犠牲は、見る者によってその意味が大きく異なります。世俗的な観点からは、主イエスの死は敗北や失敗に見えるかも知れません。力や地位、また物質的な繁栄や成功を最も重要視する文化では、自己犠牲や無償の愛は理解しがたい愚かにさえ感じる概念です。しかし、信仰の目で見ると、十字架は神の力と智慧であり、無限の愛と救済の業の現れです。主イエスの十字架での
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- 人生は思い描いたとおりになる」
今日は、“人生は思い描いたとおりになる”ということを考えてみました。あなたは自分の人生を変えたいと思われたことはありませんか?きっと多くの人がそう思われた経験をお持ちでしょう。では、あなたの人生は、願うとおりになりましたか?それとも、願うようになりませんでしたか?もちろん、自分の願うとおりに人生が変わっていったという経験をお持ちの方もおられるでしょうが、多くの方があまり変わらない人生を歩んで来られたのではないでしょうか。それでは、なぜある人の人生は願うとおりに変わり、またある人の人生はそうならないのでしょうか?それは、心に思い描いているものが違うからです。つまり、こうなると心に思い描いていることと、こうなればいいなと願っていることとは、似て非なるものなのです。ニュ-ヨ-クの或る家庭に小児麻痺
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- 城壁の見張り人#14 : ハマスの息子
「ハマスの息子」今回のイスラエルに対する悲惨なテロを起こしたハマスの創設者の息子モサブ・ハッサン・ユーセフは1996年にイスラエル軍に捕らえられた後、クリスチャンになり、現在はアメリカに亡命しています。イスラエルを憎んでいたパレスチナ難民の息子であり、ハマスの創設者の息子として恵まれた生活をしていた彼がなぜ、ハマスを裏切ってアメリカに逃亡したのでしょうか。ユーセフ氏は、ある日エルサレムで聖書研究会に誘われ、新約聖書を読み始めた頃の体験を次のように語っています。「最初(マタイの福音書)から読み始め、山上の垂訓にまで来た時、『このイエスっていう男はすごい。イエスが言っていることはすべて美しい』と感銘した。私は新約聖書を置くことができなくなった。一節一節が、人生の中で負った私の深い傷に触れていくよ
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- ”アフルエンザ”という精神病
”アフルエンザ”という精神病 皆さんは「アフルエンザ」という言葉を聞いたことがありますか。なんとなく風邪の一種のような名前ですが、アフルエンス「affluence(裕福さ)」からの造語です。つまり、アフルエンス+インフルエンザ=アフルエンザというわけで、直訳すれば「裕福病」とでもなるでしょうか。 もっと、もっと、と多くの富を求め、常に成功を善として、そのための忙し味わえないことです。そればかりか、自分を取り巻く人々も、成功のための道具でしかなく、今ある人間関係が成功に役に立たないと思うと、怒り、相手を責め、その関係を壊してしまうのです。 例えば、「アフルエンザ」にかかった人が恋人と付き合うと、相手にもステータスを求め、それが無くなると別れてしまいます。なぜなら、恋人はブランド品と同じで、
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- 天の故郷を目指そう」
『天の故郷を目指そう』(へブル11:1-16) 松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭に、「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり」という有名な言葉があります。これは、月日というのは永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、また来ては去り、去っては来る年も、同じように旅人であるという意味です。 このように、人生が旅であり、私たちは旅人であるという考え方は、日本人には馴染み深いものです。しかし、日本の思想では、人生の旅の行き着く先が見えません。それに対し、聖書は、はっきりと行き先を示しています。それは「天の故郷」です。 パウロは「わたしたちの国籍は天にある」と書いていますが、クリスチャンの人生は常に天国を目指して進む旅であるということができます。そして、その旅を最も幸いな
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- 驚くべき聖書預言の成就」
今日は、”驚くべき聖書預言の成就”について考えてみました。聖書は巻から成っており、旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻です。また旧約聖書には23,214節、新約聖書には7,959節があります。聖書は、約40人の記者たちによって、100年の歳月をかけ、ヘブル語、アラム語、ギリシャ語を用い、アフリカ、アジア、ヨーロッパにおいて書き記されたものです。ところが驚くべきことに、こうした状況の中で書かれたものでありながら、その内容は、まるで一人の人が書いたように完全な調和と一貫した主題を持ち、少しも矛盾するところがありません。このような不思議な事があり得る唯一の説明は聖書の中に記されています。聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものである。(IIテモテ3:1)つまり、この聖句が意味することは、聖書は神の言
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- 母の日のメッセージ」
『母の日のメッセージ』歴史を通して偉大な人物となった人の背景には、必ず偉大な母親がいたということを私たちはよく耳にします。古代キリスト教の偉大な教父また神学者として有名なアウグスティヌスの陰には、彼を涙の祈りによって放蕩生活から立ち直らせた母モニカの存在が知られています。また18世紀、産業革命の只中にあった英国で、メソジスト教会の基礎を築いたジョン・ウェスレーと、兄を助け数千曲の讃美歌を作詞した弟のチャールズ・ウェスレーの陰には、謙遜で物静かで、祈りの人であった母スザンナの存在がありました。ジョン・ウェスレーは、その母スザンナについて語る時はいつも「私が妻を迎える時は母のような人を選びたい」と言いました。また中国の蒋介石元首に30年間も仕えていたオ・ムンギ将軍がこんな事を書いています。一度、
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- 怒りは感情の蓋」
今日は、‘怒りは感情の蓋’ということについて考えてみました。私たちは、あまりにも怒りが大きい時、自分の感情をコントロールできなくなることがあります。そして、その怒りを誰かにぶつけて相手を傷つけ、また自分も傷ついてしまうということはよくあることです。 そこで今回みなさんに知っていただきたいことは、‘怒り’というのは最終的な感情ではなく、その奥にある感情を感じないための蓋になっているということです。したがって、その奥にある感情を自分で感じ受け止めることで、誰かにぶつけることなく怒りという感情と上手く付き合っていくことが可能になります。私たちは何もなければ、腹が立つことはありません。怒る時には必ず理由があります。そして、その怒りの奥にまた別の感情があるのです。たとえば私たちは、「分かって欲しい」と
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- 人は誰でも変わることができる
人は誰でも変わることができる 一人の少年が、野球のバットとボールを持って裏庭に出ました。「僕は世界一のバッターだ」。彼は自分にそう言い聞かせて、ボールを宙に放り上げバットを振りました。しかし、結果は空振りです。彼は迷わずボールを拾うと、再び放り上げ「僕は世界一のバッターだ」と言いながらバットを振りました。また空振りです。 彼は、さらに集中力を高めながら再びボールを放り上げ、さっきよりも更にきっぱりとこう言います。「僕は世界一のバッターだ!」。そして。力いっぱいバットを振りました。三度目の空振りです。少年はバットを地面に置くと、満面の笑みを浮かべて言いました。「わかったぞ。僕は世界一のピッチャーなんだ!」 実に、見上げた姿勢です。彼は物事の明るい側面を見ようとしています。物事が思うようにい
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- 私が弱い時にこそ私は強い
私が弱い時にこそ私は強い「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリント12:10) 私が弱いときにこそ、私は強い。どうして弱いときに強いのでしょうか。弱い人は誰かに助けてもらい、自分以外の力がそこに加えられるからです。しかし、自分を強いと思っている人は、他者に頼ろうとしないので、誰の力も得ることができません。 しかし、実際には、強い人間などいないのです。人間は誰でも弱いものです。いろいろなものに依存しなければ生きていけません。これと言って問題のない人は、自分は自分だけでやっていけると思いがちですが、それは大きな間違いです。そういう人は、遅かれ早かれ、人生の壁にぶち当たり、嫌でもその事実を認めざる
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- キリストによる以外に救いはない
キリストによる以外に救いはない 1549年に、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て以来、多くのキリシタン大名が集団改宗をして、キリストを信じる人々が増えました。豊臣秀吉の宣教師追放命令が出されても、信徒の数は増え続けていきました。 江戸幕府になって、キリスト教禁止令が発布されてから、多くの殉教者が出ました。またその後、キリスト教弾圧のために檀家制度、つまり国民総仏教徒制度が出されます。 1873年になって、キリスト教禁止令は撤廃されましたが、クリスチャンは、日本において相当ひどい扱いを受けてきました。しかし本物のクリスチャンたちの心には、「イエス・キリスト以外に救いはない」という信仰が刻み込まれていたので、彼らはどんな迫害の中にあっても信仰を守り抜くことができたのです。 ところが最近のキリス
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- 救われるために洗礼は必要ですか?
救われるために洗礼は必要ですか? A. いいえ。救いはイエス・キリストにある信仰だけで十分です。あなたがしなければならない事は何ひとつありません。キリストがすべてをして下さったからです。しかし、洗礼はとても大切で、すべて信じる者は洗礼を受けるべきです。もしあなたが救われた後で洗礼を拒否するなら、あなたの回心は疑わしいものです。 B. 救われるためには洗礼が必要であると信じている教派もあります。そこで使われている議論は表面的には強力に見えますが、調べてみると、洗礼は回心の後にされるものであり、回心のための条件、あるいは条件の一部ではありません。たとえば使徒行伝10:44-47を取り上げてみましょう。ペテロが語っている間に、そのメッセージを聞いていたすべての人々の上に聖霊がくだりました。そして
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- 見逃しの三振」
見逃しの三振野球の試合を見ていて何が一番悔しいかというと、バッターがバッターボックスに立って一度もバットを振らずに三振をすることです。どんな球でもバットを振りさえすればヒットになる可能性があります。またランナーを送ったり、仲間にホームを踏ませたり、ホームランになる可能性だってあります。しかしバットを振らなければ、そのすべての可能性が閉ざされてしまいます。なのに、なぜバッターはバットを振らないのでしょうか?理由は簡単です。それはバッターが、飛んでくる球からヒットが見えないからなのです。つまり、バッターはその球を打つとアウトになるイメージを瞬間的に見てしまうので、アウトにならないためにバットを振らないのです。実際、打った球がどこに飛んでいくかは誰にも判りません。甘いストライク球でもアウトになるこ
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- 心の適正距離
心の適正距離 「わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さを担うべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。」 これは、新約聖書のローマ書15章1-2節の言葉です。ここで言われている強い人というのは、幅広い解釈が可能ですが、信仰によって本当の自由と確信が与えられた人のことです。なぜなら、人間の本当の強さは、そこにあるからです。そういう人は、弱い人の弱さを担い、その人の益を図って喜ばせてあげなさい、と勧められているのです。 このように、他者に対する愛の配慮はとても大切な聖書の教えですが、相手の本当の益のために何かをするということは簡単なことではありません。良かれと思ってする人助けの行為の中に、どれ
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- 逆境は人生の宝
逆境は人生の宝 木の切り株を見ると年輪がその木の樹齢を刻んでいますが、人間も歳を取ることを「年輪を加える」などと形容します。これは木の年輪から来ています。ところで、山にある木の切り株の年輪の中心は、真ん中でなく、北側に片寄っているのをご存知ですか。それは、日光と南風を十分に受けて育つ南側は年輪の目が幅広くなり、それだけ肉付きがよく成長するからです。反対に北側は、寒さから身を守るために、厚い皮をつけて戦います。したがって、年輪の目が幅狭く、中心がそちらに片寄るのです。ところが木が伐採され、用材として製材されるとき、太陽の光を受けて育った南側の部分は板になり、北風を受けて育った部分は柱になります。柱は家を建てる際に、最も重荷がかかり、大切な部分となります。材木でも、逆境で苦労して鍛えられてこ
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- 牧師室577:志の実現
志の実現皆さんは将来に志をお持ちですか? 将来に志を持つことは、年齢に関係なく非常に重要なことです。しかもそれが自分の欲から生じたものではなく神から与えられたものであれば、神はその志を実現させて下さるというのが聖書の約束です。ピリピ書2:13にこう約束されています。「 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」また口語訳ではこのように訳されています。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」たとえ志の実現が神の約束であっても、私たちが何もしないでいいというわけではありません。約束の地カナンを手に入れるために度重なる戦いをしながらカナンの地を征服したイスラ
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- “Mary, did you know?“
今日は、”Mary, Did You Know?”という歌をご紹介します。皆さんは、”Mary, Did You Know?”という歌をご存知ですか?これはMark Lowry とBuddy Greeneによって作詞・作曲されたクリスマス・ソングです。長きに渡って、世界中でさまざまなクリスマス・ソングが歌われてきましたが、この”Mary, Did You Know?”という歌は、この作詞者が幼子イエスの母マリヤに問いかけるという手法で歌詞が書かれています。ある日のこと、天使ガブリエルが処女マリヤのもとに現れ、彼女が男の子を産むと告げます。男の人を知らない自分にどうしてそんなことがあり得ましょう、と不思議がるマリヤに、天使ガブリエルはこう答えます。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があな
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- "三歳児までの生育環境"
よく、三つ子の魂百まで・・・などと言いますが、それは周知の通り、幼いころの性格は年をとっても変わらない、 という意味の諺です。つまり、「性格の基礎をつくる大事なお年頃」ということです。西洋でも、The child is father of the man、直訳すると「子供は大人の父である」という意味になりますが、これは「幼い頃の性質が、大人のときの性質の基盤となっている」というような意味で言われており、『三つ子の魂百まで』と同じ意味の諺です。つまり、それ程までに3歳ぐらいまでの生育環境は、その後の人生にとって大変重要な時期なのです。人間は3歳ごろまでに急速に脳細胞から配線が伸び、かなりの回路が作られると言われます。その配線を伸ばし、 回路を発達させるのは、外部から入ってくる刺激や環境、教育な
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- 神の国の割り算」
『神の国の割り算』神の国には、この世とは違う計算方式があります。たとえば、私たちが経験する「悲しみ」や「喜び」は、神の国の割り算の公式を用いると、「悲しみを二つに割れば半分に減り、喜びを二つに割れば二倍に増える」ということになります。割り算は、何をどのように割るかによって、その結果も変わります。 聖書の神は素晴らしい神です。ご自身の御子をさえも惜しまずに私たちの罪のために死に渡された神は、神の国の割り算を用いて、私たちにとって益となるものは増やし、無益なものは減らそうとして下さるのです。 ①神が分離されたもの神は、天地創造の時から今日に至るまで、様々なものを分離して来られました。それは神に属するものと属さないものとの分離であり、また神の創造の御業と秩序を示すための分離でした。まず天地創造

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
