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- 岩のドームとは何?
岩のドームは紀元691年にイスラム教徒がエルサレムの神殿のあった丘に建てた回教徒の神殿です。岩のドームは、回教徒の聖なる場所の一部で、エルサレムの中心地、モリヤ山として知られている場所の大部分を占めています。岩のドームは、その名をモリヤ山の一番高い所(ドーム)の上に建てられているという事実から得ています。モリヤ山はユダヤ教徒もクリスチャンもアブラハムが息子イサクを神にささげる準備をしたところとして信じています。(創世記22:1-14) そこはまた、エブス人アラウナの打ち場ともみなされていて、そこにダビデが主のために祭壇を築きました。(2サムエル24:18)また、紀元70年にローマ軍によって破壊されるまで、 ヘロデの神殿がそこかその近くに建っていた所でもあります。ある人たちは、岩は、ユダヤの神
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- 契約の箱とは何?
神はそのしもべモーセを通して、イスラエルの民と契約(条件付きの契約)を結ばれました。神は、彼らとその子孫の世代に、神と神の律法に従えば、良くしてやると約束されました。しかし、神は、もし彼らが従わなかったら、必ず、絶望、罰、離散となるとの警告をされました。 神の契約のしるしとして、神はイスラエルに神ご自身のデザインに従って、箱を作らせました。その中には十戒の書かれた石板が入っていました。 この大型の箱は、アカシヤ材で作られ純金でかぶせられていました。契約の箱は、砂漠をさまよっていた間は幕屋の一番奥の至聖所に納められ、結局神殿がエルサレムで建てられた時に、そこに納められました。この箱が契約の箱として知られています。契約の箱の本当に重要性は、”贖いのふた”で知られていたふたに関係してそこで行われた
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- 聖書には黒人の人たちのことが書いてありますか?
聖書は、誰かが、肌の色が黒いとは特に言っていません。聖書はまた特に誰かの肌が白いとも言っていません。 聖書の大部分は、イスラエルとその周辺の中東で起こったことです。その地方には、白人も黒人もふつういませんでした。聖書に出てくる大部分の人々は”セム族系”で、薄いか濃い茶色の肌をしていました。最終的には、聖書の中の人々がどんな肌の色をしていたかは重要ではありません。聖書のメッセージには肌の色は無意味なのです。私たちはみな肌の色に目を向けるのではなく、魂に焦点を当てる必要があるのです。ある学者たちは、モーセの妻チッポラは黒人だったのかもしれないと推論しています。彼女がクシュ人だったので。(民数記12:1)クシュはアフリカの地方の古い呼び名です。バテシェバは黒人だったと提案する人もいます。( 2サム
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- 詩篇82:6とヨハネ10:34で、「お前たちは神々だ。」というのはどういう意味ですか?
詩篇82から見ましょう。ヨハネ10:34で、イエス様が引用された詩篇です。詩篇82:6で「神々」と訳されているへブル語は、エロヒムです。ふつうは唯一まことの神のことですが、別の意味で使われることもあります。詩篇82:1では、「神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真ん中で、裁きを下す。」とあります。 次の三つの節から、”神々”ということばは、判事、裁判官などの権威と支配権を持つ人々のことだとわかります。人間の判事を「神」と呼ぶことは、次の三つのことを表します。 1) 彼が他の人間の上に立つ権威があること、2)彼が市民の権威者としてふるう権力は恐れられるべきである. 3)8節で 全地を裁くお方として描かれている神ご自身から彼は権力と権威を与えられている。“神“という単語が、人間のことに使われる例は
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- 中絶の後、癒しと回復を経験するにはどうしたらいいのでしょう?
悲しいことに、中絶をして後で後悔すると言うことはあまりにもよくある経験です。すでに起こったことを変えることはできない一方、中絶の後、癒しと回復を体験することはできます。すべての慰めと癒しの神は、中絶の悲しみと痛みを和らげる以上のことができるお方で、、女性の生活を快復させて喜びをもたらすこともできます。 .子供はいつでも祝福なのですが、必ずしも最も祝福された状況の下で生まれるわけではありません。婚前セックスの結果の一つが所望されていない子を妊娠することです。 これは、経済的、精神的、又は肉体的にそのような責任を持つ準備ができていない人にとっては、怖い経験になることも可能です。多くの女性や十代の娘たちで中絶をしようと決心する人は、怖がって、混乱していて、絶望的で、非常に傷つけられやすいのです。
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- 聖書は油注ぎについて何と言っていますか?
聖書に20回出てくる油注ぎの油は、旧約聖書では大祭司とその子孫の頭に注ぎかけるのに使われました。幕屋とその中の家具に油を注いで、それらが聖であり、主のために聖別されていることのしるしとしても使われました。(出エジプト記25:6;レビ記8:30;民数記4:16)三回、それは”聖なる注ぎの油”と呼ばれて、ユダヤ人はそれを個人的に使用するために調合するのを堅く禁じられていました。(出エジプト記30:32-33)その調合法は、出エジプト記30:23-24にあり、没薬と肉桂、その他の自然の材料が含まれていました。その油、又はその材料に 何か超自然的な力があったと言うしるしはありません。それよりもその油を作り出すガイドラインの厳しさは、イスラエルの従順さのテストと完全に聖なる神の現れを示しています。新
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- サドカイ人とパリサイ人とは誰ですか?
福音書はしばしばサドカイ人とパリサイ人について述べています。イエス様は彼らと対立し続けておられます。サドカイ人とパリサイ人はイスラエルの支配階級を成しています。 この二つのグループには似たところが多くありますが、重大な違いもあります。サドカイ人(またはサドカイ派):キリストの時代と新約時代には、サドカイ人は貴族でした。彼らは裕福で、祭司長や大祭司を含める権力のある地位を占めていました。彼らは、サンヘドレンと呼ばれるユダヤの最高議会の70席のうち大多数の席についていました。彼らは、ローマ帝国(この時、イスラエルはローマの支配下にあった)の決断に賛成して平和を保つことに努めていました。そして、宗教よりも政治に関心を持っていたようでした。なぜなら、彼らはローマに順応している裕福な上級階級だったので
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- 心理学と聖書的カウンセリングはどのように働くのですか?
この世の心理学は、シグモンド.フロイド、カール.ユング、カール.ロジャースなどの精神分析学者の教えに基づいています。反対に聖書的カウンセリングは、正直に、啓示された神のことばに基づいています。聖書的カウンセリングは、聖書はよい働きをするために神の子供を整えるに充分であると見ます。(第2テモテ3:17)聖書的カウンセラーは、人間の根本的問題は霊的なもので、それゆえ無神論者の心理学者はその人自身が霊的に死んでいるので、人間の状態についての本当の洞察力を持ってはいないと教えます。これに関係して、ふつう”クリスチャン.カウンセリング“と呼ばれるものは”聖書的カウンセリング”とは違います。クリスチャン.カウンセリングは、しばしばこの世の心理学を聖書に加えて用います。かと言って、クリスチャン.カウンセラ
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- パウロの宣教旅行とは?
新約聖書は、小アジアとヨーロッパにキリストのメッセージを広めた宣教旅行をパウロは三回していることを記録しています。使徒パウロは、教養のあるユダヤ人の指導者で、サウロと呼ばれていました。キリストの死と復活のすぐ後に、彼はキリストの教会を破滅させようと全力を尽くしました。キリスト教の初めての殉教者ステパノの処刑にさえもかかわりました。(使徒伝7:55-8:4) クリスチャンを見つけて牢に入れるためにダマスコに行く途中、パウロは主に出会いました。彼は悔い改めて、イエス.キリストを信じました。この体験の後、パウロは自分の人生を変える回心について、ユダヤ人にもクリスチャンにも説得しようとしました。多くの人は彼を疑い、彼を避けようとしました。しかし、バルナバなどのクリスチャンは受け入れて彼を弁護しました
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- 神はなぜパロの心をかたくなにされたの?
出エジプト記7:3-4は、「わたしは、パロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは手をエジプトの上に置き、大きな裁きによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。」と記しています。パロの心をかたくなにした後、神がその結果パロが決断したことでパロとエジプトを裁くのは義ではないように見えます。なぜ神は、疫病と災害を加えて、ただ エジプトをもっとひどく裁くためにパロの心をかたくなにされたのでしょう?まず第一に、パロは潔白でもなく、敬虔な人でもありません。彼は、イスラエル人、(当時1500万人以上はいたと思われるイスラエル人)のひどい虐待と圧制を指導していた残忍な独裁者でした。エジプトのパ
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- イエス様が律法を成就したが廃棄しなかったとはどういう意味ですか?
イエス様が律法を成就したが廃棄しなかったとはどういう意味ですか?答:マタイの記録、通常、山上の垂訓と呼ばれる記録の中に、イエス様のことばが記されています。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことにあなたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」( マタイ5:17-18)よく論議されるのが、イエスさまが律法を”廃棄”されなかったのなら、今でも律法には拘束力があるに違いないということです。従って安息日を守ること、その他モーセの律法の多くの要素も同じように今日でも働いているのだというのです。この仮定は、この箇所(マタイ5:17-18)のことばとそ
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- 私たちは罪を憎んで罪人を愛すべきなのでしょうか?
多くのクリスチャンが”罪を憎んで人を憎まず“というお決まり文句を唱えます。しかしながら、これは不完全な人間としての私たちに対する訓戒であることを悟らなければなりません。 愛することと憎むことに関して、私たちと神との間の違いは広大なものがあります。クリスチャンになってさえ、私たちは人間性において不完全で、完全に愛すことはできません。また完全に憎む(言い換えれば悪意なしに憎む)こともできません。しかし、神は神だからゆえに、この両方のことを完全にすることができるのです。神は、罪深い意図なしに憎むことができるのです。だから、神は罪と罪人を完全に聖なる方法で憎むことができ、その罪人が悔い改めて信じるとその瞬間に愛をもって赦すことができるのです。(マラキ 1:3;黙示録2:6;第2ペテロ3:9)聖書は明
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- クリスチャンは呪われるか?神は信者に呪いがかかるのをお許しになるのか?
聖書は、「逃げる雀のように、飛び去るツバメのように、いわれのない呪いはやって来ない。」(箴言26:2)と言っています。これは愚かな呪いには何の効果もないという意味です。 神は神の子どもたちに呪いがかかるのをお許しにはなりません。神は主権のあるお方です。神が祝福しようと定められた人を呪うほど力がある者は誰もいません。神は、裁きを下すことのできる唯一のお方です。“呪文”は聖書の中では必ず否定的に述べてあります。申命記18:10、11では、呪文を唱える者は、他の「主が忌み嫌われる」行いをする者、つまり自分の子をいけにえにする者、まじない師、呪術者、霊媒、死人に伺いを立てる者などの中に含められています。ミカ5:12は、神は魔術と呪文を唱える者を滅ぼすと言っています。黙示録18章は, 反キリストとその
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- 初代教会の父祖たちとはだれのことですか?
初代教会の父祖たちは三つの基本的部類に分けられます。 使徒時代の父祖たち、ニカイヤ以前の教会の父祖たち、ニカイヤ以後の教会の父祖たちです。使徒時代の父祖たちは、ローマのクレメントなど、使徒たちと同時代の人で多分使徒たちに教えられ、使徒たちの伝統と教えを 持ち続けた人たちです。第2テモテ4:21 に出てくるリノスは、ペテロが殉教した後、ローマの司教になりました。そしてクレメントが彼の後にその職を継ぎました。それで、リノスもクレメントも使徒時代の父祖とみなされます。しかし、リノスの書いた文書は残っていないようです。その代わり、ローマのクレメントの書いた物は多く残っています。使徒時代の父祖たちは、2世紀の初めごろにはほとんど舞台から消えて行きました。ポリュカルポスなどヨハネの弟子であったかもしれな
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- ユダはなぜイエス様を裏切ったの?
ユダがなぜイエス様を裏切ったか、絶対に確かには言えませんが、いくつかのことは確かです。まず、第一に、ユダは12弟子の一人に選ばれましたが、(ヨハネ6:64)聖書的証拠はすべて、ユダがイエス様を神だと一度も信じていない事実を指してます。イエス様がメシヤ(ユダの理解では)であることすら確信していなかったようです。 イエス様を”主”と呼んだほかの弟子たちとは違って、ユダはこのタイトルを絶対にイエス様に対して使っていません。その代わり、”ラビ“と呼んで、イエス様は教師 以外の何者でもないことを認めています。他の弟子たちは、時には偉大な信仰告白 と忠実を誓っていますが、(ヨハネ6:68;11:16)ユダは一度もしないで、沈黙を守っているように見えました。このようにイエス様に対する信仰の欠如が以下に記す
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- 契約の箱はどうなったのですか?
契約の箱がどうなったかという質問は、何世紀もの間、神学者、聖書研究者、考古学者たちを魅惑して来ました。君臨して18年目にユダの王ヨシヤは契約の箱の世話をしていた人々にエルサレムの神殿に箱を移すように命令しました。(第2歴代史35:1-6;第2列王記23:21-23)これが契約の箱の置き場所がどこか聖書が述べる最後の時です。それから40年後に、バビロンのネブカデネザル王がエルサレムを占領し、神殿を襲いました。 10年も経たないうちに、再度襲って来て、神殿の中に残っていた物を取り、それとエルサレムの町を焼き払いました。では、契約の箱はどうなったのでしょう?ネブカデネザルが持って行ったのでしょうか?町と共に破滅したのでしょうか?それとも、ソロモンの息子レハブアムが王の時代にエジプトのパロ、シシャク
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- クリスチャン考古学―なぜそれが重要か?
考古学ということばはギリシャ語の二つの単語から来ています。”古代の、昔の”という意味の “archae” 、と”知識”という意味の”logos” 、それで、”古代の知識、または学問”ということです。考古学者は、世界中を走り回って、博物館に収めるために古代の器具を探す インデイアナ.ジョーンズ.タイプの人とは違います。考古学は、過去の物品を探し出して文書にまとめたりして古代文化を研究する科学です。クリスチャン考古学は、キリスト教とユダヤ教、ユダヤ人文化とクリスチャン文化に影響を与えた古代文化を研究する科学です。クリスチャン考古学者は、過去について新しいことを発見しようとするだけでなく、私たちがすでに知っている過去と聖書の人々の風習、習慣の理解の進歩を確認しようとしています。 聖書とその他の書か
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- パウロが肉体に与えられた一つのとげとは何だったの?
パウロが肉体に与えられたとげが何だったのか、そしてそれがどんな物だったのかについては幾つもの推測が立てられています。それが絶え間ない誘惑だったとか、多くの反対者達だったとか、目、マラリア、偏頭痛やてんかんなどの不治の病だったとか、言語障害だったなど多くの考えがあります。一つわかっている事は、パウロの与えられたとげが何だったのか、はっきりと断言することはできませんが、身体的な物であった可能性が高いでしょう。このとげについて、はっきりしている事はパウロ自身が第二コリント12章7節で言っています:「そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。」まず、このとげの目的はパウロが高ぶることがないためだった
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- シオンとは何のこと?シオンの丘とは?聖書的なシオンへの理解はどんな物?
詩篇87篇2−3節には「主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。」と書いてあります。聖書で約150回登場するこのシオンという言葉はもともと「要塞」という意味があります。聖書に書かれているこの言葉はダビデの町であり、神様の町なのです。聖書を読み進めていくと、「シオン」という言葉の意味が物理的な町の名前から霊的な物に変わっていくことが読み取れます。「シオン」という言葉が最初に聖書で使われているのは第二サムエル5章7節です:「しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。」と書かれています。ですから、シオンとはもともとエルサレムの町の中にあったエブス人の要塞の名前だったのです。また、シオ
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- クリスチャンはこの世の音楽を聴いてもいいの?
上の質問は多くのクリスチャンが悩んでいることでしょう。この世のアーティスト達はとても才能にあふれていますから、この世の音楽を聴くととても楽しめるでしょう。この世の音楽にはとても耳に残るメロディーや、深い歌詞や、前向きなメッセージが含まれていたりします。この世の音楽を聴くべきかどうかを決める時に考えるべき点が三つあります。それは1)音楽の目的、2)音楽のスタイル、そして3)歌詞の内容です。1)音楽の目的。音楽は神様の礼拝のためだけのものでしょうか、それとも神様は私達が音楽を楽しむ事や音楽を通してなぐさめを得る事も意図して音楽を創造されたのでしょうか?聖書に書かれている一番有名な音楽家はダビデ王で、彼は音楽を主に神様を礼拝するために用いました(詩篇4篇1節;6篇1節、54節、55節;61篇1節;
- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......