イエス様が死なれた時に神殿の幕が上から下まで避けた事に何か意味はあるの?

イエス様の生きていた時代、エルサレムの神殿はユダヤ人の霊的生活の中心でした。この神殿では動物がいけにえとして奉げられ、モーセの律法に従って礼拝がされていました。ヘブル書9章1-9節では神殿では至聖所(地上での神様の臨在があった場所)と他の神殿の部分を幕が隔てていたと書いてあります。それは人類が罪のせいで神様から離れてしまった事(イザヤ59章1-2節)を示していました。大祭司のみが一年に一回この幕を通り(出エジプト30章10節;ヘブル9章7節)、神様の御前にでて全イスラエルの罪のためにとりなしをする事ができたのです(レビ16章)。ソロモンの神殿の高さは三十キュビトでしたが(第一列王記6章2節)、ヘロデがそれを四十キュビトにまで上げたと一世紀のユダヤ人の歴史学者フラウィウス・ヨセフスが書いていま

クリスチャンの女性が化粧をしたり、宝石を身に着けたりする事はよい事?

第1サムエル16章7節bには「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と書いてあります。第1テモテ2章9-10節に「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。」と書いてあるならば、パウロは女性が化粧をしたり、宝石を身に着けたり、髪を編んだりする事を禁止してはいません、むしろ外見が内なる人格よりも大事にならないようにと注意しているのです。ペテロは「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りに

メルキゼデクとは誰?

名前が「義の王」という意味をもつメルキゼデクはサレム(エルサレム)の王で、神の祭司でした(創世記14章18-20節;詩篇110篇4節;ヘブル5章6-11節;6章20節ー7章28節)。創世記に記されているメルキゼデクの急な登場と消失は不思議なところがあります。メルキゼデクとアブラハムが初めて出会ったのはアブラハムがケドルラオメルとその三人の仲間達を打ち破ったすぐ後でした。疲れ果てていたアブラハムと彼のしもべ達にメルキゼデクはパンとぶどう酒を与えて友情を示しました。いと高き神の御名を通してアブラハムを祝福したメルキゼデクはアブラハムに勝利を与えた神をほめたたえたのです(創世記14章18-20節)。アブラハムは分捕り物全ての十分の一をメルキゼデクにささげました。この行動を通してアブラハムはメルキゼ

神様との個人的な関係を持つとはどういう事?

神様との個人的な関係は私達が神様の必要を知り、自分が罪人であることを認め、信仰によってイエス.キリストを救い主として受け入れる事で始まります。私達の天の父である神様は私達親しい関係を持つ事をいつも望んでおられるのです。エデンの園でアダムが罪を犯す前に(創世記3章)、アダムもイブも神様を親密に、個人的に知っていました。園を神様と一緒に歩き、神様と直接話しをしていたのです。しかし罪の結果、私達人類は神様から離れてしまいました。多くの人が知らず、関心も持っていない事は、イエス様が御自身を信じる人達が神様と永遠を過ごす特権を与えて下さったという事です。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6章23節)。子なる神様が私たちの罪のた

大宣教命令とは何?

マタイ28章19-20節には大宣教命令と呼ばれている命令が書かれています。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」天国に昇って行かれる直前にイエス様が弟子たちにされたこの命令には、イエス様が使徒達、また使徒達の後に来るキリスト者達に望んでおられる事柄が含まれています。興味深い事に、ギリシャ語でマタイ28章19-20を読むならば命令されている行動は「弟子をつくる事」のみである事がわかります。大宣教命令は私達が世界に出て行きながら、また日々の生活を通して弟子作りをするよ

中間時代には何が起こったの?旧約と新約の間には何が起こったの?

旧約聖書が最後に書かれてからキリストが現れるまでの時間を「中間時代」と呼びます。この期間に神様からの預言が下らなかったので「空白の四百年」と呼ばれる事もあります。この四百年でパレスチナ地方の政治的、宗教的、社会的環境は大きく変わりました。多く起こった変化ですが、ダニエル書ですでに預言されている事でした(ダニエル2、7、8、11章参照)。紀元前532-332年までイスラエルはペルシャ帝国に支配されていました。ペルシャ帝国はユダヤ人が自らの宗教行為を行う事をある程度は許していました。神殿を再建し、そこで礼拝する事すらも許されていたほどです(第二列王記36章22-23節;エズラ1章1-4節)。この再建の時期は旧約時代最後の百年と中間時代最初の百年が含まれていました。この一見平和な時期は嵐の前の静け

聖書に書かれているつなぐ事と解く事の意味は何?

つなぐ事や解く事はマタイ16章19節に書かれています「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天でも解かれています。」この箇所でイエス様は特に使徒ペテロに、また他の使徒たちには間接的に話しています。これらの言葉でイエス様が意味しているのはペテロ本人が天の御国に入る権利があること、また与えられたかぎを通して権威がある事、また福音を伝える事がキリスト者達に対しては御国を開き、不信者達に対しては閉じる手段となる事でした。使徒の働きにはこれらの事が実際に起こった様子が記されています。ペンテコステの日の説教で(使徒2章14-40節)ペテロは天の御国への扉を開きました。「つなぐ」とか「解く」という表現はユ

十字軍とは何?

十字軍という歴史はキリスト信仰への反論の足台にしばしばなってきました。テロが十字軍へのお返しだと言うイスラム原理主義のテロリスト達もいるほどです。そもそも十字軍とは何だったのでしょうか?そしてなぜ十字軍はこれほどまでに問題視されているのでしょうか?まず十字軍は、”クリスチャン十字軍”と呼ぶべきではありません。十字軍の侵略に参加したほとんどの人達はクリスチャンとは言いながらも実際にクリスチャンではなかったからです。十字軍の行動によってキリストの名は乱用され、汚されてしまったのです。次に十字軍は西暦1095-1230年に起こった物です。何百年も前にクリスチャンと称する人たちが行った聖書的でない行動のために、今もクリスチャン達が責められるべきでしょうか?次の点はつたない言い逃れにしかなりませんが、

クリスチャンの夢の解釈?夢は神さまからくるものですか?

GotQuestions.org は、クリスチャンの夢の解釈をするサービスではありません。私たちは夢を解釈することはしません。私たちは、夢とその意味はその人と神さまとの間だけのものであると強く信じています。神さまは今も夢をとおして語られるでしょうか?神さまは、聖書全体をとおして、人々に何度も夢で語られています。ヤコブの息子ヨセフ(創世記37:5-10)、マリヤの夫ヨセフ(マタイ2:12-22)、ソロモン(I列王記3:5-15)、そしてその他数人の人たち(ダニエル2:1、7:1、マタイ27:17)などがその例です。そして使徒ペテロによって使徒行伝2:17に引用されている、預言者ヨエルの預言(ヨエル2:28)があります。そこには、神さまが夢を用いるとあります。ですから、単純な答えは、たしかに、神

宇宙人とか、UFOとかいうものはあるのですか?

「宇宙人」ということばは、道徳的な選択ができ、知性と感情と意思を持つ存在であると仮定しましょう。まず、科学的な事実から。1.人間は、冥王星以外の私たちの太陽系のすべての惑星に宇宙船を送りました。これらの惑星を観察したのちに、火星と、可能性として木星の月以外のところでは生命を維持することはできないとして除外しました。2.1976年に合衆国は2機の着陸船を火星に送りました。どちらも、火星の砂を掘り、生命のしるしがあるかどうか分析する道具を搭載していました。どちらの場合も、まったく何も見つかりませんでした。もしも、地球上でもっとも荒廃している砂漠や南極のもっとも凍結している土を掘ってそれらの土を分析したなら、そこには微生物がいることでしょう。1997年、合衆国は火星の表面にパスファインダーを送りま

なぜ神様はアブラハムにイサクをいけにえとして捧げるように命じたの?

アブラハムは神様との歩みの中で従順に神様に従った人ですが、創世記22章に記されている試練ほどに厳しい試練は他になかったのではないでしょうか。神様のアブラハムへの命令は「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22章2節a)というものでした。この命令を受けたアブラハムは驚きを隠せなかったに違いません。イサクは約束の子だったからです。しかしアブラハムはどう反応したでしょうか?アブラハムは即座にこの命令に従いました。命令を受けた次の日朝早くにはもうしもべ二人、ロバと愛する息子イサクをつれて、薪をもって出かけたのです。このような訳の分からないとも言える神様の命令

聖書は奴隷制度を許していますか?

奴隷制度を何か過去のものであるかのように見る風潮があります。今日世界で、概算して1千2百3十万人の人々が奴隷制度に従属させられているとされています。強制労働、セックス産業、相続財産としてなどです。罪の奴隷から解放されたものとして、イエス・キリストに従う者たちは、今日のこの世界で人間の奴隷制度を終わらせるために、真っ先に闘士となるべきです。しかし、質問がここで起こります。なぜ聖書は強く奴隷制度に反対する意見を率直に述べていないのでしょうか?事実、なぜ聖書は人間の奴隷制度を支持しているように見えるのでしょう?聖書は特に奴隷制度を非難してはいません。奴隷をどのように扱うべきかの指示はありますが(申命記15:12-15、エペソ6:9、コロサイ4:1)、その習慣を全部不法であるとしてはいません。多くの

クリスチャンは、心霊術をどう見ますか?

聖書は、降神術、霊媒、オカルトと心霊術を強く非難しています(レビ記20:27、申命記18:10-13)。星占い、タロット・カード、占星術、占い師、手相読み、交霊術の会も同じ分野に入ります。これらの儀式は、神々や霊やまたは亡くなった家族がアドバイスや導きを与えることができるというコンセプトに基づいています。これらの「神々」や「霊」は、悪霊です(IIコリント11:14-15)。聖書には、なくなった家族が私たちにコンタクトできるとか、したいとか信じるような理由は何一つありません。もし彼らが信者であったのなら、彼らは愛に満ちた神さまとの交わりの中で、想像しうる限りもっともすばらしい天国を楽しんでいるのです。もし彼らが信者ではなかったのなら、地獄にいて、神さまの愛を拒否し神さまに反抗したために終わりの

聖書には使徒たちの死の記録がありますか?ひとりひとりはどのような死に方をしたのですか?

聖書に記録されている唯一の使徒の死はヤコブです(使徒行伝12:2)。ヘロデ王がヤコブを「剣で殺した」と書かれていますが、おそらく首をはねたのでしょう。他の使徒たちの死の状況は、教会の伝承に基づくものしか知られていませんから、これら他の記録に関してはあまり重きを置くことがないようにしなければなりません。もっとも一般的に使徒たちの死の記録として受け入れられている教会の伝承は、イエスの預言の成就として、使徒ペテロがローマでXの形の十字架に逆さにはり付けられたというものです。次にあげるのは、ほかの使徒たちの死に関してもっとも普及している「伝承」です。マタイは、エチオピアで刀傷によって殉教の死をとげました。ヨハネは、ローマで迫害の波が起こったとき、煮え立った油の大釜の中で殉教するところでした。しかしな

神さまはなぜ、イスラエルをご自分の選民とされたのですか?

イスラエルの国について、申命記7:7-9は私たちにこのように語っています。「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたがたを贖い出された。あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる・・・」神さまは、罪と死からの救い主であるイエス・キリストがその民から生まれるようにイスラエルの国を選ばれました(ヨハネ3

クリスチャンはその土地の法律に従わなければなりませんか?

ローマ13:1-7はこのように述べています。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです、権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のために

なぜ、ユダヤ人とアラブ人・イスラム教徒はお互いを憎みあっているのですか?

最初に、すべてのアラブ人がイスラム教徒なのではなく、すべてのイスラム教徒がアラブ人ではないことを理解することが大切です。アラブ人の大多数はイスラム教徒ですが、イスラム教徒でないアラブ人もたくさんいます。さらに、インドネシアやマレーシアのような地域には、アラブ人イスラム教徒よりもうんとたくさんのアラブ人でないイスラム教徒がいます。第二に、すべてのアラブ人がユダヤ人を憎んでいるのではなく、すべてのイスラム教徒がユダヤ人を憎んでいるのでもなく、そしてすべてのユダヤ人がアラブ人とイスラム教徒を憎んでいるのでもないことを覚えておくことも大切です。人にレッテルを貼らないように、気をつけなければなりません。しかしながら、そうは言うものの、一般的に言ってアラブ人とイスラム教徒はユダヤ人を嫌い、信用しませんし

十戒とは何ですか?

十戒とは、イスラエルがエジプトから脱出したすぐあとに神さまからイスラエル民族に与えられた聖書の中にある10個の法律です。十戒は基本的に、旧約聖書の律法に含まれている、600以上の戒めの要約です。最初の4つの戒めは、私たちの神さまとの関係を取り扱っています。あとの6つの戒めは、私たちお互いの関係です。十戒は聖書の中の出エジプト記20:1-17と申命記5:6-21に記録されており、次のようなものです。 (1)「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」これは、唯一の本当の神さま以外の神を礼拝してはならないという命令です。すべてほかの神々はにせの神々です。 (2)「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるもの

神さまは、今日でも人々に幻を与えられますか?信者は幻をクリスチャンの経験の一部と期待しなければなりませんか?

神さまは、今日人々に幻を与えることができるでしょうか?そのとおり! 神さまは、今日人々に幻をお与えになるでしょうか?場合によっては。幻は、普通に起こることと期待すべきでしょうか?いいえ。聖書に記録されているとおり、神さまは何度も、幻を使って人々に語られてきました。実例は、ヤコブの子のヨセフ、マリヤの夫のヨセフ、ソロモン、イザヤ、エゼキエル、ダニエル、ペテロ、そしてパウロです。預言者ヨエルは幻のほとばしりを予言し、使徒ペテロは使徒行伝2章でこれを確認しています。幻と夢の違いに注目することが大切です。幻は、その人が目覚めているときに与えられ、夢はその人が眠っているときに与えられるものです。世界のあちこちで、神さまは広範囲にわたって幻と夢を使っておられるようです。ほんの少しか、またはまったく福音の

イエス・キリストの12弟子・使徒はどういう人たちでしたか?

「弟子」ということばは、「学ぶ人」または「従う人」を意味します。「使徒」ということばは、「送り出された人」という意味です。イエスが地上におられる間、12人は弟子と呼ばれていました。12弟子はイエス・キリストに従い、主から学び、主によって訓練されました。イエスが復活されたあと、イエスは弟子たちをご自分の証人として送り出されました(マタイ28:18-20、使徒行伝1:8)。そのあと、彼らは12使徒と呼ばれるようになりました。しかしながら、イエスが地上におられたときでさえも、弟子と使徒という言い回しはある程度同じように使われていました。それは、イエスが彼らを訓練し、送り出されたからです。もともとの12弟子・使徒たちは、マタイ10:2-4にあげられています。「さて、十二使徒の名は次のとおりである。ま

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help