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「新しいエルサレム」黙示録21:1-4.9-14 廣石望

エゼキエル書40:1-4; ヨハネの黙示録21:1-4.9-14I 大きな災いが人々を襲うとき、そこには何らかの意味で「人災」の要素があると感じる。 地球規模の気候変動に温室効果ガスの大量排出が影響しているなら、それは産業国のエゴだ。福島の原発事故は地震と津波がきっかけだった。しかし、そもそも都市部の電力需要を満たすためという名目で、多くの原発が地方に建設された。パンデミックの成立条件には原生林を含む自然破壊、大都市への人口集中、人とモノの高速大量移動が含まれる。ならば、単なる自然現象ではない。そして戦争や差別は人災の最たるものだ。 こうして、一部の富める権力ある人々が身勝手に描いたストーリーのせいで、世界の人々の上に、無数の死と悲しみと嘆きと痛みが降りかかる。 ヨハネ黙示録は紀元1世紀末こ

「わたしの記念として」Iコリント11:23-26 廣石望

出エジプト記24:1-11; コリントの信徒への手紙I 11:23-26I 使徒信条の第一項に、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあります。広く通用しているラテン語版では、「私は(一人の)神を信じる、(すなわち)全能である父、(かつ)天と地の創造者をCredo in Deum, Patrem omnipotentem, Creatorem caeli et terrae」です。日本語訳は、後ろから訳したのですね。 「全能である父」という表象について、とりわけフェミニスト神学において、家父長制が女性差別を正当化するのを助長してきた、という批判があります。しかし、もともと「父」とは慈しみ深い保護者というニュアンスです。それは、どんなときも共にいて、今ここで私たちに救いをもたらす現実です

「神の言葉に委ねる」創12:1-9 中村吉基

創世記12:1-9;ガラテヤの信徒への手紙3:1-18「私には浅はかな知恵しかなくて…」とか「私は非力で…」などと日本人はよく謙遜してものを言うことが美徳とされています。また一方で「才能がない」「力がない」おまけに「夢もない」などないないづくしで自分を見ている人がいます。自己肯定感が低いと言いますか、果たしてそうでしょうか? 実は神さまは私たちが生まれたときから私たちの人生を送るために必要なものはすべて私たちの中に備えていてくださいます。つまり私たちの内側にいくつもの種類の種が蒔かれていると考えていただければわかり易いかと思います。神さまはいつどのように皆さんを用いられるかわかりません。その一つの例を今日私たちは創世記から聴いてみたいと思うのです。アブラハムとその一族はカルデアのウルと言うと

「解放とゆるしと自由と」ルカ4:14-22 2021/01/23 中村吉基

旧約聖書:ネヘミヤ記 8:1-3,5-6,8-10 1新約聖書:ルカによる福音書 4:14-22私たちは、日曜日ごとに集まって礼拝を捧げ、その中でみ言葉に聴いています。また、毎日家で聖書を読んでいる人も居られると思いますが、そのことにどんな意味があるのでしょうか。聖書は古代ユダヤの精神風土、文化、歴史的背景のもとで1500年以上にわたって書かれたものです。その中には歴史書、諸文学、大小の預言書などそして今日わたしたちが聴きました福音書やパウロの手紙などの書物がありますが、私たちがいつでも聖書を紐解いて規則正しく読んでいるのは、すべて歴史を知るための書として、私たちはイエス・キリストという人物が2000年前に「存在していた」ことを知るために、このような営みを繰り返しているのでしょうか。そうでは

「先が見えないような時にも」イザヤ2:1-5 中村吉基

イザヤ書2:1-5;ローマの信徒への手紙13:8-14今日私たちが聴いた神の言葉はイザヤの預言からです。イエスさまが生まれる700年以上も前に活躍していた預言者です。この世界が終わりの日を迎えるその時、だれもがエルサレムに行って、神の神殿で礼拝したくなるというのです。シオンというのはエルサレムのことです。このエルサレムを2節で「主の神殿の山」と表現していますが、この山は世界で一番高い山で、天に近く、エルサレムこそが天と地を結ぶ場所であると言うのです。だからこそ誰もが「さあ、神の山に登ろう」とします。ヤコブというのはイスラエルの別の呼び方です。そして「神の家」とはエルサレムにある神殿のことです。そこで、厳密な意味では「律法」を神から授かるのですが、私たちの新共同訳聖書では、3節の半ばにあるよう

「何事にも時がある」コヘレト3:1-8 中村吉基

コヘレトの言葉3:1-8;テサロニケの信徒への手紙(一)4:13−18今日私たちは、先に天に召された聖徒の皆さまを記念しつつ、礼拝を捧げています。3年ぶりに代々木上原教会に連なるすべてのご遺族の方々、関係者の方々をお招きし、こうして神を礼拝できるさいわいを感謝いたします。この1年の間にも、4名の聖徒たちが天の父のもとへと旅立たれました。さて、聖書の時代の平均寿命はいったい何歳くらいだったのでしょうか。当時の一般庶民に関する資料はほとんどないと言ってもいいでしょう。しかし王が亡くなった記録は残っています。前926~597までの王たちの寿命を見ると、21~66歳(平均44歳)であることが分かっています。いわゆる「お世継ぎ」としていのちを特別に守られてきた王たちでさえ、こんなに短い生涯だったのです

「光は暗闇の中で輝いている」 ウクライナ避難者支援活動の現場より ヨハネ1:5 横山由利亜

申命記24:19-22;ヨハネによる福音書1:5みなさん、おはようございます。本日はよろしくお願いします。新宿区四谷にある日本YMCA同盟というところからまいりました横山由利亜です。YMCAは日本全国、現在300拠点近く、世界には120の国と地域にあります。その日本のローカルと世界、グローバルをつなぐ連結ピンのような役割を持つところで、30年ほど職員をし、主として紛争、災害、貧困等の人道支援を担当してきました。今日は「インターナショナル・サンデー」に貴重なお時間を頂き、心から感謝申し上げます。私は三鷹教会の会員ですが、キリスト教と出会ったのは東京女子大学です。代々木上原教会と縁の深い村上伸先生に大変にお世話になりました。村上先生を通して、物事の本質や真実に辿り着こうとするならば、短絡さに抗う

「あなたがたは神の家族です」エフェソ2:14-22 宮島牧人(原町田教会)

レビ記19:34;エフェソの信徒への手紙2:14-22 わたしが牧師になるために神学校に通っていた時のことです。赴任先が決まった最終学年の夏、1年間実習教会としてお世話になった横浜市中区にあるなか伝道所の牧師、渡辺英俊(「えいしゅん」と呼んでいました)さんに挨拶に行きました。「1年間お世話になりました。茨城県の牛久市にある牛久教会に行くことになりました」と報告しましたら、英俊さんがこう言いました。「牛久には入管の収容所がある。マタイによる福音書25章に『旅人に宿を貸し、牢にいたとき訪ねてくれたのはわたしにしてくれたことだ』(マタイによる福音書25章)とイエスが言っているが、入管では旅人の外国人が牢のようなところに入れられているからそこを訪ねなさい」。それが入管収容所のことを知ったきっかけです

「聖霊によって歩む」2024/04/28 中村吉基

エゼキエル書36:24-28;ガラテヤの信徒への手紙5:13-25神は天地創造の最後に人間をお造りになりました。神にかたどって、神に似せて人を造ったのだと創世記1章は伝えています。その際に神は人間に自由に生きる道を与えてくださいました。ただそれは「放縦」すなわち好き勝手に生きることではありません。コリントの信徒への手紙Ⅱ3:17には「主の霊のおられるところに自由があります」と記されています。それを明らかにしているのが今日のガラテヤの信徒への手紙に示されています。パウロは霊(聖霊)に導かれて生きることこそが自由に生きることなのだと言います。パウロは14節、「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」と言っています。彼はローマの信徒への手紙においても「人

「主よ、献げます」ヨハネ12:1−8 中村吉基

イザヤ書43:16−21;ヨハネによる福音書12:1−8受難節には普段以上に神のみ言葉に耳を傾けることが勧められています。神のみ言葉は私たちには余りあるほど語られています。主イエスのみ教えでは私たちを愛してくださっている神に立ち返る「悔い改め」が説かれています。そしてみ言葉をただ聴くだけではありません。神のみ言葉を私たちの生活のただ中で人生の手引きにして、行動を起こすことが求められています。深い祈りと共に私たちの回心がなければ信仰を成長させることはできないのです。今日の聖書の箇所、ヨハネによる福音書の直前の部分になりますが、11章の終わりのところで、イエスを憎む祭司長たちや律法学者たちは何とか殺そうと企みます。いよいよそれを実行する時が来たとばかりに、彼らは示し合わせていました。主イエスは人

「備えあれば憂いなし」ルカ12:32-40中村吉基

創世記15:1-6;ルカによる福音書12:32-40「小さな群れよ、恐れるな」。この主イエスの言葉は弟子たちに向けられて語られました。その当時の主イエスの一門は、吹けば飛ぶような小さなグループでした。そのころのユダヤ社会にはすでに大きくて力のあるグループがたくさんありました。律法学者やファリサイ派、神殿で権力を持つ祭司長、議会と結びついた長老たち、ユダヤの社会では馴染みのある人々であり、社会に生きるほかの人々にも影響を与えていた人々です。ところがそれに比べてイエスの宗団はとても小さなもので、数からしてもそれらの大グループとは比較になりませんでした。社会の中での彼らの影響力はほとんどゼロに近いものでした。弟子たちには、さまざまな人々がいましたが、極めて人間的な見方をすれば、インテリがいたわけで

「神の小羊イエス・キリスト」堀尾 隆 ヨハネ1:29-34

イザヤ書53:6-7;ヨハネによる福音書1:29-34私たち自身が、これまでに見たことや聞いたことなどの体験、そして、いろんなことを通して知ること、理解できたこと、整理できたこと(してきたこと)など…こういったことは、神を通して、つまり聖霊の働きによって、とても大きな証言になって、力強いメッセージとなっていくということがわかります。本日の聖書に登場する洗礼者ヨハネは、まさに、そのように自分で見たことや聞いたことを証しした人でした。今日のみ言葉で洗礼者ヨハネは言っています。「わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」の「見た」という言葉、そしてもう一つ、「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊

「教会を信じる」ガラテヤ3:26-29 中村吉基

イザヤ書65:1−9;ガラテヤの信徒への手紙3:26-29日曜の朝、教会から帰った息子が、いきなりお母さんにこう言いました。「ママ、ぼく、大きくなったら、牧師さんになることにしたよ」。「それはいいわね。」お母さんは喜びました。「でも、どうして牧師さんになろうと思うの?」「あのねどうせ日曜日には教会に行かなきゃいけないんだし、それに、じっと礼拝で座って退屈しているより、立ってガミガミ言っていたほうが面白いだろうなって思うんだ」。私たちは2週前に聖霊降臨(ペンテコステ)を祝いました。そして今日から今年のアドヴェントまでの半年は「教会の半年」と呼ばれ、クリスマスやイースターなど聖書に記されている祝いの祭りのない期節に入ります。しかしこの半年には、平和聖日や世界聖餐日、神学校日、宗教改革記念日、聖徒

「最初の弟子たち」ヨハネ1:35−52 中村吉基

サムエル記上3:1−10;ヨハネによる福音書1:35−52先週の箇所から物語は続いていきます。洗礼者ヨハネの2人の弟子が主イエスに従って行きました。洗礼者ヨハネは主イエスを指差して「神の小羊」だと言いました。他方で、数人の男たちが、洗礼者ヨハネがメシアであるのかを尋ねるために、エルサレムから彼の所へ遣わされました。彼は、「私はその声です。」と言いました(1:23)。そして自分が来たのは、人々にメシアが来られることを告げるためだけだと言ったのです。その翌日、洗礼者ヨハネは主を見て、人々に言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」(29節)だと。罪を取り除くために、メシアは罪なき小羊のように死ななければなりませんでした。メシアは、私たちが自分の罪のためにさばかれないように、ご自分の命を捨て

「永遠の命の言葉」ヨハネ6:60-71 中村吉基

ヨシュア記24:14−24;ヨハネによる福音書6:60-71今日の箇所は、ヨハネによる福音書6章の最後の部分になります。この6章の冒頭には、「5つのパンと2匹の魚」の話として知られているたいへん大勢の人たちが、主イエスに食べ物を与えられるという奇跡物語が記されています。主イエスはこの頃、どこへ行っても人々が押し寄せてくる、今でいう「追っかけ」とか「推し」でしょうか。それが「大勢の群衆が後を追った」(6:2)とあります。6章10節には男ばかりで5千人とありますから、女性たちや子どもたちなどを含めれば1万人を超える人たちが集まっていたことでしょう。どこに行ってもついてくる人たちに、もう主イエスや側近の弟子たちは疲れ果てていました。一方で、この6章(新約174頁から)を貫くテーマは、主イエスが「天

「本当の豊かさとは?」ルカ12:13-21 中村吉基

コヘレトの言葉1:2,12-14,2:18-23;ルカによる福音書12:13-21ユダヤ教の指導者ラビは、単にその教えを伝えることだけでなく、人々の生活の中で起こるさまざまなアクシデントやトラブルの相談にものっていました。今日の箇所には自分にも遺産を分配してもらえるようにと、主イエスに調停してくださいと願い出てきます。しかし、主イエスはこれを拒み、どんな欲望にも注意を払い、警戒するように教えられています。そして一つのたとえ話を話されました。私は、主イエスは「天晴れ」だと思います。見事だと思うのです。なぜなら相談されたことを逆に、神の国の福音を伝える良い材料に変えてしまわれるからです。私たちは長々と待つのが苦手です。銀行のATM、スーパーのレジ、病院の待合室などなど。そこにいると「我先に、我先

「あきらめない」マタイ15:21-31 中村吉基

列王記下5:1-14;マタイによる福音書15:21-31アメリカの聖公会の礼拝に何度か出席したことがあります。礼拝の司式者が「主の祈り」を共に祈る際に、このように会衆に呼びかけます。「救い主キリストが教えられたように、大胆に祈りましょう」私たちが祈るときには「大胆に(bold)」祈ることが求められています。果たしてそうなっているでしょうか。時にはヒソヒソと、ある時はコソコソと、またある時はショボショボと祈ってはいないでしょうか。祈りはオロオロ祈るものでもありませんし、ハラハラしても、ドキドキしてもダメです。はたで聞いていて胃がシクシク痛むような祈り、ああ祈ったかと思えば、このこともクドクドと祈る。フラフラしていてもダメです。今日の箇所に出てくるカナンの女性の祈りは「悪霊に苦しめられている娘を

「誘惑に打ち勝つ力」マタイ4:1-11 中村吉基

申命記35:15-20;マタイによる福音書4:1-11先週の水曜日、教会では灰の水曜日と呼ばれる日から受難節(レント)が始まりました。受難節は四旬節ともいいますが、この「四旬」とは「40」という意味です。「旬」というのは、よく上旬、中旬、下旬と言うように10日間を表します。それが4つだから「40」。40日間の期節です。聖書の中には「40」という数字は象徴的な数字としてよく出てきます。ノアの(箱舟)洪水が40日40夜続いたとあります。モーセはシナイ山に40日とどまり十戒を神から授けられました。エジプトで奴隷になっていた神の民は荒れ野を40年進みました。エリヤはホレブ山に40日かけて登りました。そして今日の福音にある主イエスは40日40夜、荒れ野で過ごしました。灰の水曜日からイースターの前の日ま

「イエスの指し示す道」ヨハネ14:1-12 中村吉基

サムエル記下1:17-27;ヨハネによる福音書14:1-12以前のこと、台北を旅した時にこんなことがありました。信号のない大きな交差点の下に、立派な地下道が通っていました。交差点の地下が円形の広場のようになっていました。そこを歩いていたとき、突然停電になりました。外国でのことでしたし、いったい何が起きたのかと驚き、私は慌てました。地下道でしたから視界がゼロになったのです。今まで経験したことのないような不安を覚えました。大勢の人の声は聞こえてきます。しかし、私には理解できない言葉で何を言っているのか、判らないのです。何も見えない真っ暗闇でした。前がどこで、後ろがどこで、左も、右も判らない。二人の友人が一緒に歩いていましたが、彼らがどこに行ってしまったか判らない。今、ここで火事が起こるかもしれな

「少女よ、起きなさい」マルコ5:21-24a.35-43 廣石望

列王記上17:17-24; マルコによる福音書5:21-24a.35-43I 今の世界では、弱い立場の人々の命が軽んじられている。 パンデミックの中で、世界に医療格差があるのは周知のとおりだ。最近の報道では、2020年3月から今年6月までの間の日本で、コロナ禍の影響下で自死した人が推計で約8000人あり、その中で最多なのが20代女性であり、19歳以下の女性も多いとのこと(共同通信8/17)。非正規雇用や行動制限などが与える深刻な経済的・心理的な打撃から、彼女たちは守られていない。 ロシアのウクライナ侵攻が開始されて、半年になろうとしている。かつては兄弟国と名乗っていた隣国の軍隊がウクライナの多くの町々を瓦礫に変え、多数の民間人を殺害している。TVで見た、逃げ込んだ地下壕で「死にたくない」と涙

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He will mail it out from Jerusalem.
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Emmanuel

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