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- 「インマヌエル」マタイ1:18-25 中村吉基
イザヤ書7:10-16;マタイによる福音書1:18-25 毎週の礼拝でマタイによる福音書から聴き続けています。今日の箇所は、マタイによる福音書が伝える、イエス・キリストの誕生の記事です。しかし、ここに主イエスは登場しません。マタイの描くクリスマスの記事は、ヨセフに光を当てて語りはじめられます。クリスマスの物語の中で、ヨセフの存在はあまり脚光を浴びたものとは言えないでしょう。もちろんクリスマスはイエスの誕生が中心ですから、イエスや母マリアのほうにスポットを当て、ヨセフはかたわらにいる存在としてイメージされることが多いでしょう。今日の箇所では、マリアと婚約をしていたヨセフがそれを聞いて動転するという場面です。二人の婚約は、ルカによる福音書によれば〈いいなずけ〉(1:27)とされています。これは結
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- 「私たちを導く声」ヨハネ10:1-10 中村吉基
エレミヤ書50:4-7;ヨハネによる福音書10:1-10今日のヨハネによる福音書、イエスさまのたとえ話に羊が出てきます。羊というのはおとなしいイメージで素直で、従順な動物のように思いますが、実際にはなかなか言うことを聞かず、群れから離れてしまったりして、意外に扱いにくいのだそうです。イエスさまがなさったたとえ話には、100匹の羊の群れから1匹の羊が迷い出るというものもあります。ですから羊飼いは羊に対していつも細心の注意を払っていなければなりませんでした。かつてパレスチナでは、羊のオーナーたちは共同で羊小屋を所有していました。羊たちを夜の冷気に当てないようにその小屋に入れたのでした。オーナーは羊飼いを雇って、羊の世話をさせます。クリスマスの記事にも「羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの
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- 「かみさまのもとにいる幸せ」ルカ15:11-31 なかむらよしき
創世記39:1-10;ルカによる福音書15:11-32今日は子どもとおとながいっしょに、小さい子どもからお年寄りまでがここに集められて礼拝をお捧げしています。イエスさまはみんながいっしょに神さまをさんびして、「神さま、ありがとう」って感謝できることをお喜びになっておられます。みんなが今、一番欲しいものは何ですか。ゲーム?…服?…アニメの本やDVD? さまざまなものがほしいよね。クリスマスを前にサンタさんにお願いしましょうか。さて、今日のイエスさまのお話には、ある時、ある家の次男の息子が、お父さんに「僕がもらうはずのお金を今すぐ分けてください」と言いました。お父さんの財産を分けてもらうのは、お父さんが亡くなってからだと決まっていたからです。お父さんがまだ元気で生きているのに、お金をもらいたいと
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- 「神様のお弁当」 ヨハネ6:1〜15 久保彩奈
出エジプト記16:11-16 ; ヨハネによる福音書6:1-15要約時は過越祭が近づく季節の昼下がり。イエスはガリラヤ湖の湖畔に来られ、向こう岸に渡りました。そして、その姿を見た大勢の群衆も、イエスの後を追い、ぞろぞろとついて行きました。それは、すでにイエスが行っていたしるしを、人々も知っていたからでした。誰かが「なぜあの方の後を追うのですか?」と聞いたものなら、「君は何も知らないのか?あの人はベトザタで、38年もの間、病気に苦しんでいた人をいやしたらしいぞ」、「私は足が不自由だったのに、あの方と話した後に起き上がり、床を担いだ人を知っているわ」などと話していたかもしれません。ついて行く人がいれば、またそれを見てついて行く人ができる。まるで雪だるまのように膨らんだ大勢の群衆が、イエスの後を追
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- 「これに聞け――神は今ここにおられる」ルカ9:28後半-36 中村吉基
創世記15:5-12,17-18;ルカによる福音書9:28後半-36アウシュビッツの強制収容所の経験をしたエリ・ヴィーゼルというルーマニア(当時はハンガリー)出身で、アメリカで活躍したユダヤ人作家がいます。彼の小説「夜」にはナチス親衛隊による収容所での子どもの処刑の場面が次のように描かれています。「三人の死刑囚は、いっしょにそれぞれの椅子に登った。・・・『自由万歳!』と二人の大人は叫んだ。子供はというと、黙っていた。『神さまはどこだ、どこにおられるのだ。』わたしのうしろで誰かがそう尋ねた。・・・二人の大人はもう生きてはいなかった。・・・そしてわたしたちは、彼をまっこうからみつめなければならなかった。・・・わたしの後ろでさっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた。『いったい、神はどこにおられるのだ。』
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- 「イエスにつながろう」ヨハネ15:1-10 2022/01/30 中村吉基
イザヤ書27:2−6;ヨハネによる福音書15:1−10今日の箇所で主イエスはぶどうの木を用いてたとえ話をしています。美味しいぶどうを豊かに収穫するために、思い切って枝葉を切ることがあります。花も同じですね。チューリップでもカサブランカでも、良い球根にするために、花が咲いたところで切ってしまいます。私たち素人が見るとせっかく花を咲かせたのにもったいないという気持ちになりますが。2節のところにもこう書いてあります。 わたし(イエス)につながっていながら、実を結ばない枝はみな、父(神)が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。農園の主人である神は、主イエスにつながっている私たちを放っておくことはありません。枝も葉も伸び放題のままにはされません。それは
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- 「向き合う者として」マタイ2:13-23 中村吉基
創世記2:18-25;マタイによる福音書2:13-23今年の最初の礼拝をご一緒に捧げる恵みに感謝します。この礼拝に参列されておられるお一人お一人に神さまの恵みが豊かにありますようにと願います。私たちはクリスマスを喜びのうちに祝い、キリストの光の中で、降誕節を過ごしてきました。けれども、今日の箇所では生まれたばかりのイエスにヘロデ王の迫害の手が及んできたことを伝えています。そしてヨセフはイエスとマリアとを連れて、エジプトに避難するのです。やがてヘロデが亡くなりますが、その息子が跡を継ぎます。ヘロデの息子アルケラオの支配が及ぶユダヤ地方を避けて、ヨセフの一家はガリラヤのナザレに住まいを定めます。ヨセフはどんな思いで幼子を守り抜いたのでしょうか。マタイによる福音書はエジプトから再びイスラエルに帰っ
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- 「私の隣人とは?」ルカ10:25-37 中村吉基
申命記30:9-14、ルカによる福音書10:25-37ある教会に発達しょうがいを抱えた子どもが来ていました。その教会の教会学校のメンバーです。その教会では礼拝の後にサンドイッチとかおにぎりとか飲み物を教会の中で売っているのですが、ある時、その子が3つほどのものを買って300円ほどの金額でしたが、計算機を取りだして計算し始めたのです。それを見ていたあるおとながその子に向かって「なんでこんな簡単な計算ができないの?」と言いました。それでその子はとても傷ついてしまいました。深く傷ついてしまったのです。教会に来ても、一切ものを買わなくなってしまったのです。やがてその子は教会の近くのコンビニで昼食を買って来るようになりました。親が電車に乗る時に使うプリペイドカードにお金を入れておいて、そのカードが使え
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- 「宗教改革とエキュメニズム」ガラテヤ3:26-28 藤原佐和子
申命記30:11-14;ガラテヤの信徒への手紙3:26-28宗教改革記念日の礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。「宗教改革とエキュメニズム」と題してお話をさせていただきます。私は現在、日本基督教団、日本福音ルーテル教会、日本聖公会などの7つの教団とキリスト教系団体が加盟する、日本キリスト教協議会(NCC)の働きにかかわっています。NCCは「今この時に、神は私たちに何を求めておられるか」について教派を超えて共に考え、行動しようとするエキュメニカル運動の調整役を担うものです。「教派を超えて」ということですが、私自身は日本福音ルーテル教会というルター派の教会のメンバーです。ですが、私は曽祖母、祖母、母から信仰を受け継いだ4世代目のクリスチャンでもあり、家族の中で最初に受洗した曽祖母は、日本
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- 「新しく生まれる」ヨハネ3:1−17 中村吉基
ヨハネによる福音書3:1−17「夕べがあり、朝があった」とは、創世記第1章の神が天地を創造される物語に何度となく記されている言葉です。ユダヤの暦は日没から翌日の日没までを一日を数えますから、「夜が来て、朝が来る」と表記されることは何ら不思議なことではありません。私たちは「朝が来て、夜を迎える」ことに慣れています。しかし、今日の記事に登場するニコデモという人は、夜になるのを待って主イエスのもとへと訪ねてきました。2節に「ある夜、イエスのもとへ来て」とあります。ユダヤであってもやはり人を訪ねるのは日中だったでしょう。しかも、「ある夜」とあります。すぐに読み飛ばしてしまうような言葉ですが、福音書の記者は、その出来事が夜であったことをあえて特別に記しているのです。なぜニコデモは夜にやってきたのでしょ
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- 「旧いものからの脱却」マタイ21:12-16 中村吉基
マタイによる福音書21:12-16去る1月20日、アメリカでは大統領就任式が行われ、ドナルド・トランプ氏が第47代大統領に就任しました。その翌日にワシントンの聖公会のワシントン大聖堂において「国民のための祈りの礼拝」が開かれました。アメリカは政教分離の国ではありますが、国家の行事は聖公会に委託されています。事実上の国教であると言われた方もおりましたが。この大聖堂はナショナル(国家の)大聖堂とも呼ばれるのです。つい先日もこの教会でカーター元大統領の葬儀が営まれたばかりです。この「国民のための祈りの礼拝」は聖公会信徒だったフランクリン・ルーズベルト大統領が就任した1933年以来、続けて行われてきた伝統があるのだそうですが、キリスト教各教派だけでなく、イスラム、ユダヤ、モルモン、ヒンドゥー、シーク
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- 「わたしたちの祈り」マタイ6:1-15 中村吉基
列王記上18:20-39;マタイによる福音書6:1-15私たちが最も親しんでいる祈りはおそらく「主の祈り」ではないでしょうか。礼拝やさまざまな場面で祈った経験があるでしょう。毎日この祈りを捧げておられる方もいらっしゃるでしょう。この祈りは、世界共通です。どの教会の礼拝においても「主イエスが教えてくださった祈り」として祈られています。しかし、キリスト教の歴史が始まったころの原始教会では必ずしもそうではありませんでした。洗礼を受けるための準備の学びを、時間をかけて行い、その最終段階で初めて口伝えにより教えられたのです。「天にまします……」とひそひそ声で、クリスチャンになるものだけが知ることを許された「秘密の祈り」でもありました。今はそうではありません。いつでも、どこでも祈られます。ですから私たち
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- 「教会へ託された3つの働き 」マタイ9:35~38 2022/02/20 陶山義雄
イザヤ書35:5−10;マタイによる福音書9:35−38中村吉基先生の休暇中、本日と、来週(27日)の礼拝を担当することになりました。16回にわたり、「山上の垂訓・講解説教」でお話しましたが、昨年の3月21日に完結して以来の講壇(礼拝担当)です。これより、マタイ福音書記者が主として第10章の中に収めたイエスの「使徒職授与と派遣の説教集を、私が礼拝を担当する時にテキストとして取り上げたいと思います。第Ⅰ説教集である「山上の説教集」と、これから始まる第Ⅱ説教集との関連はマタイ記者自身が、本日のテキスト冒頭にある9章35節で簡潔に伝えています「イエスは町や村を残らず回って、1.会堂で教え、2.「御国の福音を宣べ伝え、3.「ありとあらゆる病気や患いを癒された。」この短い纏めの内、1.「会堂で教え」、
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- 「わたしたちは一つの体」コリントⅠ 10:14-22 中村吉基
コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:14-22今日は世界宣教の日、世界聖餐日です。毎年教団から「共に仕えるために」という派遣している宣教師、日本に来られた宣教師や各地の教会を紹介した冊子が届けられます。日本キリスト教団は今、世界6か国に9人の宣教師を派遣しています。また今赴任してくださる牧師を求めている教会・集会や教団との関係を保っている群れが9つあります。今海外の教会は能登半島地震の被災地などで被害に遭われた方がたに多くの祈りと支援を寄せてくださっています。ここにも神の愛が行われています。そして世界聖餐日はこうしたすべての国々にあるキリストの教会が連帯して、今日の礼拝で聖餐を祝います。私たちがのちほどパンと杯に与る時に、世界の教会に連なる一員であることを喜び、また2000年前のクリスチャンたち
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- 「聖者と悪霊」マルコ1:21-28 木村幸
士師記13:6-7;マルコによる福音書1:21-28 現代を生きる人々の間に今やインターネットは欠かせない。どんな距離でも人と繋がることができるネット社会。その反面、匿名性の高いコミュニケーションは心無い言葉の応酬にもなりがちである。ネット上でひとたびバッシングが始まると大変な集団性が発揮され、個人に対する言葉のリンチともなり得るのは周知の通りである。 そんな社会で育ってきた若者らを見ると、言葉の応酬自体をしない人が増えていると感じる。つまり「いいね」しか要らない。肯定意見だけが聞きたい。そうでないものは削除して即ブロックだ。ブロックとは特定の相手との連絡を遮断してしまうSNS上の機能である。ネット上でも実生活においても、こうした人間関係の持ち方で心の平安を保つのが賢明な過ごし方であるらしい
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- 「たましいの食事」ヨハネ21:1-14 中村吉基
詩編30;ヨハネによる福音書21:1−14今日の箇所は復活の主イエスが、ティベリアス(ガリラヤ)湖畔で炭火を起こし、魚を焼いて、パンも用意されている。主イエスは十字架にお架かりになる前の晩に、御自ら弟子たちの足を洗ってくださったことを彷彿とさせますが、ここでも主イエスが弟子たちをもてなしてくださっています。漁に出て疲れていてへとへとになっている弟子たちを優しくいたわってくださる主イエス。なんと愛に満ちたお姿でしょうか。私たちもその食事を共にさせていただきたいと思わないでしょうか。しかし、羨ましくこの光景を頭の中に描く必要はありません。なぜなら主イエスのもてなしやいたわりは今この礼拝の場でも、皆さんを交えて繰り広げられているのです。主イエスはもう3度も弟子たちの前に現れています。弟子たちは、夜
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- 「一人より二人」ルカ10:1-9 中村吉基
イザヤ書66:10-14;ルカによる福音書10:1-9私たちはどのようにして主イエスに出会ったのでしょうか? 私たちはある日突然、教会に通いだし、洗礼を受けたのでしょうか。今日はまずそれぞれに自分の信仰の歩みを思い出していただきたいのです。突如として、主イエスに出会いたい、教会に行きたいと門を叩いたのでしょうか。多くの方の場合、そうではないと思われます。私たちと主イエス、私たちと教会、そして私たちが洗礼の恵みに与ったのも、ほとんどすべてにおいて「導いてくれた信仰の先輩」がいたのではないでしょうか。教会に行くことを誘ってくれた人、聖書をプレゼントしてくれた友、そして信仰の手ほどきをしてくれた教会の方々など、私たちが信仰の道に入ることのきっかけとなったことには、ほとんど必ずと言っていいほど、誰か
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- 「復活は作り話?」マタイ28:11-15 中村吉基
イザヤ書65:17-25;マタイによる福音書28:11-25先週はご一緒にイースターの礼拝を捧げました。今日の箇所はその続きのところからです。マグダラのマリアを始めとする人々は、主イエスが納められていた墓の前に呆然と立ち尽くしていました。墓を覆っていた重い石は横に転がされて、墓に納められていたはずの主のご遺体はありませんでした。そこに現れた天使がこう言いました。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確
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- 「主は羊飼い」マタイ8:23-24 中村今日子
詩篇23:1-6;マタイによる福音書8:23-24今私の画面の後ろに映っているのは、沢山の羊と、その羊と一緒に旅をしている羊飼いの写真です。 今でも、羊を連れて、夏は高い山の方で生活して、冬になると下の低い土地に戻ってくる人たちがいます。そして冬が終わると、また涼しい山に羊を連れていき、夏が終わると羊たちを連れて戻ってくる。こうして、羊たちが暑さや寒さで病気にならないようにするのだそうです。聖書には、羊飼いが羊を守ってくれるように、神様が私たちをいつも守っていてくださる。と書いてあるのです。 私は去年の10月に、一人でイタリアのアッシジという丘の上にある町に行きました。そこは、フランシスコという人が、今から800年ほど昔に、自分の物は何も持たず、神様にすべてをささげる生活をした場所
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- 「来て、見なさい」ヨハネ1:35-42 2022/01/02 中村吉基
エレミヤ書 29:11-14;ヨハネによる福音書 1:35-42皆さん、新年おめでとうございます。こうして礼拝から新しい年を始められることを感謝しております。今日私たちに届けられた聖書の言葉は、今年の「日々の聖句」(ローズンゲン)の1月の聖句「イエス・キリストは言う。来てごらんなさい」(39節)に掲げられているものです。この最初の礼拝で共に聴きたいと願います。この箇所の最後に記されてあるのですが、シモンという男が、兄弟のアンデレに連れられて、主イエスのもとにやってきました。主イエスは彼を見て、「ケファ」と呼ぶことにされたのです。これは「岩」という意味です。日本語で言ったら「巌」さんなどといったところでしょうか。ギリシャ語では「ペトロ」と言います。こうして、シモンはペトロという名を主イエスから
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- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
