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- 幸いと不幸
⇒「幸いと不幸 今日は「敗戦記念日だ。59年前のこの日のことを、最近よく思い起こす。 私は当時、八王子にあった陸軍幼年学校の生徒だったが、学校は既に8月1日深夜の空襲で消失し、生徒たちは焼け残った物置などで雨露を凌いでいた。15日になって、「正午に玉音放送があるから校庭に集まれと命じられた。炎天下、直立不動の姿勢でラジオ放送に耳を傾けたが、雑音がひどくて中々聞き取れない。時々「耐え難きを耐え、忍び難きを忍びとか、「万世のために太平を開かんと欲すといった言葉、不思議な抑揚のある天皇の声が聞こえてきた。要するに内容がよく掴めなかったから、その受け取り方もさまざまだった。「日本は負けたんだと言う者がおり、「いや、もっと頑張って戦い抜けと言われたんだと言う者がいた。私はといえば、猛暑のためにほとんど
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- 思い悩むな
⇒「思い悩むなIイエスはこの箇所で、弟子たちに向かって、三つのことをしてはいけないと言い、それに代えて三つのことを行なうよう勧めています。その第一は、衣食住のことで「思い悩むな(22、29節)、むしろ「(カラスや野原の花のことを)考えてみよ(24、27節)というものです。第二のペアは、「何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない(29節)、むしろ「ただ、神の国を求めなさい(31節)というもの。その際、新共同訳の「考えてはならないは意訳で、原語では「求めてはならないとあります。つまり飲食を求めるな、「神の国だけを追求しなさいという対比があります。そして第三のペアは、「恐れるな(31節)、むしろ「(自分の持ち物を)売り払って施せ・・・(33節)です。こうして「~するな、むしろ~しなさいという
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- いちばん上になりたい者は
⇒「いちばん上になりたい者はIいまギリシアではアテネ・オリンピックが開催されていて、日本選手が大活躍しています。みな「いちばん上になりたいと思い、厳しいトレーニングを重ねて大会に臨んでいます。私たちはそれをテレビで眺めながら楽しんでいます。いちばんを目指すことそれ自体はたいへんよいことであると思います。私たちもまた、少なくとも自分が得意とする領域、職場や家庭で責任を持っている領域において、それなりに有能でありたいと願っています。広い意味での向上心や、努力の結果を認めてほしいという願いは、現代人にとってのみならず、古代人にとっても自然な感情でした。もっとも、国際ビジネスに発展したスポーツの世界が巨大な利権の集まる場所であり、オリンピック招致をめぐる賄賂のやりとりをはじめ、選手のドーピング、ある
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- 神秘を告げる
⇒「神秘を告げる 私は、今年に入ってから4回、葬儀の司式をした。城崎照彦さん(2月7日)、堀江久さん(3月22日)、原村静子さん(6月18日)、そして鈴木栄さん(8月15日)である。その度に、「死について改めて厳粛に考えさせられた。この後、11月14日には「召天会員記念礼拝が予定されている。そこで、この期間は「生と死についてを総合テーマに説教したいと考えている。 エリザベート・キュブラー・ロスという精神科医(スイス生まれの女性、アメリカで活躍)が、多くの臨死患者、とくに子供たちの最期を看取った経験をもとに『死ぬ瞬間』(On Death and Dying,1969年)という本を書いた。読まれた方もあるだろう。 それによると、死が避けられないということが分かったその時から実際に死ぬまでの精神状
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- キリストと共に復活する
⇒「キリストと共に復活する私が今回行くところは、旧東独チューリンゲン州のヴァイマールという美しい町である。ドイツを代表する文豪ヨーハン・ヴォルフガンク・ゲーテ(1749-1832)が住んで、盟友フリードリッヒ・シラー(1759-1805)やヨーハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)らと共に「古典主義による文芸活動を活発に展開した所である。ゲーテはヴァイマール公国の政治家としても活動したから、当時のヨーロッパで第1級の文化人がここに集まった。そういうわけで、先日火事で貴重な資料を焼失したという有名な図書館も含めて、この町は「ユネスコ世界文化遺産に登録されている。我々の関係で言えば、「ドイツ東亜伝道会」が120年前に(1884年)ここで創立されたことも、この町の自由な文化的雰囲気と
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- 隣人を愛する
⇒「隣人を愛するテレビで、あるクレジット会社のコマーシャルが放映されています。お父さんが息子と渓流に魚釣りに行ったり、奥さんと子どもを連れて海外旅行に行ったりする場面が現われます。そして、どの品物を買うためにいくらお金を支払ったかを次々に数え上げた後で、こう言うのです、「お金で買えないものがある。買えるものは○○カードで。私は笑っていいのか、泣いていいのか分かりません。まるで、「お金がないと、お金で買えない幸せも手に入りませんよと言われたようで、腹が立ちます。また、モノを買い与えてやる相手である子どもや妻は、所有によって達成される、〈夫/父親/男〉としての「私のアイデンティティーの一部と見なされていて、何だか気分が滅入ります。何れにせよ、このコマーシャルは、「幸福の証明は所有にあり!というメ
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- 私を信じる者
⇒「私を信じる者I キリスト教の中心には、〈死せるイエスは神の命の中に起こされた〉という復活信仰があります。しかしこの信仰告白を、〈死人が息を吹き返す〉という意味に理解するなら、そんなことは普通ありえません。実際にそんなことが生じたら、私たちも驚くことでしょう。そもそもキリスト教会は、死者を生き返らせる秘術を教える宗教団体ではありません。では、先ほど読んだ箇所で、イエスが「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる(ヨハ11,25)と言うのは、どういう意味なのでしょう。II この発言は、ラザロの復活という物語のなかに現われます(ヨハ11章)。エルサレム近郊のベタニア村に住む姉妹マリアとマルタが人を遣って、兄弟ラザロの病気についてイエスに知らせるのですが、イエスはなかなかラザロを見
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- 福音のために共に苦しむ
⇒「福音のために共に苦しむ 出発前の説教でも触れておいたが、ヴァイマールは、ドイツ文化が最も美しい花を咲かせた場所の一つとして、バッハやゲーテ、シラーの名と共に、あるいは「ヴァイマール共和国や「ヴァイマール憲法の名と共に永く記憶されるべき所である。だが、この古き善き伝統は、残念ながら1930年代に国家社会主義(ナチズム)によって破壊された。このことを語るとき、我々日本人の心の中にもある悲哀の感情が湧く。何故なら、日本も似たような過去を共有するからである。「ベルリン-東京枢軸の時代、天皇を神とする超国家主義によって日本でも、そしてとくに日本が支配したアジアの近隣諸国において、多くの古き善き伝統が無残に破壊された。 ナチズムがヴァイマールに代表されるドイツの古き善き伝統を破壊したことの象徴は、当
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- 最も重要な掟
⇒「最も重要な掟旧約聖書の律法には、神がイスラエルの民に命じた掟が、全部でいくつ書いてあると思いますか。ユダヤ教の学者たちが数え上げました。全部で613あるそうです。そのうち248が「~しなさいという命令、365が「~してはならないという禁令です。たくさんありますね。そこであるとき、律法の専門家がイエスに尋ねます、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。するとイエスは、こう答えます。「第一の掟はこれである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(マルコ12,29-30)。この言葉は、じつは「シェマ―(聞け)という名の有名なお祈りの出だしなのです(全体は申6,4-9;11,13-
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- 苦しみと慰めの共有
⇒「苦しみと慰めの共有 10月12日(火)の早朝、埼玉県の山奥で7人の若い男女が車の中で集団自殺をしているのが発見された。ほぼ同じ頃、横須賀でも二人が死んでいる。昨年ごろから話題になっていた「ネット心中だが、これほどの人数が一度に死んだのは今回が初めてで、我々は衝撃を受けた。しかも、この中には若い母親もいて、「ごめんねという遺書をわが子に残している。暗澹とした気持ちになる。 インターネットには「自殺志願者サイトなるものがあり、希望の日時や場所、方法などを示して仲間を募っているという。こういう方法で、見ず知らずの男女が集まり、練炭の一酸化炭素を使って一緒に死ぬのは、今や流行になった観さえある。 よく、人は自殺を考えても最後の決断がなかなかできず、躊躇するものだと言われる。だから「ためらい傷など
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- 『出会い』から何が始まるか-姦淫の女の話から学ぶ-
⇒「『出会い』から何が始まるか-「姦淫の女の話から学ぶ- 「出会いから何が始まるかという題で、皆さんと共に代々木上原教会の日曜礼拝を守りたいと思います。 「出会いから何が始まるか。私自身の若き日以来、一人のキリスト者として半世紀に渡って若き人々と学びを共にし、また多くの方々との様々の触れ合いの中で生きてきて、深く気付かされたことを、主としてヨハネ8:1-11をご一緒に学ぶことを通して考えてみたいと思います。 青春のとき(青年期)は、まさに人間としての第二の誕生のときです。私自身そうだったのですが、自分の内そして外の世界がいろんな意味で見え始めます。人間らしく生きるとはどういうことか、これで良いのか、世の中は間違っているのではないか、疑問が雲のように湧いてきてどうしようも無く大揺れに揺れる。し
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- イエスの命が現れるために
⇒「イエスの命が現れるために ギリシャでは、朱色の地に黒の文様が描かれた独特の古代の陶器の破片が多く出土する。私の想像だが、パウロはコリントに滞在中、日常生活の中でそれらの焼き物を使い、時には床に落として壊したりもしたのではないか。そこから、弱さ・脆さを抱えた人間存在を「土の器に譬えたのだろう。むろん、旧約聖書にも被造物の脆さを陶器に譬える伝統がある。「死ぬはずのこの身(11)というのも同じ意味だ。 先週、新潟県の中越地方を大地震が襲った。忍耐強い越後の人々がこれまで営々と築き上げてきた生活基盤は一挙に崩れた。人間は体だけでなく、その生活全般にわたって「土の器」のように脆いものだと痛感する。科学技術の粋を集めて建設された新幹線は脱線して使い物にならなくなり、道路は寸断され、山は崩れ、電気も水
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- 日々新たにされる
⇒「日々新たにされる先週、我々は「土の器に過ぎないが、その中に素晴らしい「宝、つまり神の「並外れて偉大な力を納めているということを考えた。「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れる(11)。また、「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させてくださる(14)。それを受けて、パウロは今日のところで、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます(16)と言う。 「外なる人とは何か? 前の段落に出てくる「土の器、あるいは「死ぬはずのこの身のことであろう。「我々の肉体と言ってもいい。そう取れば、前半の「外なる人が衰えていくという言葉の意味は、「我々の肉体が弱っていくということになる。これは現実
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- 天にある住みか
⇒「天にある住みか今日は「召天会員記念礼拝」である。週報の裏にお名前が書かれているのは正規の会員だけだが、もちろん、この他の多くの懐かしい人々も、忘れることはできない(名を挙げる)。これらの方々を記念するために、我々はここに集まっているのである。さて、先ほど朗読した聖書の中で使徒パウロは、我々の地上の生活は、身体という「幕屋」、つまり「テントに住んでいるようなものだ、と言っている。新潟県中越地震の被災者たちの多くは、今も繰り返し襲ってくる余震に怯えながら、この寒空の下でテント暮らしを強いられているが、ちょうどそのように、我々はこの世にある限り、身体というテントに住んで「苦しみもだえ」(2)、あるいは、「重荷を負ってうめいている」(4)。だが、時が来れば、我々は「体を離れて、主のもとに住む」(
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- 恵みを無駄にしない
⇒「恵みを無駄にしない ここしばらく、私は「生と死ということについて説教して来た。しかし、「召天会員記念礼拝も先週終わり、来週からは待降節(アドヴェント)に入るので、この主題は今日で一応終わりにしたい。 先週の説教で私は、鈴木秀子さんの言葉を引用した。「人々はこの世を去る準備として人生最後の仕事をするようです。それは自然との一致、自分自身との仲直り、他者との和解という作業です。臨終を迎える人は、明瞭な言葉で表現することは最早できないとしても、死の現実を自然の一環として受容し、自分自身を受け容れ、仲違いしていた人とも和解するという最後の仕事に心を注いでいるものだ、というのである。この最後の「祈りを、残された者は真剣に受け止めて引き継がなければならない。その時、人生は質的に変わる。 鈴木正久牧師
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- イエスは子ろばに乗って
⇒「イエスは子ろばに乗って アドヴェントに入り、クランツの蝋燭に一本火が灯された。今日は『日々の聖句』に従ってマタイ21, 1-9について語りたい。マタイはここで、旧約のゼカリヤ書9,9を引用している。メシアが「ろば」に乗って来る、と預言されている箇所だ。21日の礼拝後に皆さんと靖国神社の「遊就館を見学した際に考えたことも、これと無関係ではないし、24日の「祈り会では、ゼカリヤ書9章を学ぶことになっていた。このめぐり合わせは、我々に何か重要なことを暗示しているように思われる。 そこで、今日のテキストであるマタイ福音書21章に目を向けよう。主イエスはこの直前の20章18節で、「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦
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- 解放の時が近い
⇒「解放の時が近い 今日はアドヴェント第2主日。私たちは主イエスの誕生を待ち望む喜ばしい時の真只中にいる。それにしては、今日のために指定された福音書は余りに不吉だ。「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべも知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである(25-26)。だが、アドヴェントに、このような言葉を読むことにも深い意味がある。今朝はこのことについて話したい。 そもそも「アドヴェントという言葉は、「到着するとか「接近するという意味のラテン語 advenio から来ている。主イエスの誕生を「救い主が到来した出来事と捉えたキリスト教会が、クリスマス前の4週間を「ア
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- 来たるべき方
⇒「来たるべき方 ヨハネは聖書に何人もいるが、ここに登場するのは「洗礼者ヨハネ」である。ルカによると、彼はイエスよりも6ヶ月前に生まれたという。だが、彼は単に時間的に先に生まれたというだけでなく、イエスの道備えになるような生き方をした。いわば「先駆的な」預言者である。歯に衣着せずに真実を語って人々の魂を揺り動かし、悔い改めの洗礼へと導いた。このことはマタイ3章7節以下に詳しい。だが、イエスが伝道を始められた時、ヨハネは既に囚われの身であった(3,12)。なぜ捕えられたのか? 恐らく、マタイ14章に記されている事件と関係があったのであろう。「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕えて縛り、牢に入れていた」(14,3)とあるように、この逮捕はヘロデの意志であった。ヘロデ
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- マリアの賛歌
⇒「マリアの賛歌 ルカ福音書1章29節によれば、天使がマリアに受胎を告知したとき、彼女は「戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだという。これは当然だろう。彼女は「ヨセフという人のいいなずけ(27)ではあったが、まだ結婚したわけではない。身ごもったことが知れれば、ヨセフは何と思うか? それに、心ない噂が周囲に広がるかもしれない。あれこれ思って、彼女の心は不安に襲われたであろう。この辺の微妙な事情をヨセフの立場から書いたのがマタイだった。「ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した(1,19)。 だからこそ、マリアは必死の思いで天使に反問したのである。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに(34
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- 時が満ちると
「時が満ちるとIクリスマスは、救い主イエス・キリストの降誕を祝う、キリスト教会が最も大切にしている祭りの一つです。クリスマスになると一年は終わりを迎えます。仕事や学校から解放されて、休むための時間が与えられます。それは、単に疲れたからだを休めるためではありません。むしろ、心を休めるための時間、私たちに与えられた時の大切さについて静かに思いをいたすための時間です。クリスマスのキリストは赤ちゃんです。町でも教会でも、クリッペ(飼葉桶)と呼ばれる飾り付けがなされます。そこでは家畜小屋の中で、羊や牛に囲まれた貧しい身なりの若い夫婦が、家畜の飼葉桶に寝かされた赤ん坊を静かに見つめています。そしてしばしば、外国からやってきた3人の博士が贈り物を携えて、赤ん坊のキリストの前にひざまずいています。赤ちゃんの

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
