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- 明日のことを思い悩むな
⇒「明日のことを思い悩むな」村上 伸創世記28,10-19a ; イエスはガリラヤの貧しい民衆の中で、貧しい人々と共に生活していた。この人々にとって最も切実な関心事は、今日食べるパン・今日飲む水・今日身にまとう衣類といった基本的な問題であった。「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」(マタイ福音書6章31節)というのは単なる言葉ではない。民衆が、そしてイエス自身も日ごとに体験していた切実な不安だったのである。むろん、不安は今日もある。日本は豊かな社会になったと言われるが、一旦何かが起こると足元に潜んでいた不安が姿を現わす。昨年3月11日のは正にそれであった。多くの被災者は文字通り「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」と思い悩んだであろう。今も時々、
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- 人を義とする神
⇒「人を義とする神」廣石 望イザヤ書56,1-8 ; I この世界で起こっていることを見るとき、楽観的に未来を信じて生きることは容易でないと感じることがありえます。 強い者が思い上がりからか、あるいは「責任」という名の既得権益を失うことへの不安からか、どう見ても合理的とはいえない決断を下すのを、政治家たちは止めることができません。 福島県の乳幼児約2000人の尿を検査したら、140人ほどから放射性セシウムが検出されたと聞きました。あるいは福島第一原発の破壊された4号機の燃料プールでは、冷却装置が作動しない状態が、これまで何度か生じているとのこと。原発の再稼働に対する国民の不安は理由のないことではありません。なのに、官邸前に集まった数万人の市民を前に、首相は「大きな音がしますね」と発言したとい
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- 信仰の追認識
⇒「信仰の追認識」関田 寛雄創世記15,4-6 ; このたびはお導きによりまして代々木上原教会の礼拝に参加することができ、兄弟姉妹とともに礼拝を守ることができる光栄を感謝しております。 個人的なことで恐縮ですが、私は代々木上原教会とは学生時代に深いかかわりを持たせていただきました。当時は赤岩栄先生でした。信仰上の問題を抱え、迷い続ける神学生であった私は、赤岩先生の書かれた「私はイエスを裏切らない」や「永遠の探求」という書物に本当に刺激されまして、何度かこの教会にうかがったことがあります。 最初にうかがった時に玄関で迎えてくださったのは善野碩之助先生でした。今川崎で百歳近いお歳を迎えていらっしゃいますがお元気です。最初の礼拝で私の右に座っておられたのが、今思いますと椎名麟三さんでした。萬岳
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- 愛と信頼の呼び名
⇒(MP3, 32kbps)「愛と信頼の呼び名」陶山 義雄出エジプト記3,11-15 ; 聖書には神を表す言葉が幾つか存在しています。翻訳された聖書には、私たちが用いている新共同訳聖書でも、「神」についての呼び名は、本日、テキストとしているローマの信徒への手紙8章15節に記された「アッバ」だけが、そのまま固有名詞として残されているのですが、神についての他の呼び名については、すべて「神」と言う言葉に翻訳されているので、違いが分らないようになっています。私たちは、殊更、呼び名の違いに注目する必要は無いかも知れません。呼び名が何であれ、神は神なのですから、変わることはないように思います。先ほどお読みした旧約聖書・出エジプト記3章はモーセが、神から奴隷解放の指導者となって、エジプトに捕らわれている
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- 抵抗の詩(うた)
⇒「抵抗の詩(うた)」山口 雅弘 ; ルカ福音書17,20-21 私が仕えていた前の教会では、毎年7月の末頃に、子どもたちの「ひまわりキャンプ」という1泊2日のキャンプを行なっていました。子どもたち一人一人が、神の光と愛に照らされヒマワリのように育ちますようにという祈りを持って命名しました。そのキャンプの時ですが、いつものように子どもたちが私のひざに乗り、肩車のように肩に乗って遊んでいました。その内に、数名の子どもが私の髪の毛をいじって遊び始めました。すると担当者の1人が、「そんなことをしたらだめよ。先生の髪の毛が抜けて無くなっちゃうじゃない」と言うのです。そこで私は、「いいよ、その内に髪の毛がなくなるので、遊べるのも今の内だよ」と言いました。すると担当者が「そうですねー」と言うのです。「そ
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- 世界と人間
⇒「世界と人間」廣石 望イザヤ書28,23-29 ; I 今日は「地球環境のために祈り、考える礼拝」です。 私たちは、環境破壊は時間をかけてゆっくり進むと思ってきました。今の快適な生活を続けていれば、例えば二百年後の地球環境にどのような影響が出るのか。そうしたことについて科学者の予測を聞き、そうならないために何をすべきなのかを考えてきました。そのときの問題のひとつは、自分が直接関与しない遠い将来の世代のために、いま生きている人々に対して、どのような説得的な動機づけを提示できるかということでした。 しかし原子力発電所の爆発事故による放射性物質の大量放出というできごとは、環境破壊がゆっくり来るだけでなく、突如として到来するものでもあることを示しました。まるで「盗人が夜やって来るように、主の日は来
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- 心の塩
⇒「心の塩」廣石 望エレミヤ29,4-14; I 今日は平和聖日です。バビロンに捕囚の民となった民族同胞に向かって、預言者エレミヤが次のように語りかけたと伝えられています。あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば、私に出会うであろう。(エレミヤ29,12) このときイスラエル民族は、およそ平和とはかけ離れた状態にありました。その同胞に向かって預言者は、異郷の地で「平和」に生きることを勧めます。家を建てる、果樹を植える、妻をめとり家庭を築く、人口を増やす、捕囚となっている町のために祈るなどです。「その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(29,7)。 また預言者は、「将来と希望を与える」という「平和の計画」についても語ります。「主はこう言
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- 神の選び
⇒「神の選び」廣石 望申命記7,6-13; I そもそも人は何によって救われるのでしょうか? この問いにユダヤ=キリスト教の宗教伝統は、いくつかの典型的な答えを与えてきました。例えば、神の約束を受けた民族に生まれることで、よい行いをすることで、神への信仰によって、生まれ変わることによって、神の選びによってetc…。 いま述べたいくつかの救いのコンセプトは、使徒パウロの信仰の歩みをなぞったものです。それらを辿りながら、私たちがそこから学べるものが何であるかを考えてみたいと思います。 II 民族宗教としてのユダヤ教には、二つの柱があります。ひとつはアブラハム、イサク、ヤコブという神の約束を継承する共通の祖先をもつこと、つまり血縁共同体であることです。もうひとつは、先ほど朗読した申命記の聖書箇所に
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- 立ちあがり、歩きなさい
⇒「立ちあがり、歩きなさい」野木 虔一エレミヤ書17,5-8; 今日は、情報の時代といわれ、さまざまな手段によっていろいろな形で時局の問題が目や耳に入ります。そのような中で、わたしどもにとって必要なことは、人間にとって何が一番大事なことかを考えることではないでしょうか。それは、どこに自分の生きる拠りどころを置くかということでもあります。そのことを、このペトロたちと足の不自由な人との出会いの出来事はわたしどもに示唆しているのだと思うのです。1.「もの」としての人間 当時のユダヤ教では、朝と昼と晩と3回の祈りの時が決まっていました。弟子たちも、同じように一定の時に神殿に上り、祈っていたのです。言わば、決められた時に、決められた場所で礼拝し、祈りをしていたのです。それは今日で言えば、主の日ごとの
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- 唯一の神と良心
⇒「唯一の神と良心」廣石 望イザヤ書45,1-13 ; I 一神教は排他的で暴力的だが、多神教は融和的で平和愛好的と言われます。本当でしょうか? キリスト教が歴史的に大きな暴力に加担してきた事実は、知っておくべきです。十字軍(11世紀)とホロコースト(20世紀)だけあげておきます。20世紀日本の場合、少数派であったキリスト教会は、当時の戦時体制にみごとに取り込まれ、とりわけ植民地の宗教的同胞に対して「虎の威を借りた」圧力をかけました。今後の世界平和には、とりわけキリスト教とイスラム教という二つの代表的一神教の相互対話と平和共存が不可欠であると思います。 他方で宗教的な原理主義は、ヒンズー教などの多神教にも見られます。おそらく一神教と多神教のどちらか一方が本質的に暴力的であり、他方は本質的に平
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- 新しい身分
⇒「新しい身分」廣石 望エレミヤ書31,21-25 ; I キリスト教に入信するとは、どのようなことでしょうか? クリスチャン・ホームに生まれ、子どものときから教会に親しんできた。一家で同時に入信することで、いわばファミリーの宗教を宗旨換えする。親族にクリスチャンはいないが、一人で決心して入信する。結婚相手にキリスト教徒を選ぶか否か、あるいは自分の子どもたちにキリスト教信仰を伝える(/伝わる)か否か。自分や家族のお墓はどうするか。――キリスト教への入信にまつわる背景や動機、またその後に生じることは、人と場合によってさまざまです。 それでも、ひとつのことが共通しています。すなわちキリスト教に入信する人は、皆が洗礼を受けます(洗礼式をもたないキリスト教会もありますけれど)。じっさいの式のやり方―
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- キリストのもたらす自由
2012.9.9⇒「キリストのもたらす自由」関田 寛雄創世記12,1-4 ; 今日は、「キリストのもたらす自由」ということでお話をさせて頂きます。ヨハネによる福音書のこの箇所は、ユダヤ人の方々とイエスさまとの間で「真理とは何か」という問題を巡って、とても激しい論争が続いているところです。「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた」(31節)とありますように、イエスさまは、ある期待を持ってこのユダヤ人たちにお教えを述べられたと思うのですが、話がかみ合わない。かみ合わないどころか、ユダヤ人の側での誤解、建前、そういったものに引きずり回されて、結局は大変不幸な別れ方で終わっています(57-59節)。 「イエスさまを信じた」というユダヤ人にだからこそ、イエスさまはお語りになるのです。信仰とい
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- 二つのエルサレム
⇒「二つのエルサレム」廣石 望創世記17,15-21 ; I 皆さんの故郷はどちらですか? そしてご先祖は誰でしょう? 世に言う「ルーツ探し」は、自分が何者であるかを確かめる方法のひとつです。私の場合、故郷は中国地方の田舎、そして先祖はきっと名字もない百姓です。ところで最近は、ペットにも血統書がありますね。私よりずっと立派な血統であるに違いありません。血統書は特定の個体の血筋という名の〈物語〉を備えています。同時にそれは、これで間違いありませんという〈保証〉でもあります。 敗戦までの日本には「万世一系」と言われる天皇家の血筋があり、これが当時の国民意識を支えるものとして、間違いありませんという保証がついていました(教育勅語「之ヲ古今ニ通ジテ誤ラズ」を参照)。 あるいは戦後日本で、福島第一原子
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- 腐ったリンゴと神の国
⇒「腐ったリンゴと神の国」廣石 望出エジプト記12,1-20 ; I 〈一つの腐ったリンゴが、樽をまるまるダメにするOne rotten apple spoils the whole barrel〉という諺があります。小さな悪も、放置しておくと全体を腐敗させるというほどの意味です。 私が中学生のころ、日本で中学・高校の大量退学が問題になり始めました。この時期に「腐ったリンゴ」という表現が、いわゆる「不良生徒」に対して用いられました。ある人々は、「ごく一部の不良に影響されて、よい生徒たちまで堕落したのでは元も子もない。腐ったリンゴは捨てるしかない」と論じ、別の人々は「それは余りに短絡的だ。もとはよい香りがしていたリンゴを腐らせたのは、そもそも誰か」と反論したようです。 こうした対話におけるイメ
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- 良心の声・神の声
⇒「良心の声・神の声」陶山 義雄 ; ガラテヤの信徒への手紙1,11-24 聖書には「神の呼び名」について、幾つか異なった呼び名が記されていることを前回、共に見て参りました。前回は、エル、エロヒーム、これは「威力」と言う意味から来ており、圧倒的な力にねじ伏せられて、手も足も出ないところで出会う絶対者、人の死を司り、命を与える創造主もこの言葉をもって呼ばれています。この呼び名から派生した言葉に「エル・シャダイ」(訳せば「全能の神」)があります。また、アブラハムの神(エル)、イサクの神(エル)、ヤコブの神(エル)など族長の神もエル・エロヒームの系譜に属する神の呼び名です。私たちは日本語の聖書、つまり、旧約聖書の場合、ヘブライ語から翻訳された聖書に親しんでおりますので、「神」を表す、こうした、原語
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- 豊かさと命
⇒(MP3, 32kbps)「豊かさと命」廣石 望イザヤ書22,6-14 ; I 人の命は財産によらない――いちおう、誰もが知っています。 留学時代、同じアパートに住んでいた年配の女性がよく言っていました。「世界で一番お金持ちの人でも、いったん失った健康は決して取り戻せない。健康は、この世で一番大切なものなのよ」。私くらいの中年になると、男同士が集まっても健康が話題になります。肩こりや腰痛、不眠、血圧や血糖値、それから人間ドックのことなど。 では、健康であればよい人生なのでしょうか? 単に長生きできればよいのでしょうか?――いいえ、近年クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)が注目されるようになりました。世界保健機構(WHO)が先ごろ「健康」の定義を改定しましたが、そのさい「霊的な健やかさ」が追
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- 共同の相続人
⇒(MP3, 32kbps)「共同の相続人」廣石 望創世記6,1-7 ; I 私たちは「キリストと共同の相続人」であるという発言が、今日の聖書箇所の最後に出ます(17節)。「相続人」とは何のことでしょうか? またキリストと「共同」で相続人になるとは、どういうことなのでしょう? 導入(1-2節)では、「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則」が、キリストにある者を「罪と死との法則」から解放したとあります。「罪と死との法則」とは、先行する7章で描かれた「人間/アダム」のあり方を指しているようです。つまり「貪るな!」という戒めは、正しい聖なる戒めであるのに、私の中に却って「貪り」を引き起こし、それを止めることのできない私を、この戒めが殺すという事態です。「内なる人」としては神の律法を喜んでい
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- 彼は叫ばず、呼ばわらず
⇒「彼は叫ばず、呼ばわらず」村上 伸イザヤ書42,1-4 ; 領土問題をきっかけに近隣諸国、特に中国・韓国との関係が険しくなり、さまざまな分野で深刻な悪影響が出始めた。どちらも自国の「固有の領土」と主張して譲らないから、結局は「水掛け論」になる。強い言葉で何か言っても、反論を誘うだけで問題は一向に解決しない。そんなことは分かり切っているのに、まるで戦争前夜を思わせるような過激な言論を弄ぶ人も出て来た。その状況を見かねたのか、作家の村上春樹さんは9月28日の『朝日新聞』朝刊に寄稿して、「政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ」と言った。その通りである。 池明観先生が《唐の平和》ということを唱えたことがある。「唐」とは7~1
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- 信による義
⇒「信による義」廣石 望エレミヤ書31,18-25 ; I マルティン・ルターは、パウロの信仰義認論を再発見したと言われています。――律法の決まりごとを遵守する行いによらず、ただ神の子キリストへの信仰によって、人は救われる(sola fide)。人は罪深い存在であり、自分の力で救済に達することはできない。救いはただ神の恵みによる(sola gratia)。そして、このことは聖書に記されている。教会は、この信仰を証しする聖書によってのみ立つ(sola scriptura)。 ルターは、とりわけ「信仰のみ」の条項をキリスト教信仰の肝心要と見なして、〈この条項によって教会は立ちも、倒れもする〉、〈この条項がなければ世界は闇である〉と言いました。 彼は志を同じくする人々とともに教会を改革し、カトリッ
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- カイン・コンプレックスからの救い
⇒「カイン・コンプレックスからの救い」陶山 義雄 ; ヨハネの手紙一3.9-18 創世記4章の初めから16節にかけて記されている物語は大変良く知られています。ジョン・スタインベックが『エデンの東』と言う小説を書き、それが1960年代に映画化され、同じ題で上映されたのはご存知の通りです。中でも、カインの役~とは言っても小説ではキャルという名前に代えられたカイン役を演じたのがジェームス・デイーンで、彗星のように現われ、あっと言う間に世を去った美青年であったために、更にこの作品を有名にしてくれました。もっとも、この小説や映画を知っているのは私たちの世代でして、今の若い人たちは殆ど知りません。大学で聖書を講じながら、そのことが良く分りました。ビデオ・テープやDVDでこの映画を観ることができると紹介し
- 1クリスチャンでも病気になりますか。
- 2イエスが「自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。」(マタイ16:24;マルコ8:34;ルカ9:23)と言われたのはどう意味だったのですか?
- 3千年王国には誰が住むのですか?
- 4連載 リラ結成30年 いつまでも賛美をこの口に 第9回 破れ口に立つ 塚田献
- 5イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(19-2)雑魚寝事件の姉妹はなぜ排斥されたのか
- 6結婚生活を幸福なものにする(4)-夫婦の関係と話し方
- 7自然エネルギーが地球を救う 第8回 エネルギー問題の先見者 内村鑑三
- 8啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(10)野獣の崇拝者に生じる悪性のかいよう
- 9イザヤ65章・アーミッシュの自給自足が教えること
- 10オープン神論とは何か(4)

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
