明日のことを思い悩むな

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「明日のことを思い悩むな」

村上 伸
創世記28,10-19a ;

 イエスはガリラヤの貧しい民衆の中で、貧しい人々と共に生活していた。この人々にとって最も切実な関心事は、今日食べるパン・今日飲む水・今日身にまとう衣類といった基本的な問題であった。「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」(マタイ福音書6章31節)というのは単なる言葉ではない。民衆が、そしてイエス自身も日ごとに体験していた切実な不安だったのである。

むろん、不安は今日もある。日本は豊かな社会になったと言われるが、一旦何かが起こると足元に潜んでいた不安が姿を現わす。昨年3月11日のは正にそれであった。多くの被災者は文字通り「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」と思い悩んだであろう。今も時々、余震と思われる大きな揺れがあるし、それについて専門家は「地球の地殻変動が活発期に入った」と言う。世界のさまざまな場所で引き続き大地震が起きていることも不気味だ。そして、何と言っても不安の最大の原因は、地震と津波によって惹き起こされたである。チェルノヴィリの場合と同じように、放射線の影響は広範囲かつ長期間に及ぶ。しかも、この核エネルギーというまことに厄介な代物をコントロールする方法を、人類はまだ自分のものとしていないのである。不安はすべての日本人の上にのしかかっている。それなのに、わが国は経済的利益を優先させて、安易に大飯原発の再稼動に踏み切った。

この不安を増幅させているのが、現代日本のである。何をおいても被災者の支援と現地の復興を強力に推し進めなければならないこの時に、政治家たちは足の引っ張り合いや責任のなすり付け合いに貴重な時間を浪費しているように見える。そのくせ、増税だけはサッサと決める。ほとんど過半数の国民が呆れて「支持できる政党はない」と見放すようになってから、もう何年経つだろう。日本の将来を考えると、不安は増幅されるばかりだ。

さらに、がある。リーマンショック以来の慢性的不況、失業者の増大、ヨーロッパの信用不安、歴史的な円高、少子高齢化、等々。日本は、そして世界は、いったいこれからどうなるのか? その他にも不安の種は尽きない。

ここで、私個人の場合について少し述べてみたい。

私は1947年のクリスマスに八戸柏崎教会で洗礼を受け、渡辺正牧師の指導を受けるようになったが、その中で自然に「自分も伝道者になりたい」と思うようになった。召命というのだろうか。しかし、最終的な決心は中々できない。なぜかと言えば、牧師一家の余りにも貧しい暮らしを身近に見ていたからである。教会はあちこち壊れていて、冬の厳しい隙間風は防ぎようもなく、牧師館の窓際には夜の間に吹き込んだ雪がうず高く積もっていることもしばしばあった。牧師夫妻は私たち若い者たちが訪ねていくと快くもてなしてくれたが、相当無理をしていたのではないかと思う。

もっとも、戦後何年かの間は、ほとんどの日本人が貧しかったのである。私の家も例外ではなかった。敗戦まで職業軍人であった父は、その頃やっと八戸の小さな土建会社に職を見つけたが、満州から引き揚げてきてから病気がちであった母や、年老いた祖父、それに19歳から13歳まで4人の子供を抱えて、生活は楽ではなかった。一番上の兄は戦死していたから、成り上がりの長男である私もそれなりに責任を感じていた。そういう中で、「東京へ行って神学校に入りたい」などと言えるだろうか?

ある日、私はいつものように夜の祈祷会に出席した。「今日こそは先生に決意を打ち明けて相談しよう」と思っていたのだが、「伝道者なんかになって果たして生活は成り立つだろうか」、「それは家族に対して無責任ではないか」などと考えるとどうしても告白することができず、悩みを抱えたまま家路についた。

ところが、道の途中まで来たとき、どこか上のほうから声が聞こえた。本当に聞こえたのか、それとも、そんな気がしただけなのか? その声は「死ねばいい!」と言っていた。無茶な話である! だが、確かにそう聞こえたのだ。そして私には、それは「神に一切を委ねよ」という意味に受け取られた。これで、決心がついたのである。私は直ちに教会に引き返して、この決意を先生に告げた。先生は一言、「このために祈っていたよ」と言われた。

だが、私はこのことを父に告げなければならない。しかし、なかなか勇気が出ない。そこで、先ず母に打ち明けた。母からこのことを聞いた父は、私を呼びつけて事の次第を質した。私は、入信の経緯やその後自分なりに考えてきたことなど、すべてを隠さずに父に語った。すると、父は思いがけない言葉を発したのである。「よかろう。仏教には《一人出家シテ九族天ニ生ズ》という言葉があるそうだ。お前は決心した通りにお前の道を進め。但し、家にはお金がないぞ。学費はどうするつもりか?」

私は、「アルバイトをするし、奨学金を申請する道もある」と答えて納得してもらったが、問題はそれからだった。父が会社で親しくしていた一人の男がいた。100人ほどの労働者を束ねる親分で、「無法松」のようにサッパリした気性の人だった。私は好きだったが、直情径行というか、とにかく激しい。この人の耳に、私が牧師になるという話が入ったのだ。彼は直ぐさま鼻息も荒く我が家に駆けつけて来た。

「俺あ、カッタロックさ電話ふっかけた」と彼は言った。「カッタロック」とは、どうやら「カトリック」のことらしい。彼はキリスト教なら何でも「カッタロック」だと思い込んでいた。つまり、教会に電話をかけて、村上の息子が牧師になるというのは本当かどうか確かめた、というのである。そして、「とんでもない!」と喚いた。「お前は長男だ。親に何かあったときは、お前が家族みんなの生活を支えなければならない立場なんだぞ。だいたい、?」

それから、こう言った。「悪いことは言わない。牧師なんかやめて床屋になれ。お前の妹には二階でパーマ屋をやらせろ。この商売さえうまく行けば、一生食いっぱぐれることはねえ。店を開く元手は、俺が出してやる」。

? これは、それまで私自身の頭の中で渦巻いていた切実な問いであり、答えはまだ見つかってはいなかった。だから、この問いには答えることができなかったが、私は既に「死ねばいい!」(一切は神様に任せればいい)というあの言葉を聞いていたのだ。そこで、その親分の親身な言葉には心から感謝しながらも、「小父さん、折角そう言ってくれて有り難いけど、やっぱり僕は僕の道を進むよ」と答えたのである。

さて、「?」という問いだが、実際、「食っていけた」のだ。もちろん、大きな困難に直面したことは2度や3度ではない。明日はまとまったお金が必要なのに財布の中には僅か10円しかない、ということも何度かあった。しかし、その都度、不思議なことに道は開けたのである。

そのような経験を重ねる内に、私はイエスの言葉をそのまま信じるようになった。「信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(30~33節)。

私は、今はこれらの言葉を・信じている! これは、「何とかなるサ」というようなノーテンキな楽天主義ではない。島崎藤村が、「昨日またかくてありけり / 今日もまたかくてありなん / このいのち / 何をあくせく明日をのみ思い煩う」と歌った心とも、ちょっと違うだろう。

いのちの営みを創造し、それを保持しているのは、全能の主なる神である。その神が、あらゆるいのちが必要としているものを与えないまま放って置く筈がない。イエスが「空の鳥をよく見なさい」(26節)と言い、また、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(28節)と言ったのは、そういう意味である。

私たちは、自分で自分に「何とかなるサ」と言い聞かせる安易な楽天主義によってではなく、この万物の創造主を見上げる信仰によって、また、「私は既に世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節)というイエスの約束によって、すべての不安や思い煩いから解放されるであろう。

 
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