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どうしたら救われますか。

Q.質問 Q:最近教会に通い始めたのですが、「救われるためには心の中で自分の人生をイエス様に明け渡すという悔い改めが必要」と言われました。僕は、この教えは福音にプラスしてるような気がしてるのですが、自信がありません。どうか教えて頂きたいです A.回答 はじめにこれは、救いの構造にかかわる本質的な質問です。このテーマについて、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、聖書が教える救いとは何かを確認しましょう。 (1)救い(神との平和)は、恵みと信仰によって与えられます。 (2)信仰の内容は、「福音の三要素」です。 (3)「人生を明け渡す」などの行いによるのではありません。 2番目に、救いの条件と、救われた後の成長を区別しましょう

蛇が悪魔に利用されたのは、アダムの責任ですか。

Q.質問 Q:創世記3章では、蛇が悪魔に利用され、エバを誘惑しています。蛇を管理できなかったのは、アダムの責任ではないでしょうか。 A.回答 はじめにこの質問は、深い真理を確認するための良い質問です。アダムの責任に関して、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、アダムには管理者責任が与えられていました。  (1)創世記1章26節 「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう』」(創1:26)  (2)アダムは、被造世界の代表的統治者となった(神の代理人)。  (3)アダムは、動物に名を与えた。 2番

産みの苦しみ」と患難期は同じですか。

Q.質問 Q:「産みの苦しみ」と患難期は、同じ意味ですか。少し混乱していますので、教えてください。A.回答 はじめにこれは、終末論の中に出てくる用語に関する質問です。結論から申し上げますと、「産みの苦しみ」と患難期は、別の時代です。このテーマについて、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、「産みの苦しみ」は患難期の前段階です。 (1)終末の始まりの「しるし」として「産みの苦しみ」が語られている(マタイ24:8)。   ①終末時代は、イスラエルが反キリストと契約を結ぶ時から始まる。   ②「産みの苦しみ」は、終末時代が近いことを示している。 (2)「産みの苦しみ」は、7年の患難期の「前兆」であり、患難期そのものではない。 (3)患難期以前の

ユダヤ人の回復は2段階で成就するとはどういう意味ですか。

Q.質問 Q:ユダヤ人の回復は、2段階で成就すると聞いたことがあります。どういう意味か、詳しく教えてください。A.回答 はじめにこれは、終末預言に関連した重要な質問です。このテーマについて、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、まずユダヤ人の肉体的回復が成就します。 (1)これは、国家的・地理的回復です。 (2)エゼキエル37:7~8   ①枯れ骨の谷で、枯れた骨が人間に再生される。   ②まだいのちの息が吹き込まれていない。 (3)1948年のイスラエル共和国建国 2番目に、次にユダヤ人の霊的回復が成就します。 (1)これは、悔い改めと信仰による回復です。 (2)イエスを救い主と信じる信仰による新生です。 (3

なぜ2000年前のキリストの死が、今の私に関係があるのですか。

Q.質問 Q:友人から福音の内容を教えられました。キリストの死は2000年前のことです。それがなぜ今の私に関係があるのか、よく分かりません。A.回答 はじめに これは、現代を生きる多くの人が抱く素朴な疑問です。確かに、歴史上の出来事のほとんどは、私たちの生活とは直接関係がないように思えます。しかし、キリストの死は違います。それは、単なる過去の出来事ではなく、時を超えて今の私たちに影響を与える力を持っています。その理由を、いつものように3つ申し上げます。 1番目に、神の存在の永遠性を挙げることができます。 (1)神は、「初めから終わりまでを見通されるお方」(イザヤ46:10)。 (2)神は、天地を創造された時からすでに私たち一人ひとりをご存じです。 (3)人

心も思いも一つに

⇒(MP3, 32kbps)「心も思いも一つに」廣石 望イザヤ書49,14-21 ; I どのように共同体を形成し、これを維持するか――これは私たちの社会では、何よりも地方自治体や国など行政上の問題です。最近は「グローバルガバナンス」という言葉も聞きます。経済その他のファクターが、ひとつの国だけで完結しないほど国際的に結びついているからでしょう。 ある共同体を維持するためには財源が必要です。それは端的に言って、子どもや高齢者や病気の人あるいは障がいをもつ人たちのように、十分な収入を得るための活動ができない人が共同体には必ずいるからです。年金制度は、現在働ける人が今はもはや働かない人たちを支え、やがて働かなくなったときには支えてもらうという、ある種の相互扶助の仕組みといえるでしょう。 財源が

神の愚かさ、弱さ

⇒(MP3, 32kbps)「神の愚かさ、弱さ」廣石 望イザヤ書56,1-8 ; I キリスト教会は、どのように主イエス・キリストについて適切に語ることができるでしょうか? 教会には聖書や古教会の信条、宗教改革時代の信仰告白やカテキズム(教理問答)、そして現代の諸教会教派の信仰告白などがあり、それが「外枠」となって個別教会の実践を支えています。例えば聖書を抜きして、誰かが「私一人で教会を作った」と主張したとしたら、それはキリスト教会ではありません。 他方で、そうした枠のいわば「内側」で、個々の信徒たちが生きてゆく上で、主イエス・キリストについて語ることがたいへん重要です。「証し」とは、狭い意味では伝道集会その他で、ある信徒が仲間たちや求道者を前に語るものですが、広い意味では、キリストを救い

キリストと共に

⇒(MP3, 32kbps)「キリストと共に」廣石 望出エジプト記3,1-12 ; I 洗礼は通常、どのようなものであると理解されているでしょうか? 「洗う」という文字は、おそらく「罪を洗い流す」というイメージから来ているのでしょう。さらに「聖霊の注ぎ」というイメージもあります。「バプテスマ」というギリシア語の原義は「沈め・浸し」ですが、西洋絵画では頭から水が注がれている図像表現が、多く見られます。あるいは本日のパウロのテキストにもあるように、「古い自分に死に、新しい自分に生きる」というイメージもあります。 外部から見れば、頭にちゃぷちゃぷ水をかけたり、どぼんとプールや川に沈めたり、なんだか奇妙なことをしているわけです。学生から聞いた洗礼式に、真夏の海で教会員と泳いだ後、海水パンツ姿の宣教

言が生かす

⇒(MP3, 32kbps)「言が生かす」関田 寛雄イザヤ書55,8-11 ;  今日も三つのことを学びたいと思います。イエスさまが「神の国の福音」について決定的なことを教えてくださった「山上の説教」(マタイ5章~7章)が終わり、続いてイエスさまの行動が始まる。それが今日の箇所です。イエスさまの教えと行動が直結している。それについてまず学びたいと思います。I イエスさまは神の福音の教えについてお語りくださいました(マタイ5章~7章)。しかし語られた後、イエスさまは語ったことを自ら生きられる。語ったことに基づいて、ささやかだけれども事実をつくっていかれるのです。神の国の福音は何をもたらすかということについて、逐一、事実を残されるという、イエスさまの行動。これが第一の点です。 しかもその行動の内

命がはたらく

⇒(MP3, 32kbps)「命がはたらく」廣石 望イザヤ書56,1-8 ; I キリストを宣べ伝える教会や信徒は、どのようにあるべきでしょうか? もちろん礼節をわきまえ、控えめでつつましく暮らし、嘘をついたり他人をだましたりせずといったことが重視されるでしょう。世間では「クリスチャン」と言えば謹厳実直な「石部金吉」で禁酒禁煙、品行方正で家庭円満、賭け事なんてもってのほかの〈君子危うきに近づかず〉というイメージがあるように感じます。これは150年ほど前、プロテスタントの宣教師たちがもちこんだキリスト教が当時の日本社会に与えた印象であろうかと思います。つまり世間並よりも少しく禁欲的で、かつ模範的な生活者であれという要求です。 新約聖書にも、信仰者の生活態度について、よく似た発言があります。とり

幸いなるかな

⇒(MP3, 32kbps)「幸いなるかな」説教:トマス・マシュー 日本語訳:廣石 望ゼカリヤ書9,1-10 ;  I おはようございます。 キリストに従う者の一人として、私たちの主がお造りになったこの美しい日に、皆さんの前でお話しさせていただけることをたいへん嬉しく思います。今日、ともに私たちの主であり救い主であるイエス・キリストを讃えるためにここにお集まりの皆さんと、通訳を担当される廣石先生に心から感謝いたします。 さて、皆さんとごいっしょにマタイ福音書5章1-12節をもう一度読んでみましょう。イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々

心の中で

⇒「心の中で」廣石 望申命記4,32-40 ; I 8月は15日が敗戦記念日であり、「祈り」の季節です。かつての戦争が日本人と近隣のアジア諸国の人々にもたらした大きな被害を思い起こします。さらにこの時期は、日本の習慣でお盆に当たり、死者への追悼と想起なしには過ごせない季節です。 それと同時に、8月は「正しさ」とは何かを考えさせられる季節でもあります。隣国のいわゆる反日教育に対する反発もあってか、あの戦争が「間違っていた」と考えない人々も日本にはかなりいます。広島と長崎への原爆投下が「正しい」行為であったかどうかについても、意見は多様です。先日6日の記念式典で広島市の松井一実市長は、原爆が「絶対悪」であると言いましたが、米国ではおそらく今でも「正しかった」という見方が強いのではないかと思います

平和の主に従う

⇒(MP3, 32kbps)「平和の主に従う」下村 優イザヤ書2,4-5 ; I わたしが「平和」聖日にあたって、この箇所を選んだのは、「キリストに従う」ということが今日わたしにとって切実に問われているように思われたからでした。「平和の主に従う」という今朝のタイトルは、この聖書箇所における私なりの応答です。 そう考えた理由には、今日「平和」を語る際に避けて通れない現状における危機感、閉塞感、息苦しさ、そして、また後で触れますが、半年前、御教会を通しての出会いと学びとがつながっています。 祈りの足りない者のうめき声として、皆様が批判しながら聞いてくださることを願いながら、与えられた御用を務めさせていただくことをお許しください。 はじめに今朝のテキスト2章1-11節、そして4章6-9節、そして

サウロの回心

⇒(MP3, 32kbps)「サウロの回心」廣石 望イザヤ書42,18-25; I 本日の使徒言行録の記事は、とくにその前半が「サウロの回心」としてたいへん有名です。キリスト教の迫害者としてダマスコ途上にあったサウロに、天空の光の中からキリストが顕現して彼と対話することで劇的な回心を遂げたという物語です。西洋キリスト教絵画には、この場面を描いた作品がたくさんあります。例えばカラバッジオ「聖パウロの回心」では、馬から落ちたパウロが地面であおむけに横たわり、目を閉じたまま光が降りそそぐ天に向かって両手を伸ばしている姿が描かれています。 キリスト顕現場面に続いて、ダマスコ教会の指導者アナニアが目の見えなくなったパウロの世話をしたというエピソードが後半にあります。介護の甲斐あってパウロが視力を回復し

多くの人のために

⇒(MP3, 32kbps)「多くの人のために」廣石 望出エジプト記24,3-8; I 8月の第1主日は「平和聖日」と呼ばれ、多くの教会で聖餐式が祝われます。私たちの教会では、今年はつごうで第2主日に聖餐式を祝いました。 「取って食べなさい。これはわたしの体である」「この杯から飲みなさい。これはわたしの血である」――そう、聖餐式のキリストはパンと葡萄酒を分ちながら言います。 聖餐式を祝うことは、どのような意味で「平和」と関係があるのでしょうか? II  パンと葡萄酒は、どちらも古代地中海世界で最も基本的な農産物である小麦とブドウから作られた食べ物・飲み物です。日本で言えばお餅とお酒といったところでしょうか。なぜかお肉は出ません。出エジプトの荒れ野の民は「肉が食べたい」と指導者モーセに食ってか

霊と命

⇒(MP3, 32kbps)「霊と命」廣石 望エゼキエル書36,25-36; I キリスト者と教会は、何を頼りに日々を生きてゆくのでしょうか? 過去を想起し、未来に向かって希望を描くための支えとなるもの、私たちを導くものとはいったい何でしょうか? 新約聖書は、それを「霊」と呼んでいます。では「神の霊」とは何なのでしょうか? それは私たちの生の歩み、命とどのような関係にあるのでしょうか? 今日のテキストであるローマの信徒への手紙の箇所でパウロは、その前半(9-11節)では霊と信仰者の関係について基本的なことを述べ、それを踏まえて後半(12-17節)ではキリスト者が生きることそのものについて述べています。順に見てみましょう。 II 冒頭でパウロは、次のように言います。君たちは肉の内にではなく、霊

初めに赦しあり

⇒(MP3, 32kbps)「初めに赦しあり」関田寛雄エゼキエル書33,10-11;  本日は「初めに赦しあり」という題でお話をさせていただきます。この題は言うまでもなく、ヨハネによる福音書の冒頭にあります「初めに言あり」ということになぞらえてつけた題です。初めにあったその言の中身は何であったか、ということにもつながっています。 主イエスの弟子たちの間にも様々なトラブルがあったのでしょう。前の部分(15節~)でそのようなお話が出ておりますけれども、それを受けてペテロがイエスさまに尋ねました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」当時ユダヤ教のラビの教えでは、三回まで赦すということが通例であったようです。日本でも「仏の顔も三度まで」という言葉があ

人間をとる漁師

⇒「人間をとる漁師」廣石 望コヘレトの言葉9,7-12; I 今日のルカ福音書のテキストに、新共同訳聖書は「漁師を弟子にする」というサブタイトルをつけています。しかし他のよく知られたシンプルな召命物語――イエスが通りがかりに「私について来なさい」と呼びかけると、すぐに「従った」というパターン(例えばマルコ1,16以下)――と比較すると、非常に複合的な内容を備えています。 まず神の言葉を聞こうとする「群衆」に言及があり、イエスは舟にのってガリラヤ湖の水上から岸辺の群衆に「教え」ます。このドラマティックな場面設定は、マルコ福音書でイエスが譬えを用いて群衆を教えたときと同じものですね(マルコ4,1以下)。要するにイエスは〈宣教活動〉を行っている真っ最中なのです。その文脈の中に、弟子たちの召命とい

神殿の崩壊

⇒(MP3, 32kbps)「神殿の崩壊」廣石 望ミカ書3,5-12; I 神はこの世と、この世の政治システムや神殿や教会などの宗教組織と、どのように関わるのでしょうか? 世の荒波にもまれて信仰共同体が生きてゆくとき、神はどのように理解されるでしょうか? 先週私たちは、教会カンファレンス「キリストの平和を求めて~戦争責任告白とこれからの代々木上原教会」を行いました。 説教を担当された村上伸牧師は、「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません」(1ヨハネ1,8)という聖句をとりあげました。そして戦争責任についてあれこれと言い訳しながら自分を正当化することに代えて、神の前で謙虚に罪を認め、心から悔い改めることこそが「光の中を歩む」者にふさわしいと言われました。日本の

富を積む

⇒(MP3, 32kbps)「富を積む」廣石 望申命記8,1-10; I 地球上の総人口が七十億に達した現代でも、地球はその人口を養うに十分なだけの食糧を生みだしているそうです。「あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい」(申命記8,10)とは、イスラエル民族にとっての約束の地に関する言葉ですが、同じことが地球に関しても言えます。 しかし私たちの社会には大きな格差があり、栄養失調で命を落とす人々、とくに小さな子どもたちがいる一方で、日本では国内で生産された、あるいは外国から輸入された食糧のかなり大きな部分を、食べないまま棄てているそうです。例えば東京23区の家庭から1日に棄てられる食物は、アジアの50万人以上が1日に食べる量に相当するとか。 

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