今年のクリスマスは、この千年紀最後のクリスマスということもあってか、例年にまして華やかに感じられる。テレビでもあちこちのクリスマスの模様が放映された。至る所にイルミネーションがつけられ、ピカピカやってない所は教会ぐらいのものだ。 アナウンサーも一様に上ずった声で、声高に巷の様子を報告している。
しかし、この華やかさは表面上のものだということを、皆が知っている。失業率は依然高いし、リストラ旋風が吹き荒れている。犯罪の発生率はかつてないほど高い。犯罪を防ぐはずの警察が、信用を失っている。怪しげな宗教がはびこって人々からなけなしの金を巻き上げる。学校教育も問題に満ちている。政府も頼りにならない。国は天文学的な数字の膨大な借金を抱えている。来年度の予算政府原案を見ても、この国の将来が心配だ。
そういう中で、せめてもの景気づけに、いわば自棄になって「クリスマス狂奏曲」を奏でているというのが実態ではないか。
今私は、この国の将来が心配になると言った。それが象徴的に表れているのは、子供たちにおいてである。子供は将来そのものであるから、その数が極端に減ったりすれば国の将来は脅かされる。政府もそのことを気にしているらしく、「少子化対策」に乗り出したというが、数を増やせばいいというものでもないだろう。その子供たちが大切に育てられ、心も体も健全に育つような社会環境を先ず整えることが大切だ。今の日本では、子供たちが大人の都合で頻繁に誘拐されたり、殺されたりする。そのような国で、子供の数だけ増やしても将来は保証されない。
そういう問題が沢山あるのに、イルミネーションを点灯して「メリークリスマス」と呼び交わす。これは表面上のお祭り騒ぎで、本当の喜びではない。クリスマスが過ぎ、お正月が過ぎれば、一時の華やかな雰囲気は消えて、「宴の後」の空しさが残るだけだろう。
しかし、クリスマスの喜びはそのような一過性のものではない。
この問題に満ちた世界の歴史の直只中に、イエスが生まれてきた。彼は決して人を憎まず、人を傷つけたり殺したりせず、自分がどんなに苦しめられても報復せず、こうして十字架の上で、憎しみと報復の限りない悪循環を身をもって切断した。こういう方が、我々の歴史の中に来られた。そこから、新しい動きが始まった。これがクリスマスの喜びである。
我々人間の抜き難い罪は、憎しみと報復の限りない悪循環に陥ることである。この罪のために、我々はほとんど絶望している。だが、イエスは、我々人類の絶望的とも思える歴史の中に、新しい出発点を置くために来られた。今や、この歴史は、たとえどんなに暗い問題に満ちていようとも、罪に隷属するものではない。イエスが示された「愛」という新しい出発点と、「互いに愛し合う」という明確な目標を持つ歴史に変わったのである。これが、クリスマスの喜びである。
イエスは生前、苦しむ人々に向かって、繰り返し「あなたの罪は赦された」と言われた。このような「命の言」が我々の世界に向かって語られた。いや、「命の言」そのものである方が、我々の世界の中に来られた。これが、クリスマスの喜びである。
そこで、ヨハネの第一の手紙 1章1節を見てみよう。
この言葉は、これまで述べてきたようなイエスの生涯の持つ意味を述べている。そしてそれは、今から2000年前のあの時に偶然起こった出来事というのではなく、「初めからあった」、つまり、神が天地万物を創られたその最初の時から、神の歴史計画の中にあったものだ、というのである。
次いでヨハネは、「。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝える」(2)と書く。これはクリスマスのことを指している。
そして、我々がこの「命の言」について知る時、初めて、我々の間に「交わり」(3)が生まれる、と言う。それは表面的な交わり、人間同士の間に簡単に成立し、簡単に崩壊するような交わりではない。「御父と(の交わり)、御子イエス・キリストとの交わりです」(3b)。これは重要な点だ。
これを具体的に言えば、神との交わりを通して、また、イエス・キリストとの交わりを介して他者を見る、ということであろう。どんな人でも神に愛された人であり、その人のためにイエスが生まれた人である。そのようにその人を見なければならない。そうでないと、人間同士の交わりはすぐ崩れてしまう。
ローマの信徒への手紙 14章15節に、「食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んで下さったのです」とある。このように、その人だけを見るのではなく、神を通して、また、イエス・キリストを介してその人を見る。その時に初めて、深い交わりが成立する。そして、これを可能にしたのが、イエスが我々の歴史の中に生まれたという事実なのである。
こうして、「わたしたちの喜びが満ち溢れる」!
この喜びは、表面的な喜びでも、すぐに裏切られるようなたぐいの喜びでもない。永続する。そして、我々が死んでも、次の世代に受け継がれる。このことを信じよう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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