「マリアの賛歌」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・12・19

「マリアの賛歌」

村上 伸
イザヤ書 40,9-11 ;ルカ福音書1,46-56

 宗教改革者マルチン・ルターは、1521年に、この「マリアの賛歌」について素晴らしい講解を書いた。久しぶりにそれを読みたいと思って本棚を探すと、古びた岩波文庫が出てきた。吉村善夫・石原謙共訳で、昭和25(1950)年に出版されたものだ。当時のことだから藁半紙のような粗悪な紙に印刷してあり、鉛筆で線を引こうとするとすぐ破れる。読んでいる内にいくつかの書き込みが見つかった。どう見ても私の字ではないので、どういうことかと頁をめくって調べて見ると、林田雅子が洗礼を受けた日(1950年12月24日)に、森戸ゆか(松川成夫氏の夫人)さんが贈って下さったものだと分かった。不思議な感動に満たされながら読んだ。

 

さて、ルターはこの本の序文に面白いことを書いている。昔の格調高い訳文だから、現代風に言いかえると、

「神はいと高き方であり、その上には何者も存在しない。だから、神は上を見上げることはない。また、神と肩をならべる者はいないのだから、横を見るわけにも行かない。それ故、神はご自身と下とを見る他に仕方がないのである。…だが、人間はその反対で、ただ上だけを見、…貧困・恥辱・窮迫・苦悩・不安から目を背けて、ひたすら高い所を目指そうとする。」

マリアは普通の貧しい庶民の娘で、誰も目を留めようとしないような存在であった。その自分にいと高き神が目を留めて下さったということに(48-49節)彼女は驚嘆し、そのことを賛美しようとしている(47節)。これが「マリアの賛歌」の根本動機だ、とルターは言う。その通りだ、と思わざるを得ない。

 

さて、「いと高き神が、誰も目を留めようとしないような低く小さな存在に目を留めて下さる」ということはどういうことか?

マリアはここで、「過激」とも思える言葉で歌う。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし…富める者を空腹のまま追い返されます」(51-53)。これは、いわば「革命的な」言い方だ。

「思い上がる者」とは、ルターによれば、自分たちが考えていることが一番正しい・一番善い・一番賢明であると信じ込み、そのために「神を畏れる人々に立ち向かい、迫害する」人々のことだ、と言う。そのような高ぶりを、神はそのままにはしておかれない。彼は「その腕で力を振るい」、高ぶる者たちを「打ち散らし」、あるいは権力の座から「引き降ろし」、彼らを「空腹のまま追い返す」。

このような言い方は、一見、暴力的だ。

だが、ここで我々は良く考えなければならない。この世界は暴力的だ。校内暴力とか、家庭内暴力が毎日のように報道される。親が子供をいびり殺す。夫が妻を殴る。レイプ事件も跡を絶たない。我々の社会は極めて暴力的だ。そして、暴力の最たるものが戦争である。しかも、「暴力的な事件」が時々起こるというだけではない。

例えば、発展途上国には、少数の富める者が政治的にも経済的にも実権を握って国中の富を独占しているのに対して、大多数の人々が教育からも医療からも見放されているという状況がある。解放の神学者たちがそれを「構造的暴力」と呼んだように、社会の構造そのものが暴力的なのである。これは世界全体についても言える。「グロバリゼーション」などと言うが、実際は、富める国々が第三世界の貧しい国々を食い物にするという構造が、世界の隅々にまで行き渡っている。

このような暴力は、高ぶりから起こる。自らを高くし、他者を見下げることが暴力の根である。そして、これは神の御心ではない、とマリアは言う。神は、この社会を支配する暴力的な構造を無くしたいと望んでおられる。「その腕で力を振るい」云々という表現は暴力的に聞こえるかもしれないが、暴力をなくすことこそ神の意志であるというのが、「マリアの賛歌」の中心にある信仰なのである。

 

「マリアの賛歌」は、イエスを妊ったマリアが歌ったとルカは書いているが、もちろん、ルカは既にイエスの生涯・彼の愛・十字架の死・復活という出来事と出会っている。つまり、イエスという存在から深い印象を受けて、その所からマリアにこの歌を歌わせているのである。それが「暴力の廃絶こそが神の意志」という歌なのだ。

イエスは、暴力に満ち満ちているこの世界に生まれたが、一切暴力によらず、決して人を傷付けたり殺したりしなかった。むしろ、世界の暴力によって虐げられている人々と共に、彼らの側に立って生きた。自分がどれほど暴力的に扱われても、そして遂には殺されるという目にあっても決して反撃しなかった。これを「敗北主義」と呼ぶ人もいるが、そうではない。これによって彼は、暴力というものを根本的に批判し、自らの命を懸けてそれを否定したのである。

そのような方が、この暴力的な世界に生まれたということ。その中で苦しみながら生き抜いたということ。これが、クリスマスの意味である。我々がクリスマスを祝うのは、このためである。

WCCは2000年から2010年までの10年間を「暴力廃絶のための10年間」と決めた。クリスマスを祝う者は、この具体的な使命のために努力しなければならない。



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