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聖書とは何ですか。

聖書とは何ですか。 フィンランド語原版執筆者: エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖書はキリスト教の聖典です。キリスト教の信仰によれば、神様は聖書を通して人間に話しかけてくださいます。そして、人間とは何か、神様に対する人間の立場はどのようなものか、神様は人間から何を期待しておられるか、聖書によって教えてくださいます。聖書には旧約聖書と新約聖書という二つの部分があります。これらは互いに密接に関わりあっています。両方の書物を、神様は人々の手を通して私たちにお与えになりま

悪魔は実在しますか。

悪魔は実在しますか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖書は悪魔についても語っています。もっとも、それは参照程度に触れられているにすぎない場合がほとんどです。悪魔は、善そのものなる神様と対等に張り合う反対者などではなく、神様の造られた被造物のひとつです。悪魔が悪そのものとなった理由は、人間が後に犯した誤りと同じです。それは、自分で神様と等しい存在になろうとした傲慢さのせいでした。神様はご自分がお造りになったこの世界に対して全き善き御心をもって接して

人が死ぬ時、何が起きますか。

人が死ぬ時、何が起きますか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)本来人間は、造り主なる神様と天の御国で永遠に生活するために創造されました。しかし、最初の人間たちが神様の御心に反する生き方をしたために、罪がこの世に入り込み、人間に染み付いてしまいました。その結果として、彼らは死すべき存在となりました。彼らの子孫である私たち現代人にも本質的に同じ罪が染み付いています。この罪は「生まれながらの罪」(原罪)と呼ばれます。その結果、すべての人間もまた死すべき存

どうして聖書が教えていることを信じるべきなのでしょうか。

どうして聖書が教えていることを信じるべきなのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)この世には「聖典」と呼ばれる書物がたくさんあります。聖書はそのうちの一冊にすぎません。聖書よりもはるかに古い時代に書かれた本もあるのに、どうしてこの聖書だけがキリスト教の聖典とみなされるのでしょうか。以下に記すことは、理性による論理的帰結でも基礎付けでもありません。実は、キリスト信仰者は、キリスト教信仰を疑っている人に対して、「他の諸宗教のいわゆる

キリスト教は、他の諸宗教とはどうちがいますか。

キリスト教は、他の諸宗教とはどうちがいますか。 フィンランド語原版執筆者: リーサ・ロシ(神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)一般の宗教は、「どうすれば人はよい人生を送れるか」、「どのようにして人は神的な存在の近くに行けるか」、といった問題に答えを下そうとします。しかし、こうした問題に対するキリスト教の答えは他の宗教とは異なっています。キリスト教の核心は、「人間が何をするか」ではなく、「神様が何をしてくださったか」、ということにあります。おおまかにいって他の諸宗教は、「祝福された人生を送り救いに到るためには、人は神的な存在

死んだ自分の家族にいつか会うことができますか。

死んだ自分の家族にいつか会うことができますか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)死はすべての終わりではありません。聖書には次のように書いてあります。「また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、

どうすれば私は天の御国に入ることができるのでしょうか。どうすれば私は救われるのでしょうか。

どうすれば私は天の御国に入ることができるのでしょうか。 どうすれば私は救われるのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)ある時、金持ちの男の人が、「私はどうすれば永遠の命を得ることができますか」、とイエス様に尋ねました。彼は真面目に生活してきた人でした。イエス様は彼に、「自分の持ち物を売り払い、得たお金を貧しい人々に施し、それから私に従いなさい」、と命じられました。その言葉に、彼は顔を曇らせました。イエス様の要求の内容があまりにも厳しかったか

人は洗礼を受けていなくても救われるのでしょうか。

人は洗礼を受けていなくても救われるのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖書によれば、救われるためには洗礼と信仰が必要です。神様が聖書で言われていることを軽んじるべきではありません。それは洗礼についてもあてはまります。さもないと、神様の救いの活動から外れ出てしまう危険があるからです。ですから、もしも自分も自分の子も洗礼をまだ受けていない場合には、子どもたちに洗礼を受けさせ、自分もまた洗礼を受けなければなりません。たしかに聖書は、洗礼を

天使は存在しますか。

天使は存在しますか。 フィンランド語原版執筆者: Pasi Palmu日本語版翻訳および編集責任者: 高木 賢はい、天使も存在します。神様の創造の御業は、視覚など人間の感覚で捉えられる現実だけに限られるものではありません。そう考えるのは、人間の傲慢さにすぎません。私たち人間は神様の創造の御業を俯瞰し支配する立場にはありません。「神様の世界」は、自然科学によって観察できる世界よりも、はるかに豊かで多様で不思議に満ちた世界なのです。キリスト教が広まっている国では、天使に出会った人々の体験談などに世間の関心が集まり、さながら「天使ブーム」になることがたまにあります。天使自体はキリス

私が洗礼を受けていない場合にはどうなりますか。

私が洗礼を受けていない場合にはどうなりますか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)信仰の問題を真面目に考えてはいるがまだ洗礼は受けていない、そんなあなたに私は次のメッセージを送ります。洗礼を受けるべきかどうか、今あなたは迷っているかもしれませんね。そう、洗礼は受けるべきです。ルター派の教会の牧師に連絡を取り、洗礼を受けたいという希望を伝えてください。まもなく洗礼準備会に通うことができるようになるでしょう。牧師の指導のもとにキリスト教の主要な信仰の

地獄は存在するのでしょうか。

地獄は存在するのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)はい、地獄は存在します。旧約聖書は死後の状態についてあまり多くを記していません。しかし、新約聖書とイエス様はこの暗い真実に啓示の光を当てています。「地獄は本来人間のためではなく悪魔とその手下のために用意された場所である」、とイエス様は言っておられます。聖書における地獄のイメージは、永遠の火、火の湖、暗闇、外に追い出された状態、泣き叫び歯ぎしりする場所、というものです。これらのイメージを具

聖書によれば、聖霊様をあざけることは、赦されない罪です。これはどういう意味でしょうか。

聖書によれば、聖霊様をあざけることは、赦されない罪です。 これはどういう意味でしょうか。 フィンランド語原版執筆者: ヴィッレ・アウヴィネン(フィンランド神学協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)律法の専門家たちは、「イエスはサタンの手先として働いている」、と主張しました。それに対して、イエス様は、「聖霊をあざけってはならない」、と警告しました。律法の専門家たちは、神様の御霊の働きに故意に反対しました。新約聖書には他にもこのような警告が記されています。新約聖書のヘブライの信徒への手紙は、「人は故意に罪を行い続けると、つ

私の受けた洗礼には意味があるのでしょうか。

私の受けた洗礼には意味があるのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)私はずいぶん昔に洗礼を受けました。今の私にとって、洗礼はどのような意味があるのでしょうか。それとも、意味があるのでしょうか。少なくとも私にとって、洗礼は非常に大切なことを思い起こさせてくれます。幼少の頃、私は洗礼を受けました。その時の私は、洗礼を受けるために、自分で何かを行ったり、能力を発揮したり、無理して頑張ったり、何かを達成したり、自分を変えたりする必要がありません

なぜイエス様は十字架で死んだのでしょうか。

なぜイエス様は十字架で死んだのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: シルッカリーサ・フフティネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)イエス様は教えと行いによって、ご自分が「天の御国から来た神様の御子」であることを示されました。それに対して、ユダヤの宗教的指導者たちは、「自分を神の子だと言うこのイエスは神を侮辱している。したがって、旧約聖書のモーセの律法に基づき、彼は死刑に処せられるべきである」、と主張しました。ところが、当時のユダヤ社会はローマ帝国の支配下にあったため、死刑の判決を下し実

私が救われているかどうか、どうしてわかるのでしょうか。

私が救われているかどうか、どうしてわかるのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: ヴィッレ・アウヴィネン(フィンランド神学協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)「自分は救われている」という確信は、人の行いや感情に基づくものではありえません。人間の行いや感情はいつも不完全であり、不安定なものだからです。救いの確信は、神様ご自身による行いと約束にのみ基づくものです。このことを三つの点から見ていきましょう。第一に、「神様は世を愛し、イエス様の十字架の死を通じて世と和解された」、と聖書は教えています。つまり、イエス様はあなた

イエス様は本当に死者の中からよみがえられたのでしょうか。

イエス様は本当に死者の中からよみがえられたのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: シルッカリーサ・フフティネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)イエス様の復活に関するこの質問に対しては、「本当だ」という答えと「偽りだ」という答えとが、すでに新約聖書の時代以来広められてきました。あなたなら、そのどちらを信じますか。マタイによる福音書28章によれば、イエス様のお墓を見張っていた兵卒たちは気がついたら墓が空になっていたことについて、 「イエスの弟子たちが夜中にきて、われわれが寝ている間にイエ

天の御国はどこにありますか。

天の御国はどこにありますか。 フィンランド語原版執筆者: パシ・パルム(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)天の御国がどこにあるのか、聖書は明示していません。天の御国は、神様と神様の側に属する者しかいない「神様がすべての世界」です。それは、いわば「星の世界の向こう側」に存在します。「神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。」と聖書は言っています(テモテへの第一の手紙6章16節より)。神様や天の御国は、宇宙工学や人間の思索に

信仰はどのように生まれるのでしょうか。

信仰はどのように生まれるのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: ヴィッレ・アウヴィネン(フィンランド神学協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)人を救いに至らせる信仰は、人間の内部に自然に備わっている特性などではありません。信仰は人間の外部から与えられる神様の賜物なのです。人間は、自分の力では信仰を生み出すことはできないし、信仰に入る決断をすることもできません。人間は神様の御業に全く依存している存在だからです。神様は恵みの手段を通じて信仰を生んでくださいます。恵みの手段の中心的な役割を担うのが神様の御言葉です。信仰を

聖餐式に参加できるのは誰ですか。

聖餐式に参加できるのは誰ですか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖餐式は、洗礼を受けているキリスト信仰者のために用意された礼拝の中での食事です。たとえば、フィンランドのルター派の教会では、子どもの時に洗礼を受けた人の場合、中学生の終わり頃にキリスト教の教えを系統立てて学ぶ堅信キャンプに参加し、堅信式の礼拝で教会の伝統的な信仰(使徒信条やニケヤ信条)を告白します。そして、キリスト信仰者として一人前となります。そのあとは、聖餐式に一人で参加できる

もしも私が二度以上洗礼を受けてしまっている場合にはどうすればよいのでしょう。

もしも私が二度以上洗礼を受けてしまっている場合にはどうすればよいのでしょう。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)洗礼は二度受ける必要はないし、二度受けるべきでもない、と聖書は教えています。洗礼は生涯で一度だけ受ければよく、その洗礼はいつまでも有効です。私たち人間が洗礼を受けた後で神様を捨てた場合でも、一度受けた洗礼が常に有効であることは変わりません。私たちは自分の不信仰を悔い改めて、天の父なる神様の御許に戻ることができます。神様のほうでも私たちが

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