聖餐式に参加できるのは誰ですか。

「だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」
聖書の(コリントの信徒への第一の手紙11章26節)

聖餐式に参加できるのは誰ですか。

フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

聖餐式は、洗礼を受けているキリスト信仰者のために用意された礼拝の中での食事です。
たとえば、フィンランドのルター派の教会では、子どもの時に洗礼を受けた人の場合、中学生の終わり頃にキリスト教の教えを系統立てて学ぶ堅信キャンプに参加し、堅信式の礼拝で教会の伝統的な信仰(使徒信条やニケヤ信条)を告白します。
そして、キリスト信仰者として一人前となります。
そのあとは、聖餐式に一人で参加できるようになります。

信徒教育に関してどうして教会はこうした手続きをとるのでしょうか。
その理由は、聖餐式に参加する人に、聖餐式の意味を正しく理解してこの聖なる食事を他の飲食から区別する大切さをあらかじめ教えておくためです。
洗礼を受けた子どもたちは、聖餐式について家庭で正しく教えられている場合には、自分の両親や教保(受洗者の信仰的成長を支えるために選ばれる先輩のキリスト信仰者)と一緒に聖餐式に参加して、イエス様の体と血をいただくことができます。
それ以外の人々、たとえば、洗礼を受けていても聖餐式の意味をまだ知らない子どもや洗礼を受けていない人は、聖餐式で牧師から神様からの祝福を受けることができます。

聖餐式に参加するのは「敷居が高く」感じられる場合もあります。
「敷居」とは、人の心の中にある妨げのことです。
「私は聖餐式に参加する資格がないのではないか」、
「私はもっと自分を高めなければならないのではないか」、
「私はもっと強い信仰をもつべきではないのか」、
などと逡巡する場合があります。

しかし、このように考え始めたらもうおしまいです。
聖餐式は、私たちのもつ美点を誇示する場所などではありません。
聖餐式は、信仰生活が順調な人々の集うサロンなどではありません。

まったく逆です。

聖餐式は、罪の赦しを必要としている人のために設定されています。
聖餐式では、罪深い者の友なる救い主が、信仰生活で失敗を重ねてきた人を憐れんでくださるのです。
聖餐式は、罪の赦しを必要としているすべての人のために備えられています。

その一方で、聖餐式は、イエス様を必要としていない人のためのものではありません。

「キリストの体を食べ血を飲むことで、逆に自分に裁きを招く場合も起こりうる」、と聖書は警告しています。
当時この警告を受けたのは、御子の体と血をいただくことを意識しないで不用意に聖餐式に参加した人々でした。
当時、聖餐式のパンとぶどう酒を他の飲食物と区別しないで、ただ飲み食いし酔ってしまった人々がいたのです。
「キリストの体であることを意識せずに主の聖餐にあずかる者は、キリストの体と血を食することで、逆に裁きを受けることになる」、とパウロは書いています。

この警告は、「善人でない者や信仰が強くない者は聖餐式に参加してはいけない」、というように理解される場合がありますが、上に述べたようにそういう意味ではありません。

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