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オンリー1の素晴らしさ」

今日は、‘オンリー1の素晴らしさ’について考えてみました。「もし障害児が生まれてきたら殺そう。」これは、ある障害を持ったAさんという男性が小学5年生の時に心に固く決意したことです。沖縄で生まれ育った彼は、小学3年生の時、大阪にある、障害者等の差別に取り組む学校に転校しました。

彼のクラスにS君という知的障害児がいました。S君は虫の好きな優しい子供でしたが、そのクラスでいじめを受けていました。そして、このAさんも、その時、S君をいじめる仲間の一人でした。S君が鼻くそをほじっていると、Aさんたちは面白がってそれを食べるように強要しました。何か腹が立つことがあるとS君を殴りました。殴られたS君は男の子たちに刃向かう事ができないので女の子に殴りかかり、大騒ぎになって先生が駆けつけると、みんな口を揃

祈るママとの出会い

少し前のことですが、今年の夏は、ユースのマウントハーモンキャンプの引率のために、カリフォルニアに向かう機会が与えられました。行きの引率任務を終えて、数日で帰路に着く予定であった私でしたが、実は神様はこの私に、まったく違う計画を用意してくださっていました。まずは、せっかくカリフォルニアに行くので旅先では別のアジェンダを用意していたはずなのに、それらがことごとく変更となり、マウントハーモンのキャンプ施設に留まり、結局並行して開催されていた大人の修養会に部分参加させていただく流れとなったことです。そしてそれに伴い、宿泊施設もキャンプ場から歩いて5分ほどのところにある、Bed & Breakfastのお家の一部屋に空きができたから、使わないかというオファーをある方からいただたので、事前に手配していた

愛は神から出たもの」

愛は神から出たもの 明治時代に、二葉亭四迷という有名な作家がいました。翻訳家でもあった彼がツルゲーネフの翻訳の際に「アイ・ラヴ・ユウ」というフレーズの適切な訳が思いつかず、悩みに悩んだすえ、「あなたのためなら、死んでもいい」と訳したという有名なエピソードがあります。 「あなたのためなら、死んでもいい」 これはまさに、神の愛を表すアガペーの愛に似ています。神の愛は、愛する者のために命をも捨てる愛です。それでは今回は、第一ヨハネ4章7-12節から愛について学びたいと思います。 ①愛は神から出たもの  なぜ、人は愛されることを求めるのでしょう。第一ヨハネ4章7-8節では、それは神が愛だからだと教えています。人間は神に愛されるべき存在として造られました。もし神がいないなら、人間は偶然に存在しているこ

すべて良いことを心に留める

すべて良いことを心に留める 「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8) ここでパウロは、私たちに、この世の生活の中で、すべて良い事に心を留めなさいと勧めています。この「心を留める」という言葉は原語のギリシャ語の「ロギゼスセ」という言葉が使われていますが、この言葉の意味は、ただ単に「心を留める」ということではなく、それを計画し、実行するという意味です。 つまり、毎日の生活の中で、聖書の教えに基づいて、真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、徳と言われ

"習慣は人を作る"

今日は、”習慣”ということについて考えてみました。英国の作家であり医師であったサミュエル・スマイルズがこんな詩を書いています。思いの種をまき、行動を刈り取り行動の種をまいて習慣を刈り取る習慣の種をまき、人格を刈り取る人格の種をまいて人生を刈り取る「はじめは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る」と言われるように、習慣は作ることができます。最初は意識して心がけますが、それを続ければ、だんだん慣れてきて、やがてそれが習慣になり、習慣になれば潜在意識に刻み込まれ、意識をしなくても自然にできるようになります。したがって、良い習慣は人を成長させ、人を作ってくれるのです。そう考えると、幸せのヒントは「幸せになる種を蒔いて、幸せになる習慣を作る」ことだと言えるかも知れません。たとえば、自分が幸せを感じるよ

人生で最も後悔していること

あなたにとって、「人生で最も後悔していること」は何ですか?アメリカでのとても興味深いデータがあります。それは80歳以上の老人を対象としたアンケート調査で、その質問は、「人生で最も後悔していること」は何ですか?というものでした。皆さんはどんな回答が多かったと思われますか?面白いことに、70%の人が全く同じ回答をしていました。それは、「チャレンジをしなかった」というものでした。70%の人が、「チャレンジをしなかった」ことを後悔しているのです。人が人生を終える時に後悔することとして多いのは以下のことだそうです。・他人がどう思うか気にしなければ良かった・幸せをもっとかみ締めて生きるべきだった・もっと他人のために尽くせばよかった・くよくよと悩まなければよかった・家族ともっと時間を過ごせばよかった・もっ

牧師室より#425 あなたは死んだらどこに行く?

あなたは死んだらどこに行く?  人間は、だれでも必ず死ぬ時が来ることを知っていますが、「人は死んだらどうなるのか?」という問いに対して、殆どの人は漠然としていて、「分からない‥」と答えます。また、「死んだら無になる」と言う人もいますが、その根拠は何もなく、ただの推測に過ぎません。  人間は、自分が望んでいることを信じたがるものです。しかし、この「死と死後の問題」は、軽々しく取り扱うべきものではなく非常に厳粛な事柄です。なぜなら死後には永遠の世界があり、あなたも必ずそこに行くからです。 さて、死後の世界は無ではなく、二つの世界があると聖書は告げています。その二つの世界とは「天国」と「地獄」です。「地獄」と言ったのは日本人に分かり易いからで、聖書では「火の池」と言われています。 ここでは詳しい話

Visionは若さのしるし

Visionは若さのしるし 今日は、若々しさということについて考えてみました。 今年の2月に私は66歳になりました。早いものでアメリカ生活も42年が過ぎ43年目に入りました。この歳になると話の話題がすぐに健康のことになりがちですが、やはり健康は日頃の心がけが大切だとつくづく思います。ある牧師先生が「伝道者は最終的には体力だ」と言われた言葉をよく思い出します。(笑) しかし、やはり若さというのは体力以上に心の持ち方ですね。実際、若者よりも生き生きとした若々しい中高年の方を見ると、やはり心構えの違いだなと分かります。 私の好きな詩のひとつにこんな詩があります。 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな創造力、炎える情熱をさす青春とは人生の深い泉の清新さをい

永遠の世界

永遠の世界いきなり変な質問をしますが、あなたは、死後に”永遠の世界”があることをご存知ですか? このメッセージは、「永遠の世界って何?」とか、「そんなものあるわけないよ!」と思っている方にぜひ読んでいただきたいものです。ある日、かげろうとバッタが一緒に遊んでいました。夕方になった時、バッタはかげろうに、「今日はこれでやめて明日また遊ぼう」と言いました。かげろうは、「明日ってなに?」と聞きました。バッタは、「夜になると暗くなり、その後しばらくすると明るくなるでしょ?それを明日というんだよ」と答えました。しかし、結局、かげろうはバッタの話が理解できませんでした。ある日のこと、バッタがカエルと一緒に遊んでいました。カエルは、「もうじき寒くなるから、しばらく一緒に遊べないね。また来年会おう」と言いま

聖書は驚くべき科学の書

聖書は驚くべき科学の書  真っ暗な宇宙空間に浮かぶ青い地球。人類初の宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言いました。宇宙飛行士が撮った地球の写真を見れば、地球が青い球体であること、また、その地球が宇宙空間に浮かんでいることが誰にでも分ります。ところが、現代人にとっては当たり前のこの事実が、古代人にとっては考えられもしないことでした。  古代人が宇宙を意識し始めた初期の頃は、彼らにとっての宇宙は、自分たちが住んでいる地球上のそのまた限られた地域に限られていて、宇宙の果ては海であったり、山であったりというものでした。 たとえば、古代メソポタミア人は、大地の周りを高い山々が取り囲んでいて、天空はその山の上にのっているというふうに考えていました。彼らの考えによると、太陽は天空を横切って、地下

失敗というものはない

6失敗というものはない あなたは「失敗」という言葉を聞いて何をイメージされますか。敗北、絶望、悲劇、後悔、反省、その類でしょうか。それとも、「失敗」に対して、もっと積極的なイメージを描く方もおられるでしょうか。実際、失敗の捉え方は人によってさまざまです。人生において、上手くいく人、いかない人の違いがいくつかありますが、そのひとつが失敗の捉え方ではないでしょうか。  一万回の実験の失敗(?)の末に明るく寿命の長い白熱電球を完成させたトーマス・エジソンは、「私は失敗したことはない。ただ一万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ」と言いました。つまり諦めない限り、失敗は存在しないのであり、諦めて、そこでやめてしまうときに初めて、その事が失敗になるのだということです。  幼い子供が立って歩こう

驚くべき言葉の力」

『驚くべき言葉の力』  ジョンズ・ホプキンス大学病院に「神の手」というニックネームを持ったベンジャミン・カーソンという医者がいました。彼は世界で初めて、頭がくっついて生まれてきた双子の体を分離する手術に成功した人で、1987年に米国で「最も尊敬する医師」として話題となりました。 その後、彼は2013年に引退し、2015年には大統領選挙の共和党で黒人初の立候補となりましたが、2016年3月に選挙戦から撤退し、実業家のドナルド・トランプへの支持を表明しました。2017年3月、彼はアメリカ合衆国住宅都市開発長官に就任し、トランプ大統領からは「とても能力が高く、思いやりのある人物だ」と評価されています。 ところが、このように世界的に優秀な小児神経外科医の彼も、幼い頃は学校一成績が悪かったそ

あわれみ深い人は幸いである"

今日は、八福の教えの中の”あわれみ深い人は幸いである”ということを考えてみました。八福の教えの第五番目は、「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう」というものです。聖書では、「憐れみ」という言葉はとても大切な言葉です。私たちの神がどんな神であるかといえば、それは憐れみ深い神だからです。 ルカによる福音書に、神の憐れみを教える主イエスのたとえ話があります。「放蕩息子のたとえ話」です。あの放蕩息子は、飢え死にするしかない状態に置かれて初めて自分の間違いに気付くのです。それまでは自分が考える「正しさ」を主張しましたが、それは間違いで、「お父さんの正しさ」が正しかったことを悟り、お父さんのところに帰って行くのです。「今更どの面下げて帰って来たんだ」と言われても仕方のない

愛は人の徳を高める

三浦光世氏が10月30日に天に凱旋されました。お写真や言葉を通しても、温かなお人柄がうかがえる信仰者であられました。光世氏がキリストの香り、キリストの手紙となって、多くの方にイエス・キリストの福音を伝え、地上での働きを終えエス様の所に行かれたのだと思います。今日は光世氏の信仰のお証をいくつかご紹介させていただきます。「愛は人の徳を高める」というテーマで三浦氏が自分の人生において忘れることができない一人の男性について証しくをされました。三浦氏は幼い頃、病状の父のもとに生まれ故郷の東京を離れ、北海道の祖父のもとで育った。そこで熊谷猛也(くまがいたけや)という上司に見出され、国家公務員への道が拓けたという。また、熊谷さんは、分け隔てなく全ての人に優しく親切に接する素晴らしい人格者だったと話す三浦氏

子を持って知る親心

子を持って知る親心私にも二人の子供がいますが、いつの間にか彼らももうじき40歳(長男)と39歳(長女)になります。今でも思い出すことですが、彼らが幼い頃、私は二人を見ながら、「もし私の両親が私がこの二人を愛するように私を愛してくれていたのであれば、それは何と感謝なことであろうか」と、親の有難さをしみじみと思ったものです。まさに“子を持って知る親心”でしょうか。親は自分の子供を可愛がって育てます。それが親の本能です。子供のためにと、子供を厳しく育てる親もいれば、子供を溺愛する親もいます。それもまた親心というものです。しかし、いずれにしろ子供は、親の願い通りにではなく、育てられたようにしか育ちません。裕福な親は、幼い時から、子供に高級ブランドのものを与え、高級ブランドは良いものであり、安いものは

小さな愚かさが人生を台無しにする」

今日は、伝道の書10章を瞑想し、色んな思いを主から頂きました。こうして祈りと御言葉を通して主の無尽蔵の知恵に触れられるということは何という幸いであり特権でしょうか。「死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵と誉よりも重い。」(伝道の書10:1)ここでは、少しの愚かさが死んだはえに例えられています。もし一匹のハエが調合した香油の中に落ちて死ねば、悪臭を放ち香油全体を損ねてしまいます。同様に、少しの愚かさと過ちが生涯をかけて築いてきた名誉を一瞬のうちに失わせ、人生を台無しにしてしまうことがあるということです。本当にその通りですね。主は全世界の人々の営みを見渡し、そのような人生を送る人がいることをご覧になり、このような警告を与えておられるのです。ですから、私たちは小さい愚かさに

絶対幸福」

今日は、‘絶対幸福’ということについて考えてみました。幸福といっても相対的幸福の定義は十人十色、百人の人がいれば百の幸福の定義があるかも知れません。通常、私たちが思う幸福とは、「苦しみがなく、人や物事が自分の願い通りに動き、自分にとって都合のいい状態、喜ばしい状態」を指すのではないでしょうか。確かに、嫌な事がなく、経済的に恵まれ、健康で、地位と名誉、美貌や権力などに恵まれれば、人生は楽しいでしょう。だから、人は誰でも本能的にそのような生きる条件をよくして、楽に生きたいと願い、自分を取り巻く条件が満たされることこそ幸福だと思うのです。しかし、そのような幸福と思える状態は長続きせず、そういう状態を必死で求めれば求めるほど、辛いことも増してくるのが人生です。他人の目にはどう映ろうが、この世に生きて

神への従順

 今日は、‘神への従順’ということについて考えてみました。  「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」(創世記:22)  もし神があなたに山の上で巨大な船を造るように言われたら、あなたは質問や異議や条件を神に言われるかも知れませんね。しかし、どうでしょう。ノアはそういうものは何も言いませんでした。たとえ世界が大雨を経験したことがなくても、彼は無条件に神に従い、山の上で巨大な船を造ることをしたのです。  神への従順とは、神が言われることは何でも、無条件に、躊躇せず、行なうことを意味します。先延ばしをして、「祈って考えます」などと言わず、すぐにするのです。親であれば誰でも、「あとでするから」という子供の従順は不従順であることを知っていますね。  私たちは、しばしば神に対して、

出エジプト35章の黙想

出エジプト35章の黙想』 「これは、主が行えと命じられたことである。六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。」(出エジプト35:1-2)モーセは、民に幕屋を造る作業を始めさせますが、その前に安息日に関する規定について語っています。それは、彼らが本当に大切なもの、第一にすべきものを見失わないようにするためでした。それは主を礼拝すること、言い換えれば、主ご自身を求めることです。主のための働きは、主を礼拝する心の上に築き上げられていくべきものなのです。クリスチャン生活における様々な活動の中心は、主を礼拝することです。どんなに活動に力を入れても、主を礼拝することがその中心に据えられていなければ、すべてが空回りしてしまいます。礼拝こそが信仰生活の中心であり、主

祝福の法則

祝福の法則  あなたは、神が人を祝福される時には、ある法則があることをご存知ですか? それは、神は人を「祝福の器」として祝福されるという法則です。「器」というのは、料理をのせる食器のように、他のものを運んだりするときに用いるものです。つまり、「祝福の器」とは、神の祝福を他の人に運ぶために用いられる道具だということです。 信仰の父と呼ばれるアブラハムは、その人生において、多くの富を得た人でしたが、それはアブラハムが自分だけの祝福を願ったからではありません。彼は神の約束の言葉を聞いたとき、その神の言葉を信じて、言われた通り、遠い見知らぬ土地に移り住みました。それは彼が75歳の時でした。 その神の約束の言葉というのは、アブラハムだけを祝福すると

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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