ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教・オウム真理教の教え

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

今回の記事では、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、そしてヒンズー教に大きく影響された日本のオウム真理教について簡単にまとめてみます。 諸宗教にどのような共通点があるか、どのような相違点があるかを説明します。そして、修行を通して、神通力をつけるというような慣行がなぜ危険なのか、なぜ悪霊ではなく創造者エホバ神を崇拝するべきなのかを説明したいと思います。 先回は、聖書がエホバ神に対する崇拝を中心として記録した本であることを併せてお読みください。仏教と神道については次回まとめます。 

聖書の映画と聖書の簡単な内容とその真実性(1)ユダヤ教(2)イスラム教(3)ヒンズー教⑷ヒンズー教や原始仏教から影響を受けているオウム真理教(1)ユダヤ教 ユダヤ教は、西暦前16世紀に神が出エジプト後のイスラエル人に与えたモーセの律法だけを受け入れています。ユダヤ教は、モーセの書いた五書とタルムードを受け入れています。そして、イエス・キリストが神のみ子であり救い主であることを否定しています。神がイスラエル人と結ばれた律法契約がまだ続いていると考えています。 タルムードは、イエスの実在を否定してはいません。ただ、聖書はイエスが神の力によって奇跡を行ったと言っていますが、タルムードは、イエスが魔術を行ったと言っています。 ユダヤ教は、イエスの実在と奇跡を否定していませんが、キリスト教徒と違いイエスをメシア、また、敬われるべき方とはみなしていないだけです。 しかし、申命記の中で、モーセは自分のような預言者が将来現れることを予告し、その者に従わなければならないと述べていますが、そのことをユダヤ教徒は、拒否しています。(申命記18:18,19) モーセの律法によって救われるためには、それにすべて従わなければなりません。(申命記11:26-28;12:28)   しかし、 モーセ五書には、「罪の捧げ物」という語が、約100回出てきます。神はユダヤ人が罪を犯した時の場合のため、エルサレムの神殿で祭司が動物の犠牲の血などを捧げて、罪の贖いをして神との良い関係を回復する手立てをもうけられました。(出エジプ30:10)  この取り決めは、神が人間が罪を犯して、モーセの律法を完全に守れない事態が生じることを予見しておられたことを示しています。 なぜなら、わたしたちはアダムの子孫であるため、罪を受け継いでいます。そのため、みな罪を犯します。(列王第一8:46)モーセの律法を完全に守れる人はひとりもいません。 しかし、エルサレムのエホバの神殿は、イスラム教の岩のドームになっているので、ユダヤ人は現在は、祭司はそうした奉仕ができず、罪を覆っていただくことができません。 モーセは、イスラエル人の偶像崇拝などの罪に対する神の怒りをなだめる働きをしました。 (出エジプト34:9)でも、モーセは死んだので、もうイスラエル人の罪を神の前になだめることはできません。 昔の祭司は神殿で罪のための捧げ物を贖罪の日に、毎年、また、人が罪を犯した時もエンドレスに捧げなければなりませんでした。   でも、イエスはご自分の完全な体を一度限り神に捧げたので、わたしたちはキリストの贖いに頼れば、罪を許していただけます。(コロサイ1:14)これは、神の側の過分のご親切の取り決めです。 そして、モーセは、自分のような預言者が再び起こされることを予告しました。(申命記18:18,19)イエスは、モーセのような預言者です。イエスはモーセのように死ぬことはないので、いつまでも、わたしたちの罪のために、わたしたちが滅びないように、永遠の命を受けられるよう助けることができます。 

神はモーセにあなたのような預言者を起こすのでその者に聞き従わなければならないと言われた

 しかし、ユダヤ人はそうした立場にあるイエス・キリストを退けています。◎ユダヤ教と神のみ名の発音 ユダヤ教徒は、神のみ名は尊いので発音するのも不敬だという考え方のために、神のみ名を語るのをやめて、主や神とかしか言わなくなりました。 しかし、出エジプト記の中で神はファラオを早期に滅ぼさず生かしておいた理由をこのように説明されました。「実際には,この目的のためにあなたを存在させておいた。すなわち,あなたにわたしの力を見させるため,こうしてわたしの名を全地に宣明させるためである。」(出エジプト9:16)   また、聖書のモーセ五書の中には、テトラグラマトンが1800回あまり出てきます。神はご自分のみ名を隠したいのに、それだけたくさんの神のみ名を聖書の中で用いられるでしょうか。 ですから、エホバ神はご自分のみ名を人々が隠しておくことを望まれるのではなく、全地で宣明され崇拝されることを望まれます。ですから、神のご意志は、神のみ名を隠さずに使って、そのみ名を恐れることです。 エルサレムの南のネゲブのアラドにあった要塞で、部下と司令官の間の通信文が記された陶片が見つかりました。そこには、「ヤハウェ〔エホバ〕があなたの幸せを気にかけてくださいますように。……彼はヤハウェの神殿にとどまっています」と記されていました。それは、通信文から西暦前7世紀のエルサレムがバビロンによる陥落寸前の時期のものであることが分かります。 また、ラキシュの要塞で見つかった陶片にも、「エホバがあなたの平安を求められますように」といった言葉が記されていました。ラキシュの文書のうちの七つは,神のみ名に合計11回言及しています。 

ラキシュ書簡はユダヤ人が出エジプトの時代からエルサレム陥落の時まで神のみ名を日常会話で使っていたことを示す

 ですから、ユダヤ人は出エジプトの時代、すなわちモーセ五書の時代から、エルサレムがバビロンによって陥落する時代に至るまで、日常生活でエホバのみ名をためらうことなく使っていたことが分かります。 ですから、今日、ユダヤ教徒やキリスト教徒が神のみ名を発音しようとしないのは、昔のユダヤ人の最初の習慣と神のご意志からはずれているということが分かります。 

Andrew Shiva / Wikipedia

The Dome of the Rock (Arabic: مسجد قبة الصخرة‎, Hebrew: כיפת הסלע), on the Temple Mount in the Old City of Jerusalem.

エルサレムの神殿跡には七世紀末から岩のドームがあり昔のエホバの崇拝の儀式を行うことはできない 

 ユダヤ人は、もうエホバの神殿で、エホバに求められていた祭司を中心にした崇拝を行うことはできなくなっています。しかし、イエスは特定の場所ではなく、真理である神の言葉に基づいて崇拝が行われることを神は求められていると言われました。(ヨハネ4:23,24) ちなみに、ユダヤ教もイスラム教も三位一体を受け入れてはいません。ですから、三位一体説を奉じるキリスト教会は、神の様態に関する理解で、ユダヤ教と矛盾することになります。(2)イスラム教 日本は飛鳥時代の西暦6世紀の後半に、ムハンマドは、アラビア半島のメッカに生まれました。610年のある日、メッカ郊外でムハンマドは、大天使ジブリール(ガブリエル)から、唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたと主張しています。その啓示は、クルアーンにまとめられました。ムハンマドは、イスラム教を説き始めました。 メッカの親族がイスラム教の最初の信者になりました。その後、戦いによって、勢力を拡大していきました。七世紀の初めごろ、アラビア半島はイスラム教によって統一されました。 イスラム教では、ムハンマドを最高の預言者とみなしています。そして、聖書もある程度、認めています。コーラン、もしくはクルアーンやイスラム教の伝承の中では、聖書の中に出てくる人物の多くが登場しています。 例えば、アッラーフはアブラハムに現れた神だとみなされています。さらに、悪魔、アダム、カインとアベル、アブラハム、イシュマエル、モーセ、サムエル、サウル、ダビデ、ソロモン、シバの女王、ヨナ、ゼカリヤ、天使ガブリエル、マリア、ゼカリヤ、バプテストのヨハネ、イエスなどが登場します。 結局、それらの登場人物は、主に中東の人々なので、昔から聖書中の人物が存在するということを裏付ける遺跡などが存在し、地元の人々はそれらの人々の実在を否定はできないでしょう。イスラム教の教えがそうした実在の人々に基づいていれば、人々は、その記述に基づいてイスラム教を受け入れるでしょう。 イスラム教の方では、クルアーンが正しく、聖書はゆがめられていると主張しています。一方、ヨハネへの啓示、もしくは黙示録の書に、聖書に何も付け加えてもならないし、取り去ってもならないと述べています。(啓示22:18,19) イスラム教は、モーセやイエス・キリストを預言者のひとりとして認めていますが、イエスを神の子とはみなしませんし、ムハンマドより劣っているとみなします。 イスラム教は創造者なるひとりの神を崇拝し、多神教と偶像崇拝に反対しています。この点は聖書と調和しています。しかし、述べられている出来事が共通していても、聖書とイスラム教の教えは異なっています。  最初は、ムハンマドは戦いをした時、敵対する部族の女性は奴隷として、財産を没収し、部族の男子はすべて処刑していました。それで、ISILのやり方は、ムハンマドの最初の方法に忠実に従っています。しかし、彼は後には、敵対勢力に寛大になりました。 イスラム教は、一夫多妻で近親相姦も容認しており、武力で勢力を拡大しました。キリスト教は、一夫一婦制で、迫害を忍んでも剣をとって戦うことをイエスによって禁じられていますから、両者の教えは異なっています。 キリスト教徒が、昔十字軍の遠征の時、また、近年、湾岸戦争やイラク戦争などでイスラム教徒を殺害したのは、それらのキリスト教徒が聖書のイエスの教えから背教しているからです。 

第1回十字軍によるアンティオキア攻囲戦十字軍はイエスの剣を取らないようにという命令に反して行われた 

 イエスご自身は、剣を取って当局に歯向かうのではなく、殉教する道を選ばれたのです。(マタイ26:52)ひとつには、神によってご自分が復活することを信じておられたからです。(マルコ8:31) 

イエスはみ使いの軍勢や剣でご自分の命が助かるように行動されたのではなく戦わずに殉教する道を選ばれた

   また、イスラム教は神から管理を任された忠実な天使が管理する火の責め苦の地獄を教えています。聖書そのものは、死ぬと無意識になると教えています。(伝道の書9:5,6)◎イスラム教の成立後エルサレムはイスラム教の聖地となり神殿跡に岩のドームが建てられる イスラム教の成立後、西暦七世紀の初めごろ、エルサレムはイスラム勢力の統治下におかれました。7世紀末にエルサレムのエホバ神の神殿跡にイスラム教の岩のドームが建設されました。岩のドームには、昔契約の箱が置かれていたとされる岩が祀られています。

(3)ヒンズー教 ヒンズー教徒はインド国内に約10億人いるとされ、インドとネパールで、多数派の宗教です。インダス文明の時に、ヒンズー教とのつながりがある習慣が見られます。日本の多数派の宗教である仏教を創始した仏陀はヒンズー教の背景を持っていました。 紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部で多くの神々について教えているヴェーダが成立しました。その中には奥義書であるウパニシャッドが含まれています。しかし、ヒンズー教の聖典が成立したのは、イスラエル人がエジプトから脱出してイスラエルの国家ができた時よりも、何世紀も後になります。 ヒンズー教は、基本的に多神教です。ブラフマー神、ビシュヌ神、シバ神を崇拝します。ブラフマーは、シバとビシュヌと三神一体を構成していると教えています。この三つのそれぞれの神もさまざまな化身を持っています。さらに、ヒンズー教では他の多くの神を崇拝します。ですから、ヒンズー教は、多神教という点では、日本の八百万の神の崇拝に似ています。 

ヒンズー教の神々の中心はブラフマー神・ビシュヌ神・シバ神

  インドで書かれたウパニシャッドの教えの中心は、アートマンと言われる個人我が創造者ブラフマン(宇宙原理・宇宙我)と同じで、一部であると教えています。さらに、ブラフマンは、創造者のブラフマーと同じであると教えられています。 ウパニシャッドによると、アートマンは、永遠不滅で、離脱した後、心臓に宿ります。ですから、アートマンは、不滅の霊魂のようなものです。 ヒンズー教では、ブラフマーは、シバとビシュヌと三神一体を構成していると教えています。多くの宗教で三神一体の神が崇拝されています。キリスト教の多くの教会で、三位一体の神を教えているのと似ています。 しかし、厳格な一神教であるユダヤ教とイスラム教は三位一体の神を認めていません。当然、ユダヤ教が受け入れているモーセ五書には三位一体の神の概念はありません。 イスラム教の方は、イエスを預言者として認めているものの、ムハンマドが最高の預言者としていますから、神・イエス・霊の三位一体の神を教えていません。イスラム教ではムハンマドは重要な預言者であるとしても、神ではなく、神について教えた人間だからです。 ヒンズー教は創造者を認めていますが、その神は唯一至高の神ではありません。ヒンズー教では万物の創造者だけでなく、多くの神々を受け入れています。神道が八百万の神を信じるのは、ヒンズー教と似ています。 ヒンズー教では、ビシュヌ神のひとつの化身が釈迦であるとみなしています。そのため、インドでは、仏教はヒンズー教の一派であるとみなされています。 もし、聖書が述べる通り、ただひとりの創造者なる神が存在し、神に反逆して、神として崇拝されたいと願う悪魔サタンや悪霊たちが存在するのであれば、創造者だけでなく多くの神々を崇拝する宗教を作り出したいと望むのではないでしょうか。◎ヒンズー教の輪廻の教え ヒンズー教の基本的な教えのひとつは、死後に生まれ変わり永遠に転生するという輪廻の教えです。 ヒンズー教の教えでは、前世の行いが良いと次には、バラモンなどの高いカーストに生まれ変わり、行いが悪いと低いカーストに生まれ変わったり、動物に生まれ変わったりします。 カースト制度というのは、身分制度です。ヒンズー教では、四つのカーストの身分があります。ヒンズー教の教えでは、生まれたカーストから生涯離れることができません。 ヒンズー教では、動物や昆虫も人間の生まれ変わりとみなしているので、動物や昆虫を殺さないように教えています。しかし、人間を戦争や法制で殺すことは認めています。 しかし、ヒンズー教の教えからすると、人間は前世で良い行いをして動物ではなく人間に生まれてきたのですから、動物や昆虫より、人間の方が重要でしょう。動物を殺生を避けるのに、より価値のある人間を殺害するのを許容するのは間違っているのではないでしょうか。◎ヒンズー教の行者が行う霊との合体と神通力の習得 ヒンズー教徒のヨガの行者は、精神の集中と瞑想により思いを空にすることにより、神との一体感を味わおうとします。 しかし、イエスは心を空にすることの危険性について話されたことがありました。イエスは、悪霊が人から出てきて、その人の所に戻ってくると、きれいに掃かれているならば、他の七つの悪霊とともにそこに再び住み着くと説明されました。(ルカ11:24-26) ですから、心を空にすると悪霊にとりつかれる隙を与え、さらに、多くの悪霊に取りつかれる危険があります。心を真理で満たし、義を愛するようにすることが必要です。(エフェソス6:11-16) さらに、ヒンズー教のヨガの行者は、空中浮揚やテレパシーや千里眼などの超能力を得られる場合があります。ですから、聖書はそうした超能力の存在を否定はしていませんが、そうした霊能力は悪霊に支配されて得られる力だと説明しています。(使徒16:16-19) 【動画アリ】空中で静止する僧侶! フワフワと浮く身体=ネパール 上のリンクには、超常現象研究家による、歴史的に見られた空中浮揚の例が挙げられています。この方の説明によると、そうした空中浮揚は、欺きのトリックによるまやかしもありますが、事実である場合もあると言っています。 上で説明したように、聖書は、魔術や呪術や占いが実際に存在することを否定はしていません。(申命記18:10-12)しかし、それが真の神エホバの敵対者である悪霊たちの力によると述べています。(使徒16:16-18) ですから、修行によって悪霊たちから影響を受けて、いわゆる神通力や超能力を身に着けることは可能です。しかし、悪霊たちに支配されるなら、最後には悪霊たちからひどい目に遭わされることになります。悪霊たちは、自分たちが将来神から滅ぼされることが分かっています。(マタイ8:29)そして、人間を愛しておらず、人間を自分たちの滅びの道連れにすることしか考えないからです。 

心を空にしたり修行をして悪霊に支配されることにより神通力を身に着けることを追い求めないのが賢明

 なおヒンズー教では、地獄を教えています。また、仏教でも地獄を教えています。また、キリスト教では、地獄を教える教派と地獄を否定する教派があります。日本ではオウム真理教がヒンズー教と仏教の影響を強く受けていて、地獄を教えています。聖書そのものは、死者が意識がないと述べています。(伝道の書9:5,6)(4)ヒンズー教や原始仏教から影響を受けているオウム真理教  こうしたヒンズー教の教えは、日本でもオウム真理教の麻原によって最初は、ヨガ道場で始まったことを思い起こさせます。麻原はヨガによって超能力を身に着けられると唄いました。 

オウム真理教の麻原は最初はヨガ道場で超能力を身に着けることで信者を集めた

 オウム真理教での主宰神はヒンズー教のシバ神です。ヒンズー教のシバ神そのものではなく、その化身だと言っていたようです。すでに説明した通り、ヒンズー教も仏教も輪廻転生を教えています。それで、オウム真理教はヒンズー教と原始仏教、チベット仏教の影響を大きく受けていました。 彼は自分がシバ神の化身だと言ったり、エジプトのファラオの生まれ変わりだと主張していて、輪廻と生まれ変わりを信じていました。

 さらに、オウムは聖書の言葉を利用しました。ハルマゲドンとか神の名前エホバを用いました。しかし、オウムは、当然、聖書の教えに従っていたわけではありません。盗みも構わないとか、場合によっては殺人も構わないとかいう信条があったようです。また、ノストラダムスの預言を信じていたようです。 オウムでは、信者に対しては、妻と恋人以外の女性に対する淫行を禁じていたそうです。しかし、麻原は大奥を設立した徳川家光の生まれ変わりと自称していたため、その点で、特別扱いをされていました。 麻原の娘さんの話によると、麻原の愛人は延べ100人に及び、正妻以外の4人の信者に自分の子供を15人産ませたと言います。ですから、オウム真理教は、キリスト教の一夫一婦制と対立します。結婚関係外の乱交を認めていることになります。 さらに、特に宗教関係の裏ものコレクターの話によると、彼は、オウムに同性愛者を装うことにより元オウムの上祐氏に接触することができたと述べています。ですから、麻原が一般信者に対しては女性との淫行を禁じていながら、自分は乱交にふけっていたために、男性信者の間では、同性愛者がはびこっていたのではないかと思います。 オウムでは、基本、キリスト教の道徳基準に従うという立場を持っているわけではありません。悪霊は、ノアの大洪水の前に、人間の女性との性の快楽におぼれていました。(創世記6:1,2) ですから、エホバ神は結婚関係にある男女の間だけ、性関係を認めていますが、悪霊たちはその基準をかなぐり捨てて、性の快楽にふけりたいという欲望を持っています。ですから、多くの心霊宗教に、性の快楽をふけることを容認するような慣行や信条が見られても不思議ではありません。 

宗教団体に潜入して、同性愛者を装って裏モノを入手/オウム・パナウェーブ・法の華三法行へ

  また、麻原は、チベット仏教のダライラマ14世と会談しました。確かに、麻原の信条は、生まれ変わりや神通力を教えているチベット仏教を中心にしています。さらに、後で述べますが、仏教の創始者仏陀もチベット仏教と同じように、転生や生まれ変わりや解脱や神通力を教えています。 さらに、日本では創価学会なども、輪廻転生を教えています。しかし、人類全体は悪行を行う人が増えているのですから、輪廻が起きているのであれば、地上で動物が増えるはずです。しかし、実際は、今さまざまな動物が絶滅危惧種となっていて、世界的に見れば、人口が爆発的に増えていますから、ヒンズー教やオウム真理教や創価学会の教えのように輪廻が起きていないことが分かります。◎エホバ神と悪霊とどちらが強いのですか エホバ神と悪霊とどちらが強いのでしょうか。今までも述べたように、悪霊はエホバ神のように奇跡を行えます。また、悪霊たちは、自分の崇拝者たちに、さまざまな超能力を与えることもできます。 悪霊がある程度、奇跡を行えることは、昔、エホバ神がエジプトで奇跡を行われた時に、ファラオの魔術師たちが、ある程度までは、モーセの奇跡と同じことを行いえたことによって示されています。  例えば、モーセは、杖を蛇に変えましたが、魔術師や呪術師たちも同じことを行えました。(出エジプト7:10-12)また、モーセがナイル川を血に変えた時に、エジプトの魔術師たちも同じことを行えました。また、魔術師たちは、モーセがしたようにかえるをエジプトの地に上ってくるようにさせることもできました。(出エジプト8:7) ところがモーセが地の塵をぶよに変えて人と獣につくようにさせたことは、魔術師たちはしようとしましたができませんでした。それで、魔術を行う祭司たちは、「これこそ神の指です」と言って、モーセの背後にまことの神がいることを認めました。(出エジプト8:18-19) その後、モーセがエジプトにもたらした災いの際には、おおむねイスラエル人は、災いを免れエジプト人だけが災いを被りました。その時、エジプトの魔術師たちが同じことができたという記述はありません。 ですから、悪霊たちも、奇跡によってある程度のことはできます。しかし、全能の神エホバの力の方が圧倒的に悪霊の力に勝っています。エホバ神は人間を再創造することができます。しかし、悪霊たちは、人間に活力を与えたり、ある程度、神通力を与えたりすることができても、生命を再び人間に与えることはできません。 ですから、エホバ神は全能者ですが、悪霊たちの力は限られています。(啓示1:8)ですから、悪霊たちではなく、エホバ神を恐れてこの方を崇拝するのが当然のことです。(啓示14:7) 当然、エホバ神は、ご自分の崇拝者を保護したり、救いに導くことができます。悪霊たちは、自分たちの崇拝者の救いに関心は抱いていません。◎唯一の至高の創造神エホバを崇拝しますか・悪霊を崇拝しますか 悪霊たちを崇拝しているならば、最後には彼らと共に滅ぼされることになります。エレミヤ書は、「天をも地をも造らなかった神々は,地からもこの天の下からも滅びうせる者となる」と述べています。(エレミヤ10:11) わたしたちは至高の創造者エホバを崇拝するべきです。エホバ神は天地を創造されました。長大な時間をかけて労してこられ、人間に対してありとあらゆる気遣いを示してくださっている全能のエホバ神だけが、わたしたちの崇拝と感謝と賛美にふさわしいからです。(啓示4:11) 

創造者であるエホバ神に感謝しこの方を崇拝しましょう

  

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