啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(15)新・半時間天で静寂が起こるのはいつ

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

  第七の封印が開かれた時、約半時間の間天に静寂が起こりました。(啓示8:1)その半時間の静寂の間と思われますが、七人のみ使いが登場し、七つのラッパが与えられました。(啓示8:2)そして、別のみ使いが黄金の祭壇で多量の香を聖なる者たちの祈りと共に捧げました。(啓示8:3,4,6) 

  天で約半時間、静寂が起こったのがいつであるかについてはすでに記事を出しました。「啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(2)半時間天で静寂が起こり別のみ使いが祭壇で多量の香をささげるとは」ですが、この記事の解釈は間違っているかもしれないと思います。 

  天での静寂が起る時点は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が設立される前に、「常供のもの」が除き去られている時ではないかと最初に考えました。 

 しかしながら、啓示8章10節の第三のみ使いがラッパを吹いた後、ともしびのように燃える大きな星が天から落ちたとは、北の王の率いるイスラム教の宗教グループが、二回目の南の王に対する攻撃で敗北を喫することを預言したものではないかと思います。さらに、啓示9章の天から落ちた星が底知れぬ深みのかぎを開けると、いなごが出てきたという部分は、北の王が率いる軍勢が登場することを預言したものではないかと思います。(啓示9:1-3) 

 なぜなら、星とは啓示の書の中で、まず第一に、キリスト教の会衆と解釈できますが、イスラム教もキリスト教の一種とみなすこともできるからです。 

 その解釈が正しいとすると、天で静寂が起こり祭壇で多量の香をささげられる時とは、北の王が南の王に対する二度目の攻撃で敗北するよりも、前の時点について預言したものであるということになります。すなわち、天での半時間の静寂とは、キリスト教の本拠地が軍事攻撃を受けて、キリスト教の奉仕が全世界でストップする時であるとみなすのは、間違っていることになります。 

 もう一度、啓示8章1節の半時間の天の静寂について考え直してみます。天での神の賛美の声が聞こえなくなる他のどんな時があるでしょうか。また、天の半時間の静寂は、七人のみ使いがラッパを吹き始める時について何かヒントを与えているでしょうか。 

(1)約半時間の天の静寂はいつ起きるのか再考する 

 約半時間天の静寂が起こります。(啓示8:1)天の静寂とはいいことではありません。なぜなら、エホバの崇拝者の間では、常に神に対する賛美と感謝の声が聞こえていなければなりません。(詩編44:8。啓示7:9)天といっても、霊者だけがいる天ではなく、大群衆の賛美の声も聞こえるはずの天です。(啓示19:1) 

 つまり、啓示の書の中での天とは、エホバの崇拝者たちが存在している場所を比ゆ的に表していると思います。大群衆が地上にいても、エホバ神とイエス・キリストの近く場所の天にいて神に対する賛美の声をあげています。(啓示19:1)ですから、大群衆もいる天で、約半時間、静寂が起こるというのは、望ましい事ではないと思います。 

 つまり、やはり、何らかの迫害で大きな賛美の声が聞こえなくなる事態を意味しているのではないかと思います。 

天での静寂とは神の民への迫害のために神への賛美の声があげられないことを意味しているのではないか

 

 考えられるのは、啓示6章9,10節の部分です。そこには、神の言葉のために、また、その証しの業のためにほふられた者たちが、大声でエホバ神に対して訴えている部分があります。そこでは、エホバ神が自分たちの血の復しゅうを控えておられることに異議を唱える声が上がっています。ところが、その時点では、まだ待つように告げられます。 

 それで、神の民に対する迫害のために、神への賛美の声が小さくなる時が来ることが予期できますが、その時点では、まだ事態が十分進行していません。大祭司イエス・キリストの指導のゆえに、何とかして神への賛美の声をあげることができたりするのではないかと思います。 

 それで、啓示8章1節の天の静寂とは厳しい迫害のために、賛美の声が一時的に低調になったのではないでしょうか。それで、エホバ神に多くの祈りが捧げられるのかもしれません。(啓示8:3,4)しかし、聖なる者たちは、苦難を経験するとは言え、すぐに黙らされてしまうのではなく「少しの力」で、エホバ神の言葉を守るよう努力を払い、神への奉仕を続行するのでしょう。(啓示3:7) 

(2)半時間の天の静寂は一度目の北の王の総攻撃の前ではないか

 普通、クリスチャンの迫害が激しくなるのは、戦争中です。ですから、一度目の、北の王が南の王に総攻撃をしかける時までに北と南の間で、緊張が高まり、双方の領土で迫害が起きるのではないかと思います。北の王が強大になってくると、ますます北の王の領土内で、国家主義や軍国主義が強くなり、キリスト教徒を軽視することが考えられます。(ダニエル11:37) 

  また、南の王の国内でも、北と戦う機運が高まって来る事が考えられます。(ダニエル11:23)そのため、南の王の国内では、迫害が激しくなって、その結果世界的にエホバへの賛美の声が一時的に低調になるのかもしれません。 

 ダニエル7章の中でも、南の王である小さな角が聖なる者たちに戦いをしかけ、聖なる者たちに対して優勢になることが預言されています。(ダニエル7:21)ですから、南の王の土地の中でも、賛美の声が抑圧され、南の王が神に民に対して優勢に見える事態が、北と南の抗争の初期にも生じるのかもしれません。そして、神の民は最善を尽くしますが、完全に神への奉仕が捧げられなくなるまでに、長期間苦難を経験するのでしょう。 

 その時期がいつであるか、聖書に明記はされていません。でも、戦争が起こる前の時期と、戦時中にクリスチャンへの迫害が強まるというのは、通常起こることです。 

北の王が南の王に最初の総攻撃を加える前に迫害が厳しくなり賛美の声が一時的になくなるのかもしれない

 

 このように判断することに聖書的な根拠がないので、この解釈は間違っている可能性もあります。しかし、その判断が正しいのであれば、啓示8章1節で、七つの封印が開かれ、天で静寂が起こる時とは、北の王が南の王を一度目に総攻撃をしかける前の時期なのでしょう。 

 そして、啓示の預言によると、別のみ使いは多量の香を捧げることをします。(啓示8:3,4)それから、香炉をとり、それに祭壇の火をいくらか満たして地に投げつけました。(啓示8:5)これは、その別のみ使いが贖罪をすることを意味しています。 

 贖罪が行われるということは、神の民の間で、望ましくない状況、偶像崇拝などの罪が犯されている状況があるのではないかと思います。そして、神への許しを求める祈りが捧げられて後、七人のみ使いが七つのラッパを吹く準備をするのではないでしょうか。(啓示8:6) 

 そして、第一のみ使いがラッパを吹く時に起こることは、北の王の南の王に対する第一回目の総攻撃になるのではないかと思います。ですから、半時間の静寂とは、北の南の対する最初の攻撃の前の時なのではないかと思います。 

 けれども、現時点でこの解釈に十分自信があるわけではありません。 

(2)半時間の静寂の後七つのラッパが七人のみ使いに与えられる 

 半時間の静寂の間に、七つのラッパが七人のみ使いに与えられるとは何を意味するでしょうか。聖書時代にラッパを吹く特権は主に祭司級に与えられていました。(民数記10:8) 

 そして、彼らは周囲が偶像崇拝のゆえに神への賛美が低調になっている時に、神の宣言を発表して、エホバ神への神聖な奉仕を捧げるのではないかと思います。(エゼキエル44:10)北の王が強大になるにつれ、南の王の国内では、国家主義と戦争気運が強まることが予期できます。そのために、国家の崇拝という偶像崇拝を行なわせる圧力が強くなるでしょう。(啓示17:5) 

 南の王の国では、過去にクリスチャンによる強い反戦運動が行われ、それは、米国政府の施策に大きな影響を及ぼしてきました。米国政府はそうした反戦運動を快く思わず、クリスチャンに対する迫害を行なう事が予想できます。 

  おそらく南の王の領土では、神の民に対する迫害が長期間にわたって続くのでしょう。(啓示18:5)そのため、非常に早い時期、北の王の南の王に対する第一回目の総攻撃の前にも、神の民に対する迫害が生じているのでしょう。 

 エゼキエル書では、神に仕えるレビ人の祭司の多くが偶像崇拝の圧力に屈してしまうことが預言されています。(エゼキエル44:10)当然、そうなると、エホバへの奉仕が一時的に低調になるでしょう。 

(3)周囲が神に不忠実になっている間神に忠実を保つザドクの子らの祭司 

  しかし、神への賛美が途絶えるという望ましくない状況は約半時間の間です。そして、その間に七人のみ使いが神のみ前に立つことになります。(啓示8:1,2)これは、エゼキエル書にある神の奉仕者のレビ人が神に不忠実になっている間、ザドクの子らの祭司が忠実を示すという預言を思い起こさせます。(エゼキエル48:11) 

 エゼキエル書の預言には、「イスラエルの子らがわたしからさまよい出たときに,わたしの聖なる所の務めを行なった,ザドクの子ら,レビの祭司たち」が存在することが預言されています。(エゼキエル44:15)そして、七人のみ使いは、天の静寂を破り、七つのラッパを吹き、神の音信を発表して、神への神聖な奉仕を捧げ始めます。(啓示8:2,6) 

 ですから、この七人のみ使いは、エゼキエル書でその存在が予告されている、神の民が偶像崇拝に陥っている間も神に忠実を保つ「ザドクの子ら」の「レビの祭司」と同じ実体ではないかと思います。(エゼキエル44:10-15) 

七つのラッパを吹く七人のみ使いとは・・・

エゼキエル書の中で預言されている忠節なザドクの子らの祭司たちを表わしているのではないか 

 

  以上のことから、この天で半時間静寂が生じ、そのご七人のみ使いに七つのラッパが与えられた時点とは、北の王が南の王を第一回目に総攻撃する前のことではないかと考えます。この解釈で正しければ、解釈を進めて行っても、矛盾は生じないと思います。また、啓示8章1節の出来事が起きたタイミングの解釈が間違っていれば、再び、そのことは分かっていくと思います。

 一応、とりあえず、そのような理解で、解釈を進めて行ってみます。

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