「実のならないいちじく」の譬えである。これはルカにしかない。
ところで、福音書には沢山の譬え話があるが、その殆どは「寓喩」(アレゴリー)ではない。つまり、今日のテキストで言うと、「ある人」とは誰のことか、「ブドウ園」は何を意味するか、また、「いちじく」が何で、「実」は何を意味するか、「園丁」とは誰のことか…という風に、いちいち何かに当てはめて解釈することを「寓喩的解釈」というが、イエスの譬え話の大部分はそのように解釈すべきものではない、というのである。それは恣意的な解釈につながる危険がある。
しかし、どこかに中心的なポイントがあることは間違いない。それが、ある大切な真理を暗示する。
今日のテキストで、「中心的なポイント」はどこにあるのだろうか。
多くの注解者は、「もう三年もの間このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ」(7)という句にあると考えている。つまり、「悔い改めの実を結ばないイスラエルに対する警告」がこの譬えの意味だ、というのである。この譬えが、先週学んだこと(悔い改めなければ滅びる)の直後に出てくることも、それを裏付けるであろう。
実際、旧約聖書では、この種の警告が至るところで繰り返されている。その一つが、先ほど読んだエレミヤ書8,8-13だ。イスラエル民族は神に選ばれて、律法を授与され、世界の救いに奉仕すべき歴史的使命を与えられているのに、それを裏切ったばかりか、罪を自覚して悔い改めることもしない、傲慢で頑なな民である。旧約の預言者たちは絶えずこのことについて警告したが、それは聞かれなかった。
新約聖書でも、洗礼者ヨハネはこの預言者的伝統に従って語り(ルカ3,7以下)、イエスも同様に、民族の指導者たちに対して厳しい言葉を投げかけた(同11,37以下)。今日の箇所も、この線上にあるのである。
しかし私は、今日は特に園丁の言葉(8-9)に注目したい。
彼は、「御主人様、今年もこのままにしておいて下さい。木の周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒して下さい」と懇願した。
「もしそれでもだめなら、切り倒して下さい」と言っているのだから、彼も滅びの警告を真剣に受け止めている。その上で、この木のために、もう一年の猶予をお願いしたのである。「御主人様、今年もこのままにしておいて下さい。木の周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません」。
この執り成しの言葉は我々に深い印象を与えないだろうか。
人間の長い歴史を見ると、少数ながら正義のために発言した人がいて、このことが辛うじて社会の全面的な腐敗を防いでいる、ということがある。
我が国にも、そのような人がいた。例えば、足尾銅山の「鉱毒事件」の際、衆議院議員であった田中正造は体を張って抗議し続け、1910年(明治43年)には天皇に直訴したりもしたが、不遇のうちに死んだ。彼が死んだとき、文字通り何一つ残さなかったと伝えられる。ただ、聖書が一冊残された。一見徒労に見えるこのような生涯も、「正義」によって、我々の社会を最も深いところで支えているのではないか。
だが同時に、正義を実践できないでいる多くの人々のために「執り成し」をする人もいなければならない。
イスラエル民族はモーセの不在中、不安に耐えかねて「金の小牛」を作った。この信仰的堕落が、あらゆる道徳的退廃をもたらした。帰ってきて、嘆かわしい現実を目撃したモーセは、激怒してせっかく授かった「十戒」の二枚の石の板を地面に叩きつけて割ってしまう。しかし、翌日になるとモーセは再び山に登り、罪を犯した民族のために、執り成しの祈りを神に捧げた、という(出エジプト記32,30-32)。
この場合、モーセは神の正義を代弁する「預言者的」役割を果たしながら、他方で、民の罪の赦しを心から願って執り成すという「祭司的」役割も果たしている。我々の社会が正しく成長していくためには、この両者は不可欠である。ちょうど、子供を育てるときに、厳しさと優しさが両方とも必要であるように。
「園丁が執り成した」ということは、我々に慰め深いメッセージを送ってくる。
すなわち、我々の世界はこの園丁のような方を持っている、ということである。言うまでもなく、それはイエスである!
十字架の上で、苦しみの中で、彼は「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23,34)と執り成して下さった。世界が多くの罪にもかかわらず猶予期間を与えられているのは、この祈りに支えられているからに他ならない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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