「束縛から解いて」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
2000・2・27

「束縛から解いて」

村上 伸
申命記 5,12-15 ;ルカ福音書 13, 10-17

「18年間も病の霊に取りつかれて」(11)いる女性が登場する。病状については、「腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった」(同)と書いてあるだけで、それ以上のことは分からない。痛みや苦痛があったのか、その他の症状を伴っていたのかどうか。こういうことは全く不明だが、会堂の片隅にひっそりと座っていたところから判断すれば、辛うじて自力で歩くことはできたのであろう。

ルカは、この人が「18年間も」この病気で苦しんでいることを、二度も繰り返して強調している。病むということは、たとえ1ヶ月でも1年でも辛い。それが、18年も続いたというのだ。 症状が一向に良くなる兆しも見えないまま、18年!

この人が何歳になっていたか、我々には分からないが、恐らく物心ついてからの年月の大部分、あるいはほとんど半分を、彼女は悩みながら過ごして来たに違いない。だからルカは、日本語で言えば「病魔」に当たるだろうが、この人は「病の霊に取りつかれて」いたとか、「サタンに縛られていた」(16)とか表現したのである。この言い方は、単に古代人の病気理解が「神話論的」であったというだけではなく、一向に良くならない、頑固な長年の病気にうんざりしている人の気分を代弁するものだ。

 

さて、イエスはこの女性に目を留めて、ご自分の所へ呼び寄せた(12)という。

彼は「人気が」あったから、彼が会堂で話す時は大勢の人が詰め掛けるのが通例であった。12,1に、「数え切れないほどの群衆が集まってきて、足を踏み合うほどになった」とある通りである。だから、遠慮がちに座っているこの女の人に目を留めるなどということは、普通だったらかなり難しい。

群衆の中では、個人は大抵、埋没してしまう。それぞれに問題を持ち、悩みを抱えている一人ひとりの人間。個性を備え、固有の悲しみや嘆きを持つ一個の人格が、群集の中では、「大勢の中のひとり」になってしまい、誰からも顧みられなくなる。これは何も現代社会だけの問題(大衆社会)ではない。古代においても、こういう状況はしばしば現われた。

だが、その中でイエスはこの人を見て、近くに呼び寄せる。そして、彼女が18年間も待ちわびていた言葉を語る。佐藤訳では、「婦人よ、あなたはこれであなたの病弱さから解き放たれたのです」(12)。そしてイエスは、彼女の上に両手を置く。「女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した」(13)。深い慰めである。

 

ところが、喜びと慰めに満ちたこの会堂の中に、水を差すような、冷え冷えとした反応が即座に起こった。会堂で律法を代弁する権威を持つ会堂長からである。彼は、イエスが「安息日に病人をいやされたことに腹を立て」(14)た。そこで、直接イエスに向かってではなく、群集の方に向いて、彼らを扇動するような口調で、「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない」(14)、と言ったのである。

周知のように、「十戒」の第四戒には「安息日にはいかなる仕事もしてはならない」と命じられている。その所を、今日は申命記のテキストで読んだ。単純なもので、しかもそこには「奴隷も休むことができる」という温かい言葉がある。第四戒は元々、単純で温かいものだったということが、これからも分かる。

それがラビ文献の中で次々に拡大解釈され、同時にその性格は「煩瑣で、冷たく厳しい禁止命令」に変わって行く。禁止された労働は39項目に上り、後にはその一つ一つに細かい規定が加わって、イエスの頃には数百の禁令が人々の生活をがんじ搦めに縛りつけていた。その中に、「治療行為の禁止」ということもあったのである。そして、意図的に違反した場合は死刑、と決まっていた。

この点から考えれば、律法の一字一句に忠実であろうとする会堂長が怒ったのはいわば当然である。しかも彼は、自分に与えられた責任の枠の中で、理に適った提案もしている。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい」(14)。

 

だがイエスは、規則の条文よりも、その中で生きていかなければならない人間を見ていた。これが、大切な点である。イエスはこの点で、律法をあくまで遵守しようとする会堂長の真面目さ、「18年も耐えてきたのだから、一日ぐらい待ってもどうってことはないではないか」という冷静で理性的な判断を、超えたのである。

イエスにとっては、規則ではなく、生きている人間の「今」が問題だった。18年もサタンに縛られていた人が目の前にいるのに、「今日は安息日だから、明日またいらっしゃい」と、どうして言えるだろうか。たとえ今日が安息日であっても、今、この人の苦しみに答えなければならない。

この意味で、イエスは、第四戒が本来持っていたであろう、あの単純で温かい性格を取り戻した、と言って良いであろう。神の意志は、冷たい規則や、沢山の煩瑣な禁止命令にあるのではない。

「安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」(16)というイエスの言葉は、あの女性だけではなく、反対者たちをも、群集をも、そして、もしかしたら当の会堂長をも、解放したのではないか。



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