個人的な問題を神に頼った信仰のレアと二心の信仰だったラケルに起きた事

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 姉のレアは妹のラケルよりも美しくありませんでした。「レアの目には輝きがなかったのに対し,ラケルのほうは姿が美しく,顔だちも美しかった。」と聖書の記録は、述べています。(創世記29:17) エホバは昔、男が二人以上の妻を持つことを許していました。それで、ふたりの姉妹はひとりの人ヤコブの妻になりました。

 

信仰があったレアは外見の点でヤコブの目にかなわずラケルよりも愛されないという問題を抱えた 

 

 ヤコブは妹のラケルと結婚することを望んでいたのに、レアは、父ラバンの策略により、妹ラケルよりも先にヤコブの妻になったのでした。(創世記29:22,23)しかし、レアはそうすることを望んでいなかったのに、父親ラバンの命令で仕方なく、父親ラバンと共に、ヤコブを欺いたのかもしれません。しかし、レアも父ラバンの策略に協力したのですから、ヤコブを愛していたのでそうしたのかもしれません。 

 夫のヤコブは、その外見のためにもともとレアよりもラケルの方を愛していました。(創世記29:18)また、ヤコブは、ラケルのためにラバンのもとで七年働いていたのですが、レアのためにヤコブは七年余分にラバンの下で羊飼いとして働かなければなりませんでした。愛していなかったレアのために働くのは、ヤコブにとってストレスになったことでしょう。そのストレスのために、ヤコブはますますレアに対して冷たくなったかもしれません。 

 レアは夫のヤコブの愛が妹ラケルにあることに気づいていました。「[ヤコブ]はラケルとも関係を持ち,しかもラケルに対してレアに対する以上の愛を示した。」と聖書の記録は述べています。(創世記29:30)レアは、ラケルのように愛されていなかったことが、つらくてたまりませんでした。しかし、レアはエホバに信仰を持っていました。このようなどうしようもない状況の中で、レアは、どのように対処したでしょうか。 

昔は一夫多妻が許されていたのでレアはライバルのようには愛されない妻というどうしようもない立場に自分の身を置くことになってしまった

 

(1)レアは自分の個人的な問題についてエホバ神に祈り続けた

 レアは、自分の個人的な悩みをエホバに訴えました。夫のヤコブが自分に対してやさしくしてくれるように、エホバに嘆願しました。すると、エホバはレアの嘆願に答え応じられました。「エホバはレアのほうがうとまれているのをご覧になってその胎をお開きになったが、ラケルのほうはうまずめであった。」と聖書の記録は述べています。(創世記29:31)

レアは人間の力ではどうしようもない個人的な問題をエホバ神に助けを祈り求めた

 

エホバ神はレアの嘆願に答えてレアが何度も妊娠するようにされた

 それで、エホバは愛されない妻というたいへん個人的な問題に同情されて、レアの祈りに耳を傾けられたということが分かります。私たちは、エホバがたいへん個人的な問題に関しても、耳を傾けてくださることを確信できます。 

 レアは妊娠して男の子を産み,その子をルベンと名づけました。ルベンとは、「見なさい,息子です!」という意味があるそうです。レアは、「エホバがわたしの惨めさを見てくださったので、いま夫はわたしを愛してくれるようになるから」と言いました。(創世記29:32) 

 このレアの言葉からも、レアが、夫のヤコブから妹ラケルのように愛されていなかったことがたいへん惨めであり、そのことをエホバに訴えていたことが分かります。レアは、夫に愛してもらいたいということをエホバに訴えていました。昔は、子供を出産することは妻にとって大いに誉れとなることでした。レアは、ヤコブの長男ルベンを出産したことで、エホバに祈りを聞いていただいたように感じたことでしょう。 

 彼女は再び妊娠して男の子を産み、レアは、「エホバは聴いてくださり,わたしがうとまれていたのでこの子をも与えてくださったのです」と言いました。レアは、その子を「聞くこと」という意味のシメオンと名づけました。それで、シメオンの名は、エホバがレアの嘆願を聴いてくださったことにちなんでいました。ヤコブの気持ちは長男の出産でも、そう変わらなかったので、レアは、エホバに祈り続けていたことが分かります。 

 レアは、またも妊娠して男の子を産み、その子をレビと名づけました。レビとは、「固着; 共になった」という意味です。レアは、「今度こそ夫はわたしと共になってくれるでしょう。わたしはあの人に三人も男の子を産んだのですから。」と言って、レビという名をつけました。 

 そしてレアは、もう一度妊娠して男の子を産み,その子をユダと名づけました。ユダとは、「たたえられた; 称賛の的」という意味です。レアは、「今わたしはエホバをたたえます」と言いました。ですから、レアは、夫のヤコブから愛されないという感情的につらい状況にあってエホバに粘り強く祈り続け、エホバは、レアの祈りに答え応じられたので、レアは、エホバを賛美し、そのことにちなんで息子に名前をつけました。

 

レアの祈りのゆえにヤコブはたくさんの神に忠実な子供たちに恵まれる結果になった

 

 レアは、自分が子を産まなくなったので、はしためのジルパをヤコブに妻として与えました。ジルパは、男の子をふたり産み、ガドとアシェルという名をつけました。 

 「それから、神はレアの願いを聞いてそれに答え,彼女は妊娠し,やがてヤコブに五人目の男の子を産んだ。」と聖書の記録は、述べています。(創世記30:17)レアは、なおもエホバに辛抱強く祈り続けていたことが分かります。 

 レアは、その子をイッサカルと名づけました。イッサカルとは、「彼は報酬(報酬の人)である」という意味です。 そのときレアは、「わたしが自分のはしためを夫に与えたので、神はわたしにその報酬を与えてくださった」と言っています。レアは、息子を神からの報酬と考えて、それにちなんだ名をつけました。レアは、物事を神中心に考えていたことが分かります。 

 それからレアはもう一度妊娠し,ヤコブに六人目の男の子を産んで、その子をゼブルンと名づけました。ゼブルンとは、「寛容」という意味です。 そのときレアはこう言いました。「神はこのわたしに良い賜物を授けてくださった。ついに夫はわたしに寛大にしてくれるでしょう。わたしはあの人に六人も男の子を産んだのですから。」 

 ですから、レアはヤコブに愛され寛大にしてもらいたいという難しい問題についてエホバに辛抱強く祈り続けていたことが分かります。そして、エホバは、レアの祈りに何度も答えられました。それで、レアは、自分の問題を神中心に対処しました。 

(2)レアの抱えていた問題は現実的に消失してしまった 

 さらに、妹のラケルは、ヤコブが父親のイサクの元に戻る道程で、ヨセフの弟を妊娠し、産気づきました。ひどい難産だったので、ラケルはベニオミンを首尾よく、出産した後、死んでしまいました。(創世記35:16-18) 

 それで、レアは妹ラケルをある程度は愛していたはずなので、そのことを望んだわけではなかったと思いますが、レアにとって、ラケルが自分よりも夫から愛されていたのはひどいストレスであったので、ラケルの死は、レアにとってストレスからの解放になったはずです。 

 ライバルのラケルがいなくなり、レアはヤコブの正妻としては第一の立場に立つことになりました。どうして、エホバはラケルが若死にするという事態を許されたのでしょうか。もちろん、当時は、出産時に、産婦が命を落とすというようなことは、普通に起こることであったでしょう。 

(3)ラケルのエホバ神に対する信仰の程度を考える 

 ラケルは神に信仰がなかったわけではありませんでしたが、その信仰は弱く不誠実なものでした。ラケルは、最初自分が子供を産んでいなかったことを神に訴えるのではなく、ヤコブに訴えました。それで、ヤコブはそのことでラケルにいらだちを表しました。そして、ラケルはその後、自分の侍女をヤコブに与えました。(創世記30:1-3)ラケルのその行動は、神に頼って行なわれた者ではありませんでした。 

 侍女が妊娠した時、神により子供が与えられたと神への感謝を表明しています。(創世記30:6)しかし、侍女が二度目に出産した時は、そのことをエホバ神に結びつけませんでした。(創世記30:6-8)しかし、ラケルが、神に頼ったので、エホバは彼女の願いにこたえて、彼女がヨセフを妊娠して出産するようにしました。そして、ラケルはエホバ神のおかげだと言っています。(創世記30:22-24) 

 しかし、ラケルの神に対する信仰はレアのようには、全幅の信仰ではありませんでした。彼女がヨセフを産んだ後、ヤコブは実家のイサクのもとに帰りたいと、妻たちの父親ラバンに言いました。(創世記30:25)そして、ラケルはその時に、エホバを神とする態度が欠如していることを明らかに表しました。ラケルは父のものであるテラフィム像を盗み出して、父親ラバンから別れる時に持っていきました。(創世記31:19) 

 当時、テラフィム は、家族によって神とされる偶像で、当時の人々は、テラフィムに伺いを立てて、お告げを求めたり、占いをする風習がありました。(エゼキエル21:21)ラバンはそのテラフィム像について「わたしの神」と言っています。(創世記31:30)

 

ラバンはテラフィムの神を崇拝していたのでラケルを含む彼の家族も影響を受けていたことが考えられる

 ですから、ラバンはエホバ神を崇拝していたのではなく、テラフィム像を自分の神と考える偶像崇拝者でした。ですから、ラケルもエホバ神を崇拝していると口では言いながら、ラバンと同じような考え方をしていた可能性があります。 

 しかも、 ラケルの行為は、盗みでした。さらに、ラバンがテラフィム像を探しに、ラケルの天幕に来た時に、ラケルは正直にその像を父親に返すのではなく、うそを言って隠しました。ラケルは、父親にうそを言ってまで、テラフィムを持っていたいという気持ちがあったのだとも考えられます。そして、ラケルが像を盗んだことをヤコブは知りませんでした。(創世記31:32) 

 ですから、ラケルがテラフィムを盗んだということは、ラケルがエホバ以外の異国の神に頼る気持ちがあったこと、ラケルがテラフィムを崇拝する気持ちがあったことや、もしかすると心霊術に頼る気持ちがあったかもしれないことを示しています。 

 その後、ヤコブが家族の者たちに、「外国の神々の偶像」を家族に言って提出させ、大木の下に埋めた時に、ラケルも、自分が持っていたテラフィム像をヤコブに渡したでしょう。彼らは,「持っていた外国の神々の偶像全部」をヤコブに渡したと記されているからです。(創世記35:4)  ラケルもテラフィム像をヤコブに渡してヤコブはラケルがそれを持っていたことに気づいたはずです。でも、ヤコブがそのことについてラケルを叱ったことについては、一言も書かれていません。 

 その時、ヤコブはラケルをはっきり叱責して、ラケルと神との関係が回復するようにした方が良かったかもしれません。ヤコブは家族の所有していた偶像を処分した後に、ベテルでエホバに指示された通りに、祭壇を作りました。そのことは、エホバ神に喜ばれました。(創世記35:9-12) 

 その後、彼らがベテルから離れた後、まもなく、ラケルは産気づきました。ラケルは、夫に言われて偶像を手渡したものの、まだまだ霊的に弱い状態にあったと考えられます。そして、ラケルは、その点について、エホバ神に罪の許しを求めてもおらず、エホバ神の確固とした崇拝者でもありませんでした。 

 

ラケルは確かに愛らしい人で神への少しの信仰も持っていたが・・・

同時にラケルはテラフィムなどの偶像に頼り信仰において二心だった

 

エホバ神は美しくても不信仰なラケルの若死にが起きるのを許されたかもしれない 

 

  ラケルは確かに美しかったのですが、エホバ神に頼りながらも偶像にも頼っていました。エホバ神に対する信仰において優柔不断でした。エホバ神は、ラケルがテラフィムを頼る気持ちを持っていたことに不興を感じられたことも考えられます。 (サムエル第一15:23)実際、エホバ神は後になって偶像崇拝を禁じられた時に、ご自分のことを「私エホバは全くの専心を要求する神である 」と言われました。 (出エジプト20:4,5新世界訳改訂版) 

 それで、エホバ神はヤコブとその子孫には祝福を与えるという約束をされて、ご自分にいちずに頼るレアの祈りを聞かれてレアを助けられました。一方、エホバ神はラケルに対しては、ベニヤミンを出産した時に、難産を生き延びるように助けを与えられなかったかもしれません。

 当時は、まだモーセの律法は与えられていなかったのですが、アブラハムはエホバ神と直接言葉のやり取りをして交渉しました。それで、ヤコブは、エホバ神について自分の妻のレアやラケルに話していたはずです。レアはヤコブの教えに応じて、エホバに信仰を持って頼りましたが、ラケルは家族の神の偶像にまだ頼っていました。 それで、格言には、「律法を聞こうとしない人,その人の祈りさえ忌まわしい」とあります。(格言28:9新世界訳改訂版) まだ、偶像崇拝を禁じる律法はなかったとは言え、エホバ神は、ご自分ではなく偶像に頼るラケルの祈りを聞くことはされなかったことが考えられます。 

 一方、レアは、最後まで、個人的な問題でも、専心エホバ神に祈り続け、彼女の個人的な問題も消失してしまいました

  

(4)レアはヤコブの正妻として墓に入りメシアの先祖となる 

 しかしながら、最終的に、ヤコブのふたりの妻に対する感情は変わったかというと変わりませんでした。最後まで、ヤコブにとって最愛の妻は、ラケルでした。ヤコブは年をとってから、自分の最愛の妻がラケルであったことを言い表しています。(創世記44:27)それで、レアは、ラケルよりも美しくなかったので、ラケルよりも夫のヤコブに愛されませんでした。 

 しかし、エホバについては、「人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見るからだ」と述べられています。(サムエル第一16:7) レアは、その信仰のゆえに確かに、エホバには愛されました。レアは、その息子のユダを通してイエスの先祖となるという誉れを受けました。(マタイ1:2,3)

 さらに、レアの個人的な問題まで、彼女が生きている間でも、かなりの程度まで、実際的に緩和されるという結果になりました。そして、レアはヤコブの正妻として、長生きしました。 

 しかし、ヤコブの正妻として墓に入れられたのは、レアでした。(創世記49:29,31)レアは、最後にヤコブから、ラケルよりも優先されました。このことをレアは復活してから知ることになって喜ぶかもしれません。

 

レアはユダを通してイエスの先祖になるという誉れを受けることになった

 

(5)エホバ神はレアの愛されない妻という感情的な問題に同情しておられた

  エホバは後になってモーセの律法下で、女をその姉妹に加えてその妻に張り合う者としてめとることを禁じられました。(レビ18:18)このことは、肉の姉妹と張り合う関係となり、肉の姉妹よりも愛されないというレアの苦しみの感情にエホバが同情しておられたことを示しているでしょう。エホバは、そうした人間の個人的な感情に同情を示される神です。 

 しかし、復活した後は、レアとヤコブとの結婚関係は終わっています。イエスは復活した人はみ使いのようになっていると言われました。(マタイ22:30)そして、生きていた時、レアがエホバと培った親密な関係は、継続します。レアは復活した楽園においてもエホバに依り頼むことでしょう。 

 人間の力ではどうしようもない惨めな状況があるものです。そういう時でも、エホバに依り頼むなら、エホバとの親密な関係のうちに慰めを得ることができます。私たちも家族の問題、夫の浮気などの問題や、離婚するかどうかの問題、不妊の問題などさまざまな個人的な悩みの場合もレアのようにエホバに祈って神中心に問題を解決していきましょう。そのようにして培ったエホバとの親密な関係はわたしたちの永遠の財産となることでしょう。 

レアのようにどうしようもない個人的な問題もエホバに申し上げて神に解決していただきましょう

 

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