聖書は物質的な富があっても来るべき大患難には何の役にも立たないと述べています。箴言は、「貴重な品は憤怒の日に何の益にもならない」と述べています。(箴言11:4)「憤怒の日」とは、「エホバの憤怒の日」を意味するでしょう。(ゼパニヤ1:18)
「エホバの憤怒の日」とは、過去に何度もあった、エホバがご自分に不忠実な神の民を敵の手によって攻撃される時を意味するでしょう。(エゼキエル7:15) また、「憤怒の日」とは、将来的には北の王が南の王を攻撃する「大患難」を意味するでしょう。(マタイ24:21)また、神がこの事物の体制の最後の時に、邪悪な者たちすべてに裁きを執行される時をも意味するでしょう。
聖書はまた、「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない」と述べています。(ゼパニヤ1:18。エゼキエル7:19)確かに、大患難の時に、金、銀などの貴重品は何も役に立たないでしょう。
エゼキエル書には、金や銀は「彼らの魂を満足させることも,彼らのはらわたを満たすこともない。」と述べられています。(エゼキエル7:19)確かに、金や銀によっては大患難での食糧不足を乗り切る助けにはなりません。
聖書の過去の歴史を調べてみると、歴史の転換点になるような大変動の時、物質的な所有物は命を救うものとはなりませんでした。
ノアの大洪水の時に貴重品は何も持っていけませんでした。ノアの家族は、箱船に動物たちと食糧を積むだけで精一杯でした。(創世記6:18-21)ノアの家族は、箱船に乗るために家や家財道具をあきらめて後に残さなければなりませんでした。
Noah'sArk Cycle: 2. Entering the Ark (ark1)ノアは箱船に自分たちと動物と食べ物をのせ家と家財と貴重品はあきらめなければなりませんでした
西暦前607年のバビロンによるエルサレムの滅びの時も、西暦70年のローマ軍によるエルサレムの滅びの時も、貴重品を持っていても何もなりませんでした。 その時、エルサレムが敵軍によって包囲され食糧が極度に不足したので、お金があっても、人々の中には、自分の子供を煮て食べる母親もいました。(哀歌4:10)
貴重品は、その後エルサレムに侵入してきた敵の軍隊に略奪されました。貴重品を持っていても、助命されることはなかったでしょう。前もってエルサレムから脱出しておく方が賢明でした。
聖書によると、西暦前八世紀にエルサレムがバビロンの攻撃を受けた時、一部の人々は、前もってバビロンに捕らわれていました。その人々はバビロンで生き永らえました。一方、貴重品を持っていても、エルサレムにとどまっていた人々の大半は、貴重品は奪われて、命を失ってしまいました。
一世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、西暦70年にローマ軍が勝利を収めた時には,ユダヤ人の死者は110万人に上っていました。その時も極度の食料不足のために、攻囲されたエルサレムの中で、人肉を食べる人がいました。 また、生き残った9万7,000人も,一部の者は直ちに処刑され,他の者たちは奴隷にされました。
確かに、神の怒りの日にエルサレムでは貴重品を持っていても、何の役にも立ちませんでした。
ARoman portraitbust saidto be of JosephusScanned from a copy of Josephus' 'The Jewish War' dated 1888(josephus)public domainヨセフスのものと考えられている像ヨセフスはエルサレムで貴重品が役に立たず人肉を食べた人がいたことを記録している
しかし、クリスチャンはイエスの警告からそのローマ軍の攻撃という大災害について前もって知っていました。(マタイ24:15,16)彼らはその前に山地に逃げていました。
西暦三、四世紀のエウセビオスの「教会史」によると,ユダヤのクリスチャンは西暦70年のエルサレムの滅びに先立ってギレアデの山地にあるデカポリス(Decapolis)の都市ペラ(pella)に逃げることにより,イエスの預言的な警告に従いました。(ルカ21:20,21) 彼らは、エルサレムに家と家財の多くを残して自分の命のためにペラに逃げなければなりませんでした。
Portraitof Pope Eusebius in Saint Paul Outside the Walls(eusebius1)エウセビオスの肖像エイセビオスはクリスチャンが家と家財道具を後にして山地に逃げたことを記録している
TheMigdol Temple, Pella Project excavations, 2005.Original uploaderwas DavidThomas71 at en.wikipedia - Originallyfrom en.wikipedia;description page is/was here.TheBronze / Iron Age Migdol Temple at Pella, Jordan (D.C. Thomas,February 2005)(pella1) ペラの遺跡―1世紀のクリスチャンは家と貴重品を後にしてペラに逃げてエルサレムの滅びを生き残りました
また、イエスは、物質の所有物に重きをおかないようにと言われた際に、ロトの妻の例を挙げました。イエスは、「屋上にいる人は,家財が家の中にあっても,それを取りに下りてはならず,野に出ている人も,後ろのものに戻ってはなりません。 ロトの妻のことを思い出しなさい。」と言われました。(ルカ17:31,32)
ロトの妻は、神から裁きを受けたソドムから逃れる際に、振り返らないようにとみ使いから言われていましたが、後ろを振り返りました。そのために、塩の柱になってしまいました。
Sodom'sdestruction; Lot and daughters escape; MonrealeCathedral mosaics(lot1)ロトの妻はソドムに残した貴重品を惜しんで塩の柱になって命を失ったようです
イエスが、家に残った家財のために、取りに戻ってはならないと言われていることから、おそらくロトの妻はソドムに残した家財などの貴重品を惜しいと感じて、後ろを振り返ったのでしょう。貴重品を惜しむ態度によってロトの妻は命を失いました。(創世記19:17,26)
ロトの妻は、ソドムで行われていた同性愛や暴虐を憎むべきでした。そうであれば、ソドムに残してきた貴重品を振り返るべきではありませんでした。
当然、大患難の時に、今日の対型的なエルサレムである南の王の土地にとどまっているなら、北の王が南の王を攻撃する時、貴重品と共に、もしくは貴重品は奪われて滅びてしまうことになるでしょう。 大患難の時に、貴重品は役に立ちません。敵から命が奪われる時に、また、厳しい食糧不足の時に、貴重品が何の役に立つでしょうか。
大患難まで貴重品に執着するよりも、大患難までに貴重品や富を神への奉仕や神のご意志を行うために用いる方が賢いと言えます。貴重品を神に是認されるために用いる方が、その人の命を生きながらさせることになるでしょう。
例えば、自分や他の人々が山に逃げるように取り計らうために貴重品を用いることができるでしょう。そのようにすると神にも喜ばれ、他の人々にも感謝されるでしょう。(テモテ第一6:17-19)
でも、私たちは聖書の預言がいつどのように成就していくのかは事態の進展を観察していかなければ分かりません。それで、私たちは自分の持つ貴重品をどのように使うかについて自分の信仰に基づいて自分で決定するべきです。聖書は寄付について、「強いられてでもなく、ただその心に決めたとおりに行いなさい。」と述べられています。(コリント第二9:7) 私たちは、他の人に自分の貴重品をどのように用いるかについて強制したり、指示したりすべきではないでしょう。富や貴重品の用い方について他の人を強制すると後で問題が生じるでしょう。 聖書の預言は成就していくでしょう。最後の者に与えられた時間は比較的短いと考えられるとは言え、その成就のための時間は長いでしょう。(マタイ20:12)
私たちは、この事物の体制で生き続けていかなければなりません。ですから、ある程度の富を私たちは必要としています。しかし、大患難で貴重な品は何の役にも立たないことを考慮に入れて富を賢明に用いていきましょう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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