エホバの証人は、自分たちがエホバに是認された唯一の組織であると考えています。それで、自分たちの組織に忠実にとどまっていれば、何があっても大丈夫だと考えています。
聖書の神に是認される唯一のキリスト教の組織が存在するのでしょうか。そのことについて過去の神の僕の歴史から考えてみたいと思います。 結論からいうと、神の是認は流動的なものだと思います。その神の僕あるいはグループの神に対する忠実さに依存しています。(コリント第一4:2)ですから、神に是認される組織であっても、神の是認を失う可能性があるということです。
過去を振り返ってみると、一世紀のヨハネが送った啓示の書の七つの会衆への手紙によると、一世紀のクリスチャン会衆には、神に忠実を保つスミルナ会衆やフィラデルフィア会衆のような良いクリスチャンも存在し、淫行と偶像崇拝に陥っていたテアテラ会衆の成員のような悪いクリスチャンも存在していました。
そして、その同じ状況は、「末の日」にも全世界のクリスチャン会衆に存在するでしょう。しかし、スミルナやフィラデルフィア会衆の成員も圧力に負けて不忠実になる可能性は存在していました。また、テアテラ会衆、その他の会衆の成員も悔い改めて神の是認を得られる可能性もありました。
ですから、どんなクリスチャンの個人もグループも絶対未来永劫神に是認される組織としてとどまることができると言うことはできません。ある神の僕が神に忠実である限り、その人は神に是認されます。しかし、神の律法や神の言葉に不忠実になるならば、神の是認を失ってしまいます。このことは、個人だけでなく、神の僕と称するグループにも生じます。
ですから、エホバの証人の組織が神の是認を得ていたとしても、エホバ神や聖書の言葉に不忠実になるならば、神の是認される組織でなくってしまいます。
神に是認される組織は移り変わる可能性があります。しかしながら、聖書の神は形を変えてもご自分に忠実な人々をこの地上に持たれるでしょう。なぜなら、聖書は神がご自分に「忠実な思慮深い奴隷」級や、聖なる者たち「十四万四千人」を持たれることを示しているからです。(マタイ24:45。啓示14:1)
聖書的に神に是認されるそれらの人々は、地上での表れとしては、時代や場所によってさまざまに異なるでしょう。また、二つの組織が神に是認され用いられるという事態も起こりうると思います。
エホバの証人の統治体は、自分たちが有能なので、神に用いられる忠実で思慮深い奴隷であると主張しています。私は、エホバ神は、有能であるかそうでもないかにかかわらず、忠実なクリスチャンを忠実で思慮深い奴隷として用いられると考えます。
Watch Tower Board of Directors jailed in 1918 for violation of the Espionage Act聖書はその能力の度合いにかかわらず忠実なクリスチャンを忠実で思慮深い奴隷とみなしています
しかし、その論議を置いていても、聖書の中には、神に忠実な天的希望を持つ十四万四千人が存在することが示されています。たったの八人だけがエホバ神に是認され、用いられるのではありません。そして、エホバ神は、この終わりの時の対処しにくい終わりの時を生き抜くために、たった八人の天的希望を持つ人だけに任せるというのは考えにくいです。
一世紀もローマ帝国の支配下にいたクリスチャンは、難しい状況に耐えるために、巧みな指導を必要としていましたが、終わりの時の状況も一世紀と同じか、もっと状況は難しいでしょう。ですから、エホバ神は、たった八人だけではなく、相当数の天的希望を持つクリスチャンを起こして、この事物の体制の終わりを生き残るように世界中のクリスチャンを助けると考えられます。
また、一世紀のクリスチャンは最初にエホバに聖霊で油そそがれたら、最後まで救いが保証されているということはありませんでした。例えば、天的な希望を持つクリスチャンであったアナニヤとサッピラは不忠実になって神に裁かれてしまいました。また、奉仕することをやめてこの事物の体制で生きることにしたクリスチャンも一世紀に存在しました。
天的な希望を持つクリスチャンのひとりアナニヤは不忠実になって神に裁かれました―最初に神に選ばれたことが最後まで忠実であることを保証するわけではありません―すべての油そそがれたクリスチャンが個人的に神に不忠実になるという可能性があります The Death of Ananias, by Raphael
私たちが、ある神の僕、あるいはあるクリスチャンと称するグループに従って行って大丈夫かどうかは、それらの人々が現時点で神の律法や神の言葉に忠実であるかどうかによって左右されるでしょう。
このことは、わたしたちひとりひとりが聖書に精通して、その人々、またそれらの組織が、聖書に調和しているかどうかを判断できなければならないことを示しています。(ヘブライ13:7)
例えば、ダビデは、神に忠実な時は神に是認されていました。しかし、姦淫と殺人を行なって神の是認を失いそうになりました。しかし、預言者ナタンがダビデを戒め、ダビデはナタンに助けられて悔い改め神の是認を保ちました。(サムエル第二12:13)
ですから、もし、ダビデがナタンの言うことを受け入れなければ、ダビデに従うイスラエル人も神の是認を失う可能性がありました。
後ほど、アサ、エホシャファト、ヒゼキヤ、ヨシアなど何人かの神に忠実な王たちが登場しましたが、国民の全体を神に忠実になるよう導くことはできませんでした。もちろん、北のイスラエルも南のユダの国家に属する人々の中には、神に忠実な多くの人々がいたと考えられます。(列王第一19:18)
それで、確かにある組織の中心となる人々の神に対する忠実さは、その組織に従う人々に非常に大きな影響を与えます。そして、昔イスラエルの国家の指導者たちは、神に忠実な王も神に不忠実な王も存在し、そのためイスラエル国家全体が影響を受けました。
それで、エホバの証人の統治体も過去から多くの天的希望を持つ兄弟たちが関係しています。その兄弟たちが、その当時得ていた聖書の知識に基づいて最善を尽くして神に忠実を保っていれば、神に是認されていたと考えられます。しかし、昔、イスラエルに起きたことは、現在のエホバの証人の統治体にも起こりうるでしょう。
もし、現在の統治体の兄弟たちが神の言葉聖書に不忠実になれば、やはり、それまで得ていたエホバ神の是認を失うでしょう。そして、聖書は終わりの時に知識が増し加わることを予告しています。明らかになった聖書の理解を受け入れないならば、エホバの証人も難しい事態に立たされるでしょう。
聖書は、教える立場にある人々に重い責任があると述べています。教える人は、もし不忠実であるならば、「より重い裁きを受ける」と述べられています。(ヤコブ3:1)それは、教える立場にある人々は、教えている人々に対する影響力が大きいので、当然であると言えます。
また、一世紀、エルサレムの使徒たちと年長者たちのグループは最初は神に忠実でした。しかし、彼らの中からモーセの律法の割礼の要求を守ることを主張する人々が現れて、神の言葉にある程度、不忠実になりそうになりました。(使徒15:1)
しかし、使徒パウロは、エルサレムの長老団をいわば助けました。彼はエルサレムでその点に関する話し合いを持つように取り計らいました。(使徒15:2,6)さらに、長年、諸会衆に対して聖書に基づいた手紙を送って、聖書から論じました。(使徒17:2。ローマ2:28,29)そのようにして、エルサレムの長老団が正しい聖書的な見方を持つように助けました。
もし、パウロの助けがなかったなら、真理において経験の長いエルサレム会衆の長老団といえども、神の言葉の真理からそれていき不忠実になる可能性がありました。もし、エルサレム会衆の長老団が神の言葉の真理に不忠実になってしまっていたら、エルサレム会衆の長老団の指導に従うグループは神に是認される組織とは言い難くなったでしょう。
そして、聖書は一世紀のクリスチャン会衆に背教が起こることを予告していました。(ペテロ第一2:1)キリスト教がローマの国教になつてローマ帝国の非常に多くの人々がキリスト教の信条を受け入れた時に、それらの人々はクリスチャンとしての基準を下げてしまいました。それで、一世紀のクリスチャン会衆の中に、背教が入り込み、クリスチャン会衆がさまざまな点で神に不忠実になり、神の是認を保てなくなりました。
しかし、歴史を通して、初期クリスチャンの足跡に従うよう努力をする聖書に忠実なクリスチャンの個人やグループが各地に存在しました。例えば、ロラード派やワルド派や一致兄弟団は初期クリスチャンの足跡に従って歩むよう努力をしていました。ですから、神に是認される組織は形を変えながら存在していたと言えます。
そして、私は聖書は、神に是認されるいわば二つのグループが存在し得ることも示していると思います。古代のイスラエルでも、神に忠実な二つのグループが存在する事態になったかもしれませんでした。 北のイスラエルと南のユダに分裂しました。残念ながら、北のイスラエルはその設立の最初から偶像崇拝を始めて神に不忠実になりました。しかし、もし、北のイスラエルがそうしたことをしなければ、神に忠実な二つの国家が存在していた可能性もありました。
Oldtidens_Israel_&_Judea.svg: FinnWikiNo derivative work: Richardprins (talk) - Oldtidens_Israel_&_Judea.svg もし北のイスラエルが偶像崇拝に陥らなければ北のイスラエルと南のユダという二つの神に是認された組織が存在しえました
一世紀には、エルサレム会衆の長老団の指導に従うグループとアンティオキア会衆に協力するパウロを中心としたグループが存在していました。アンティオキア会衆はエルサレム会衆と区域を分け合ってある程度、独立して宣教活動をしていました。(ガラテア2:9)ですから、神に是認されるグループが二つ存在したともいえるでしょう。
エホバ神は、過去において、ご自分の正しい崇拝の方式やご自分のご意志をご自分に忠実な人々に啓示されました。ところが、その忠実な人々がエホバ神に不忠実になる時、それらの人々は神の是認を失いました。また、その関係者たちはその影響を受けて神に不忠実になることによって神の是認を失ってしまいました。そうしたことは何度も起こりました。
しかし、その場合、エホバ神はご自分に忠実な預言者を起こすという場合がありました。エホバの是認はその忠実な預言者とその仲間に移ることになりました。例えば、ユダの王が神に忠実であったり、不忠実であったりした時に、エホバは神に忠実な預言者イザヤやエレミヤを起こされました。そして、それら神に忠実な預言者の仲間たちは、国家が全体的に神に不忠実になっても、神の是認を保ちました。
私たちは、聖書の知識に基づいて、とりわけ自分たちのグループの指導的な立場にある人々が神や聖書に忠実であるかどうかを見極める必要があります。(ヘブライ13:7)
Adam Dimmickエホバの証人の統治体の兄弟たちがエホバに是認されているかどうかは聖書の言葉に忠実であるかどうかに依存しています―聖書に基づいて判断する必要があります
しかしながら、聖書は神はご自分に忠実な十四万四千人を最終的に集めることになることを予告しています。(啓示14:1)そして、神の王国、また、新しいエルサレムは完成されることになっています。(啓示21:2)神の目的は達成されます。
ですから、神に是認されるクリスチャンの唯一の組織であると考えていても、神や聖書に不忠実になるなら、神の是認を失うという可能性はいつでも存在します。 エホバが未来永劫絶対に是認される組織というのは、聖書的な大きな枠組みでは存在します。しかしながら、それらの聖書的な組織に属する忠実な人々は、表面に現れる組織としては、形を変える可能性があります。
また、昔のイスラエルと、一世紀のクリスチャン会衆で起きたことを考えるならば、二つの組織が神に是認されるという可能性もあるでしょう。
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