「ヨナ書」

「そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。」
(「マタイによる福音書」12章38〜42節、口語訳)

ヨナ書

フィンランド語原版執筆者: パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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「ヨナ書」ガイドブック

内容には一部変更が加えられています。聖書の引用は口語訳によっていますが、必要に応じて直接ヘブライ語原文からも訳出しています。なお、章節の番号についてはBiblia Hebraica Stuttgartensiaに準拠しているため、口語訳聖書とは一部ずれています。

ダメな予言者ヨナ、よい預言者ヨナ

「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様

「ヨナ書」について

ヨナとは何者か?

旧約聖書に含まれる多数の預言書の中でも「ヨナ書」は例外的であると言えます。他の預言書では預言者自身の話や説教がその大部分を占めているのに対して、「ヨナ書」ではヨナの体験した冒険談がその主要な部分を構成しています。

「ヨナ書」に描写されていることがら、たとえばヨナが海の大きな魚の腹の中に入ったことやニネヴェの異邦人たちが悔い改めて主なる神様を信じるようになった事件などは実に不思議な出来事です。このため、多くの聖書研究者は「ヨナ書」の内容を歴史的な出来事とはみなさず、架空の教訓談や譬え話としてとらえています。

「ヨナ書」には、この書に描かれている出来事がいつごろ起きたのかを確定するために必要な情報がほとんどありません。ニネヴェは紀元前612年に滅亡したので、ヨナのニネヴェ伝道はそれ以前になされた出来事だったということになります。また「列王記下」14章25節には「アミッタイの子ヨナ」についての言及があります。彼はイスラエルの王ヤロベアム二世の時代(紀元前793年〜753年)に活動した預言者です。彼はガリラヤ地方のナザレにほど近いガト・ヘフェルの出身でした。ヨナをサルパトのやもめの息子と同一視するユダヤ人の伝承もあります。預言者エリヤが死から生き返らせたあの子どものことです(「列王記上」17章17〜24節)。

これから、ある問題を考えてみたいと思います。「ヨナ書」は紀元前750年頃にイスラエルの預言者ヨナに起きた実際の出来事を記録したものなのでしょうか。それとも、アミッタイの子ヨナを主人公に据えた架空の物語あるいは譬え話なのでしょうか。

「ヨナ書」を譬え話とみなす主張について

旧約聖書の研究者のうちの大多数は「ヨナ書」を歴史的に信用できる文書ではないとみなしています。「ヨナ書」のことを「教訓物語」とみなす人もいれば「諧謔的な掌編」ととらえる人もいます。また「アレゴリー」(寓話)に分類する人もいれば、たんなる「譬え話」と考える人もいます。

「「ヨナ書」は歴史的事実に基づくものではない」と主張する根拠としては、たとえば次のことがらが挙げられています。
1)ヨナはクジラの腹の中にいたはずがない。クジラの喉は小さすぎて人間を呑み込むことができないからである。
2)ヨナの時代には、イスラエルの民は神様の意思を異邦人に宣べ伝えることを認めていなかった。
3)「ヨナ書」にはアラム語の影響がみられる箇所がある。すなわち、この書はバビロン捕囚以後に書かれたものだということになる。
4)「英雄が魚の腹から救い出される」という物語はギリシア神話にもある。したがって、この書はギリシア神話から転用された創作品であり、ヘレニズム時代(とりわけ紀元前300〜200年ごろ)に書かれたものである。
5)「ヨナ書」はいわゆる歴史書ではない。この書を記した者もその内容を文字通りに受け取ることを期待してはいなかった。この書は教訓物語であり喩え話なのである。

こういった主張を支持する研究者たちは「ヨナ書」をバビロン捕囚以後の紀元前400年〜200年頃に書かれたものであると推定しています。

もちろん、一方では上述の主張に対する批判もあります。

1に対する批判)聖書は「クジラ」がヨナを呑み込んだとは言ってはいない。「大きな魚」とか「海の怪物」といった表現をしている。イエス様もヨナについて「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」(「マタイによる福音書」12章40節、口語訳)と言っておられる。ともあれ、聖書もヨナが救い出されたことを普通の出来事ではなく奇跡とみなしている。
2に対する批判)神様が異邦人たちに憐れみを豊かに示されたことをヨナも認めていない。
3に対する批判)たとえ「ヨナ書」が紀元前400年〜200年頃に書かれたものだとしても、「この書に描かれている出来事がかつて実際に起こり後代まで語り継がれていった」という可能性は否定できない。「ヨナ書」の言語的な特徴(アラム語の影響)は北イスラエルの方言の影響であるとも推定されうる。たとえば「士師記」12章6節の「シッポレト」と「シッボレト」という方言の違いに関する記述をここで思い起こそう。
4に対する批判)同一かあるいは類似した「物語」が他の書物にも登場するからといって、イスラエルの民がそれを他から借用したということの証拠にはならない。それとは逆に他の書物のほうが「ヨナ書」の内容を借用したという可能性だって同じようにありうる。
5に対する批判)「ヨナ書」は譬え話ではありえない。譬え話としてはあまりにも複雑すぎ、多様な解釈が可能でありすぎる。譬え話においては通常ある特定のメッセージが強調されるものである。「ヨナ書」が譬え話であるとするならば、どうしてその主人公としてわざわざ「アミッタイの子ヨナ」という昔の預言者が選ばれなければならなかったのか。一般的には、譬え話のメッセージを誰にでも該当しやすくするために「不特定の人物」が主人公として選ばれるはずである。

「ヨナ書」を歴史的な事実の記述として認めるのを妨げる最も強力な根拠になりうるのは、この書に記されている数々の奇跡でしょう。これらの点については後にそれらの該当箇所で詳しく取り上げることにしましょう。

イスラエルの敵

神様がヨナに行くように命じたニネヴェという都市はアッシリアの首都であり、メソポタミアのチグリス川に面していました。

当時アッシリアはまだ広大な領土を誇る大帝国ではありませんでした。紀元前745年に王となったティグラト・ピレセル3世が導入した軍制改革(徴兵制度)によって、アッシリアは文字通り「世界の覇者」となりました。紀元前722〜720年にはアッシリアの軍隊はイスラエル王国の首都サマリアを占領して破壊し、イスラエルの民を捕囚としてメソポタミアへ連れ去りました。

ヨナのしるし

「自分がメシアであることの証としてどのようなしるしを我々に示すつもりなのか」と問われたイエス様は「「ヨナのしるし」以外のしるしは与えない」とお答えになりました。(「マタイによる福音書」12章38〜42節、16章1〜4節、「ルカによる福音書」11章29〜32節)

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