啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(19)新・第一のみ使いがラッパを吹く

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

 七人のみ使いが七つのラッパを吹く準備をします。(啓示8:6)そして、第一のみ使いがラッパを吹くと、血の混じった雹と火が生じ、それが地に投げつけられます。すると地の三分の一と樹木の三分の一が焼き尽くされ、緑の草木のすべてが焼き尽くされます。(啓示8:7) 

 今回は、この部分の解釈を再調整してみます。一応、第一のみ使いがラッパを吹くとは、第一回目の北の王の南の王に対する総攻撃であるとみなして解釈してみます。(ダニエル11:25)聖書の預言は、一人の神の霊感によるものであり、互いに補い合っていると考えるからです。それで、ダニエル書の預言と啓示の預言は互いに調和しているはずだからです。 

 もし、そのように解釈して、預言の解釈に不合理なことが生じて来なければ、この解釈が正確だということになると思います。

(1)雹と火が生じてそれが地に投げつけられるとは何を意味しているか 

第一の者がラッパを吹くとどんなことが起りますか

 

 第一の者がラッパを吹くと、「血の混じった,雹と火が生じ,それが地に投げつけられ」ました。(啓示8:7)血の混じった雹と火とは何を意味しているのでしょうか。詩編18編には、「至高者ご自身がその声を,雹と燃える炭火とを出しはじめられた」とあります。(詩編18:13)それで、比ゆ的な雹と火とは、エホバ神の声を意味すると考えられます。 

 そして、詩編18編の文脈を見ると雹と燃える炭火の声とは、神に忠実な僕を敵の迫害から助け出すために、神の怒りの表明として神が敵を叱責することを意味しています。(詩編18:7,15,17) 

 なぜ神の怒りの表明があるのでしょうか。啓示8章1節によると、イエス・キリストが「第七の封印を開いた時,約半時間のあいだ天に静寂が起こり」ます。これは、神の民に対する迫害によって神の民による神への賛美の声が低調になったことを意味していると思います。 

 この時、南の王の国を含めて世界各地でクリスチャンに対して迫害が生じていることが予期できます。イエスは「事物の体制の終結」の時に、クリスチャンたちが、「わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となる」事態が起こることを予告されました。(マタイ24:3,9)この事態に対して、南の王の土地にいる神の民の敵や諸国民に対して神の怒りが生じるのは当然だと思います。 

(2)生じた雹と火に血が混じっていたとは? 

 生じた雹と火に血が混じっていたとは何を意味するのでしょうか。(啓示8:7)エゼキエル38章には、エホバがゴグの軍勢に対して、「疫病と血とをもって」裁きを行ない、また、神はゴグの軍勢に、「みなぎりあふれる大雨と雹,火と硫黄」を降らせます。(エゼキエル38:22)この記述は、血と雹と火という点で、啓示8章の第一の者がラッパを吹くことによって生じた事と同じような要素を含んでいます。 

 エホバがゴグの軍勢に「血をもって」裁きを行なうとは、ゴグの軍勢が剣によって血を流しあい、同士討ちをして、命を失うことを意味しています。(エゼキエル38:22 )エゼキエル38章によると、エホバの「すべての山地の至る所で剣を呼び起こして」ゴグの軍勢を「攻めさせ」ます。「各人の剣は自分の兄弟に向かうことに」なります。(エゼキエル38:21) 

 それで、エホバの声に血が混じっていたということは、エホバの裁きを伴う声の結果、北の王と南の王が同士討ちをして互いに血を流し合うことを示唆しているのではないかと思います。 

血の混じった雹と火が地に投げつけらる

 

 そして、第一の者がラッパを吹くと、「血の混じった,雹と火が生じ,それが地に投げつけられ」ますが、その直後に預言されていた最初の北の王による南の王に対する総攻撃が生じると考えるのが妥当です。(啓示8:7) 

 エホバ神は、諸国民にその望むままに行動させますが、それは、奇しくもエホバ神の裁きと調和し、神の民の迫害が緩和するという結果になるということではないかと思います。 

(3)北の王が南の王に対して第一回目の総攻撃をしかけようとする時に発展していると考えられる状況 

 それまでに、南の王の領土の中で、クリスチャンの血が流される迫害がすでに生じていたと考えられます。北の王が、ますます強大になっていくでしょう。(ダニエル11:23)北の王は、まず、中東の富んだ大国に対して軍事攻撃を行ない、国力を増し加えます。(ダニエル11:24) 

 南の王の領土の中では、北の王に対するライバル心が生じ、国家主義が強くなり、自国のために剣をとって戦うようにという圧力がクリスチャンに対して強くなることが考えられます。そのために、南の王の国内では、殉教が生じることが予期できます。(啓示17:5,6) 

南の王の土地では特にクリスチャンに対する迫害が強くなることが予想できます

 

 一方、北の王は「他のすべての神にも考慮を払わず,すべての者に勝って自分を大いなるものとする。」ことが預言されています。(ダニエル11:37)ですから、北の王は南の王に対して総攻撃を行ない、勝利を収めて世界で第一の覇権国になろうという野心を抱くでしょう。(ダニエル11:25) 

 また、大いなるバビロンに「地上でほふられたすべての者の血が見い出された」と言われているので、北の王が行動する理由は、大いなるバビロンである南の王がとりわけ中東で行った流血に対して復しゅうをするという動機もあるでしょう。(啓示18:24) 

 北の王は、この時点ではまだ一応イスラム教だと考えられますが、イスラム教やキリスト教などの宗教に考慮を払わない世俗的な政府の権威を高めようとする国家になるでしょう。北の王は、「自分の父たちの神に何の考慮も払わない」、つまり、イスラム教にでさえ考慮を払わないことが預言されています。(ダニエル11:37) 

 そのため、北の王の領土の中でも、国家主義や軍国主義が強まり、良心的兵役拒否をするクリスチャンは迫害を受け、殉教する者もいることが考えられます。それで、エホバ神は、ご自分の怒りを表明され、迫害者同志、すなわち北の王と南の王が双方で互いに戦うことによって、自ら、命を失うようにされるのではないかと思います。 

 そのことが第一の者がラッパを吹いた後に、雹と火が地に投げつけられ、それには「血が混じって」いたことによって表されているのではないかと思います。(啓示8:7) 

(4)地の三分の一が焼き尽くされるとは 

 第一の者がラッパを吹くと、地の三分の一と樹木の三分の一と緑の草木のすべてが焼き尽くされます。(啓示8:7)これは、何を意味しているのでしょうか。 

 まず、「地」とは何を意味しているのでしょうか。啓示の書では、「地に住む者たち」と「あらゆる国民・部族・国語・民」が並列に置かれています。(啓示14:6)ですから、「地」とは、地球上のあらゆる国民を意味していると考えられます。三分の一とは、正確に三分の一でなくとも、ある不定の数または量で、かなりの数または量を意味すると考えられます。 

 ですから、第一の者がラッパを吹くと全世界のあらゆる国籍と部族でなる人々のかなりの部分が影響を受けることになります。「焼き尽くされる」とは何を意味するでしょうか。(啓示8:7)サムエル第二23章6,7節には、「火で彼らはすっかり焼き尽くされてしまう」ということと、「どうしようもない者たち」が「みな追い払われる」ことが並列に記載されています。 

 それで、「火で焼き尽くされる」とは、比ゆ的な意味で、神から「追い払われる」、つまり、非とされていることを宣告されることを意味していると思います。これは、神の裁きの宣告と、第一回目の北と南の抗争のために、非常に大勢の人々が命を失うという実際の結果も意味するのではないかと思います。 

 ダニエル11章の預言では、北の王が「大きな軍勢」を率いて、南の王に対して攻撃しようとするのに対して、「南の王もまた甚だ大きく強大な軍勢」を率いてその戦いに臨みます。しかし、結果として南の王の「軍勢」は、「押し流され、多くの者が打ち殺されて必ず倒れる」ことになっています。(ダニエル11:26) 

 さらに、北の王の軍勢の進路にいる人々は兵士だけでなく、民間人も大勢命を失う結果になるでしょう。そのことは「地の三分の一が焼き尽くされる」という言葉で預言されているのでしょう。(啓示8:7) 

  地上で最強の軍勢であるはずの南の王の軍勢が倒れるのはなぜなのでしょうか。その一つの理由は、南の王すなわち、南の王の軍勢の司令官が「崩壊」してしまうからです。(ダニエル11:26)南の王が倒れてしまうので、南の王の軍勢の士気にマイナスの影響があるのでしょう。 

 とりわけ、第一の者がラッパを吹くことによって、北の王の側に立つ大勢の諸国家は、南の王とその同盟国に対して第一回目の軍事攻撃をしようとしていることが明らかにされ、そのことが神から是認されていないことが示されるのではないかと思います。(啓示17:16) 

(5)樹木の三分の一が焼き尽くされるとは? 

 樹木の三分の一が焼き尽くされるとは何を意味しているのでしょうか。(啓示8:7)樹木は何を表わしているのでしょうか。 

  詩編1編には、邪悪なことを避けて神の律法を毎日読む人が水のほとりの木として表わされています。しかし、神の律法を毎日読む人は繁栄すると述べられています。(詩編1:1-3)一方、圧制者である「邪悪な者」が「自生地に生い茂った木」に例えられています。しかし、彼らが過ぎ去っていなくなることも述べられています。(詩編37:35)ですから、木はいずれにしても、個々の人を表わしています。 

 しかし、神が義なる人を非とすることは考えられないので、焼き尽くされる樹木は、「邪悪な者」の中のとりわけ「圧制者」を表わしていると考えられます。(詩編37:35)北の王の南の王に対する第一回目の総攻撃が近い時に、戦い合う両陣営、とりわけその中心となる圧制者たちを神が非としておられることが示されるではないかと思います。 

樹木の三分の一が焼き尽くされるとは邪悪な圧制者たちを神が非とされ彼らがいなくなることを意味する

 

 また、実際、上に述べたように司令官である南の王は、「たくらみ」のために、「彼の美食を食していた者たち」、すなわち味方の高官によって「崩壊」することが預言されています。(ダニエル11:25,26) 

(6)すべての緑の草木が焼き尽くされるとは? 

 焼き尽くされるすべての緑の草木とは何を表わしているのでしょうか。(啓示8:7)この緑の草木とは、当然比ゆ的な緑の草木です。詩編の中には、咲き出る邪悪な者たちが「草木」になぞえられています。(詩編92:7)ですから、剣をとって戦おうとする神の律法に違反する邪悪な者たちすべてに対する神の不興が表明されるのではないかと思います。 

 それで、とりわけ邪悪な者たちは、剣をとり、北の王の率いる軍勢と南の王の率いる軍勢との間の国際紛争に参加します。そのことは、神の不興を買うことが表明されます。そして、実際に剣をとって戦う者たちは、文字通りにも草木が焼き尽くされるように命を失う結果になるのではないかと思います。 

 それで、第一のラッパを吹く最後の者たちは、今にも起ころうとしている国際紛争、第一回目の軍事攻撃の中心となる圧制者たちに神の不興があることを表明するのではないかと思います。さらに、第一のラッパは北の王と南の王に率いられて剣をとって戦おうとする非常に大勢の双方の一般の兵士たちに、神からの不興を表明し、警告を与えるのではないかと思います。 

第一のラッパは第一回目の北と南の紛争に参加する兵士たちに神の不興を表明する

 

 さらに、北の王の進路に住んでいる南の王の領土の人々は、民間人であっても、命を失ってしまうので、第一のラッパを吹く最後の者たちによる、第一回目の北の総攻撃の警告を聞いた時には、南の王の領土から逃れているのが賢明ではないかと思います。 

 わたしたちは、剣をとって戦うことを避け、第一回目の北と南の間の抗争に巻き込まれないようにして、第一のラッパの警告から益を受けられると思います。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help