使徒5章・組織へ盲従するのではなく神の言葉に従う

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

「私たちは、自分たちの支配者として人間より神に従わなければなりません。」(使徒5:29)

盲目的に油そそがれた者に従っていれば、私たちはそれでいいのでしょうか。聖書を調べると、昔の神の僕が盲目的に油そそがれた者に従っても、結果が良くなかったこと、また、新しく油そそがれたクリスチャンが、より古い油そそがれたクリスチャンに盲従するのではなく、聖書に第一に従う努力を払ったことを示しています。

ヨアブは、油そそがれた王ダビデに盲従しましたが、結果は良くありませんでした。ダビデは、バテ・シバと姦淫を犯し、その夫ウリヤを死に追いやるという過ちを犯しました。ダビデは、バテ・シバとの姦淫を隠すため、ウリヤが命を落とすよう戦闘が一番激しいところにやるようにヨアブに指示しました。ヨアブは、ダビデの指示に盲目的に従いました。(サムエル第二 11:14‐17)

ダビデはエホバに油そそがれた王だったので、ヨアブの盲目的な従順の行ないは正しいものになったでしょうか。やはり、ヨアブの行動は正しいものにはなりませんでした。ヨアブはエホバとの関係を損ないました。ヨアブの行動は、エホバに非とされていた殺人でした。ヨアブの行動は、ヨアブが神の言葉と律法を軽んじるひとつの現れでした。ヨアブはダビデに盲目的に従いましたが、人生の最後には、ダビデに指示されたソロモン王により、処刑されました。(列王第一2:29-34)

ヨアブはその時、ダビデに盲目的に従うべきではありませんでした。それが殺人を禁じるエホバの言葉に調和していないことをダビデに指摘するのが、正しい行動だったでしょう。

一方、初期クリスチャンは、人間ではなく、聖書の言葉に第一に従うように努力を払いました。(使徒5:29)そのようにした良い模範は、アンティオキア会衆のパウロです。

パウロは、一世紀のエルサレム会衆の長老団に盲目的に従うということはしませんでし。一世紀には、ユダヤ教の体制が終わり、キリスト教の体制に変わり、モーセの律法は終わりました。(ローマ10:4)でも、この真理をユダヤ人のクリスチャンはなかなか受け入れられませんでした。それで、キリストの死後も、クリスチャンであっても割礼を受けることが必要だと主張する人たちがエルサレム会衆の長老団の中にいました。(使徒15:1,5)

そのような主張は、エルサレムで長老たちの集まりが持たれて、割礼を受ける必要は無いという裁定が下されて後も根強くあったようです。(使徒15:28,29;16:4)後になって、パウロがエルサレムを訪れた時、エルサレム会衆の長老団は、パウロが割礼の習慣を非としているという評判があったので、モーセの律法の要求に従っていることを示すように求めました。(使徒21:20-24)パウロは、モーセの律法を守ること自体は聖書の原則が容認する行ないだったので、エルサレム会衆の長老団の求めに従いました。(使徒21:26)

しかし、エルサレム会衆の長老団がモーセの律法に固執するのは間違っていましたし、キリスト教の新たな進展に従ってもいませんでした。このことは、クリスチャン会衆内で中心的な役割を果たしている真理において長い経験のあるクリスチャンであっても、聖書的に間違った信条に固執する場合があることを示しています。

パウロは、会衆への手紙の中で、モーセの律法を守ったり割礼を受けたりする必要がないことを聖書から論じました。(ローマ2:28,29;3:30。ガラテア5:2-6)さらに、パウロは、モーセの律法はイエスによって廃されていましたから、モーセの律法を守ることに固執することは、クリスチャンにとって後退であることを説明しました。(コロサイ2:16。ガラテア5:4)

パウロはエルサレムの会衆の長老団の間違った見解に盲従するのではなく聖書から論じる手紙を書いた

パウロは、エルサレム会衆の長老団に盲目的に従っていれば、いずれエルサレム会衆の長老団が、エホバの導きにより、正しい聖書の理解に到達するだろうとは考えませんでした。クリスチャンがなぜモーセの律法を守る必要がないと言えるかということを聖書から長年にわたって論じました。

パウロは、エルサレム会衆の長老団の聖書的な間違いを正すために、聖書から論じました。パウロは権威のある人に単に盲従するのではなく、聖書の正しい理解に第一に従ったという点で私たちの模範です。そのようにして、パウロは人間ではなく、エホバに第一に従いました。

私は、エホバの証人の統治体はさまざまな点で尊敬すべきところがあると思います。彼らは、私たちが聖書の基本的な真理を見極めるように助け、神の律法を守るように助けています。また、愛を示すことなどの聖書の原則を生活に当てはめるように助けています。また、宣教に励むように大群衆を助けています。また、統治体の兄弟たちも、聖書の研究に励んでいると思います。

しかし、私は、エホバの証人の統治体の聖書預言の解釈の一部は十分に聖書と調和していないと思います。もし、大群衆が、統治体の兄弟たちの聖書預言の解釈に盲目的に従っていても、それが聖書と調和していない場合、正しくはならないと思います。また、それによって救われるわけでもないと思います。

それで、聖書に固く従いたいと願っているクリスチャンは、油そそがれたクリスチャンの聖書の解釈が、聖書にしっかり根ざしているか検討する必要があります。そして、組織の教えに盲従するのではなく、第一に聖書の正確な知識に従う必要があります。

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