エレミヤ32章-モレクに捧げた子供の犠牲-兵士として戦うことと堕胎
正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。
エレミヤ32章によると、バビロンに包囲されていたエルサレムで捕らわれの身にあったエレミヤにエホバの言葉が臨み、エホバは、エルサレムがバビロンの王の手によって焼かれることをさらに確証されました。(エレミヤ32:28,29)エホバ神が、ユダの人々をバビロン王の手に渡すことにされたのはどうしてでしょうか。 それは、ユダの人々の偶像崇拝のためです。ユダの人々はバアルなどのほかの神々に崇拝を捧げました。(エレミヤ32:29)また、エホバの家に偶像を置きました。(エレミヤ32:34) さらに、ユダの人々はヒンノムの子の谷で、バアルの高き所を築き、息子や娘を異教の神のモレクに「火で焼いて」捧げていました。(エレミヤ19;5;32:35。エゼキエル20:16)それは子供を殺すことを意味していました。
Rex Morache Follow Molech's Baby Killers Modern Molechユダの人々はモレク神に子供を火で焼いてささげました-それは現代に何を意味していますか エホバ神はイスラエル人にモーセの律法を与えました。モーセの律法の十戒の中には殺人と偶像崇拝を禁ずるおきてが含まれていました。(出エジプト20:4,5,13)しかし、イスラエル人は、モーセの律法を守りませんでした。イスラエル人は、偶像崇拝を行ない続けました。 昔ユダがエホバ神を怒らせユダとエルサレムに滅びをもたらした、子供を偽りの神に火で焼いて捧げることは今日、何を意味するでしょうか。文字通りに子どもを火で焼いて偶像の神に捧げることは、今日行われないでしょう。 まず、国家が国民を徴兵して、戦争に狩り出し、そのために国民が死亡するならば、それは、国民を異教の神に捧げて殺すことを意味する事になるでしょう。つまり、国家主義というひとつの神、あるいは、ひとつの宗教のために子供を犠牲にすることになります。昔、第二次世界大戦中に、戦地に向かった兵士はお国のために戦うと考えました。それは、崇高なことだと考えられました。German Navy officers' visit to Yasukuni Shrine (March 1937)国のために子どもを兵士として戦わせることは異教の神に子どもを捧げて殺す偶像崇拝と同じです しかし、聖書の視点は異なっています。当然人殺しは、聖書の中で、禁じられています。(啓示21:8)さらに、キリストは、クリスチャンに武器をとって戦うことを禁じています。(マタイ26:52)U.S. soldiers take cover during a firefight with insurgents in the Al Doura section of Baghdad 7 March 2007クリスチャンが武器をとって人殺しをすることは神の怒りを買います 聖書は、国家を野獣として描写している場合があります。理性のない野獣のように国家は互いに戦い合うことがあります。聖書はクリスチャンに国家に敬意を払い、従うことを勧めています。(ローマ13:1)でも、神の律法を無視して国家に盲従する事を野獣の崇拝と述べて禁じています。(啓示13:4; 14: 9, 10)Phillip Medhurst国家のために戦うことは崇高なことだと考えられていますがエホバの目には野獣の崇拝です ですから、クリスチャンで、神の是認を得たいと願うならば、人殺しは避ける必要があります。もし、その国家が国民に対して武器をとって戦うことを強制するならば、クリスチャンが聖書の神の是認を保ちたいと願うならば、その国から出る必要が出て来るでしょう。 さらに、親が子供を殺すことで思い浮かぶのは、堕胎です。多くの人は、胎児は人間であるとは考えていません。しかし、聖書を見ると、母親のお腹の中にいる胎児もエホバ神は人として、ご覧になっています。(詩編22:10)受精した卵子も胎芽も神にとっては一人の人間です。(詩編139:14-16)lunar caustic - Embryo母親の胎内の胎児はエホバの目に一人前の人間ですから胎児を殺すのは殺人です これは、一般の人が考える殺人よりも、エホバ神が考える殺人の範囲が広いことを意味しています。また、多くのカトリック教会は、中絶を殺人とみなしていて、子供を妊娠した時に、そのまま出産することになります。また、一部のプロテストタント教会でも、中絶を殺人とみなしています。また、エホバの証人も中絶を罪とみなしています。 そのため、中絶を殺人とみなしている宗教グループの家庭では、子だくさんになる傾向があります。そのような家庭では、家族の人数が多くなるために、多くの場合、家族が貧しいという結果になります。 世界の国々や地域の幸福度を調べた調査があります。確かに、経済レベルが高いと幸福度が高くなるという傾向はあります。しかし、世界中の国家の幸福度を調べてみると、必ずしも、経済レベルと一致しません。貧しくても幸福度は割と高いという地域もあります。 多くのキリスト教諸国家、とりわけ、カトリックの影響力の強い地域で、経済レベルにかかわりなく、幸福度が高い傾向があります。家族の絆を大事にする家庭では、家族の支え合いがしっかりとして、精神面、感情面での幸福度は高いという結果になるでしょう。(詩編128:3) また、発展途上国などでは、子供も、家族にとって貴重な労働力とみなされる場合が多くあります。勢い、子供の数が多くなっても気にしません。また、発展途上国では、非常に多くの家族が貧しく、大家族であることが多いために、生活費を抑えて、貧しい生活を送っていることを気にしません。A family from Basankusu, Democratic Republic of the Congo. Francis Hannaway 発展途上国では貧しい生活を送ることを気にせず堕胎をしないので家族が互いの命を尊重し家族の絆が強くなり人々の幸福度が高くなる場合があります 家族の絆が強く、助け合いが行われている場合、一般的に幸福度は高くなります。そして、目に見えない神への信仰も幸福度の向上に貢献します。 さらに、子供の数が多いと、子育て中は、経済的に大変ですが、子供が大人になって皆が働くようになると、その家族は全体的に経済的に豊かになるという状況が見られる場合もあります。その結果、今日多くの発展途上国で、全般的に経済的に発展しているという状況も見られます。 しかし、多くのキリスト教諸国家で、教会員が教会の教えを守らないという事態が見られます。そのため、教会員が家族を大切にしなかったり、平気で殺人や盗みをすることになれば、幸福度は低くなるでしょう。 一方、一般的には、先進国では、先進国では、昔よりも、生活費が一般的に高くなっています。子育てのために膨大な費用がかかります。発展途上国のように、ただ子供に食料と最低限の衣服を備えればいいというわけにはいきません。どの家庭も、家に何台ものテレビや何台もの車を持っていたりします。皆が、固定電話だけでなく、携帯をひとりひとり持ちます。 そうすると、生活費が昔より高くなります。また、子どもにも、テレビや携帯を買って与えたり、塾に通わせたりします。すると、子育てにお金がかかります。多くの若い親たちは、子育てのための高額の費用を負担できないと考えます。そのため、母親が妊娠したことに気づいても、産婦人科の病院に行って堕胎をすることが行われます。Ed Yourdon昔よりぜいたくになりひとつの家族当たりの生活費が高くなっているので夫婦の子供の数が少なくなっています堕胎は殺人です また、ネットを調べると、伝統的な仏教では、不殺生戒が最も重要な戒律であり、中絶に反対しているとあります。また、仏教でも、生命の始まりは性行為である、つまり、受精し胚になった段階で生命とみなし、それを破壊することは殺生であるとの考え方が一般的であるとあります。 ところが、私は日本の仏教のお寺のお坊さんが堕胎がいけないと教えていると聞いたことがありません。普通、仏教の教えに触れるのは、お葬式の時なので、堕胎について触れることがないからでしょう。 そして、以前宗教を持っていた人がその信仰に対して信仰心を失ってしまった場合や、信仰心を捨ててしまった場合、平気で堕胎を行なうということになるでしょう。また、宗教を持たない人には、何の倫理観も存在しないため、とりわけ、堕胎や殺人について、何らの罪のとがめも感じないということになるでしょう。 それで、とりわけ、先進国で、堕胎が広く行われているでしょう。日本では、厚生労働省の統計によると、一時的には一年に100万人の人工妊娠中絶が行われてきましたが、現在では、一年に約30万人弱の妊娠中絶が行われているようです。 今、日本は、少子高齢化で、一年に約30万人弱、人口が減少しています。しかし、もし、人工妊娠中絶を行なうことを一切避ければ、日本の人口は、減らないことになるでしょう。そして、将来の日本の税収も減らないということになるでしょう。人工妊娠中絶を避けるなら日本の人口は減らないでしょう しかし、子供が奇形であると判断されて、母親に堕胎が勧められることがあります。しかし、妊娠時はとりわけ薬の服用や喫煙やパソコンや携帯などの電磁波が発生する物を避けるという一般的な注意を守ることによって子供の障害はかなり避けられるでしょう。 また、結婚していないのに、性関係を持って妊娠してしまい堕胎をするという人も多いでしょう。それで、堕胎という神の目に殺人を犯さないためには、きちんと結婚してから、性関係を持つ方がいいことになります。Jonathan Dayきちんと結婚した後に性関係を持つと堕胎をせずにすみます また、子どもを育てる家庭の場合、他の人と異なる生活をすることを恐れないならば、子供の数が増えても、子育てをすることができます。例えば、車を持つことは、便利であっても、家計に負担になることを考えて、家族が車を持たないようにするという選択もありえます。家族の生活費を節約すれば生まれた子供を堕胎をせずに育てられます また、子供に必ずしも携帯を持たせたり、ゲームをやらせたり、必ず、塾に通わせたりしなければならないということはありません。子供の教育については、塾に通わせるのではなく、親子で一緒に図書館に行って、本を読むようにすることによって費用をかけずに子供の知的な能力や学習力を自由に伸ばすことができるでしょう。 また、できるだけ祖父母の近くに住めば、子どもの世話が必要な時、祖父母の協力も得られるでしょう。そのようにすれば、保育所の費用を節約できます。それで、さまざまな方法で、できるだけ費用をかけずに、子育てをするよう工夫をすることができます。 周囲と同じ生活スタイルを持たなければならないという圧力に抵抗し、自分の家庭が他と異なっていることを恐れないという態度が必要でしょう。また、そのようにする理由を子供たちにもきちんと説明してあげることが必要です。そのようにすれば、子供も他の家族と異なっていることを嘆くことはないでしょう。 このように知恵を働かせることによって、堕胎という殺人の罪を神の前で、犯すことを避けることができます。それは、エホバ神との良い関係をもたらし、神に祈りも聞いていただけるでしょう。また、堕胎が神に対する罪であることを知らずに、堕胎をしてしまった場合は、エホバ神にキリストの贖いの犠牲に基づいて、罪の許しを願い求めましょう。