ある老牧師の物語”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
アメリカのある老牧師の物語です。 ある日曜日の夕拝でのことです。賛美のあと、牧師がゆっくりと立ち上がって講壇に歩み寄り、説教の前に、老牧師である一人のゲストを紹介しました。その老牧師は、その教会の牧師の非常に親しい友人の一人で、少し時間を与えられ、会衆に短い挨拶をするよう促されました。 老牧師は講壇に立つと、こんな話を始めました。「一人の父親と、その息子、そして息子の友人、この三人がヨットで太平洋岸沖を航行していました。近づきつつある嵐を避けるために岸に戻ろうとしていると、突然、大波が押し寄せてきました。その父親は長いヨット暦を持つ経験豊かな人でしたが、ヨットは転覆し、三人は海に投げ出されてしまいます。」 老牧師は、一瞬、間を置いて、教会堂の最前列に座っていた、教会が初めてだという二人の十代の若者のほうを見ました。老牧師は、彼らが興味深い様子で話を聞いているのを確認すると、また話を続けました。「父親は体に結びつけた一本しかないロープをどちらの子供に投げるかという、人生で最も重大な決断を一瞬のうちに下さなければなりませんでした。父親は、自分の息子がクリスチャンであること、また息子の友人はそうでないことを知っていました。耐え難い苦悩の中で、父親は息子に向かって大声で名前を呼び、愛してるよ!と泣き叫びながら、ロープを息子の友人のほうに投げました。父親がその友人を転覆したヨットまで引き寄せた時には、息子は激しいうねりに呑まれ闇の中に消えていました。」 最前列で、背中を真っすぐにし、真剣に話を聞いていた二人の若者は、老牧師の口から出る次の言葉を心配そうに待ちました。 老牧師は続けました。「その父親は、彼の息子がキリストと共に永遠の世界に入ることを知っていましたが、息子の友人がキリストなしに永遠の世界に入ることに耐えられませんでした。それゆえ、彼は息子の友人を救うために息子を犠牲にしたのです。これと同じ事を神は私たちのためにして下さいました。私たちの天の父は、私たちを救うために、大切な独り子を犠牲にされたのです。私は、あなたを救うために神が投げられた命綱を、あなたがつかむことを心から願います。」 そう言うと、老牧師は静かに自分の席に戻りました。 その教会の牧師は、ゆっくりと講壇に上り、会衆に向かって短い説教を取り継ぐと、最後に、新しい人たちの中に神を信じたい人はいないか尋ねました。しかし、その招きに応じる人は誰もいませんでした。 礼拝が終わり、しばらくすると、二人の若者が老牧師のもとにやって来ました。そして、その中の一人が、「先生の話はとても感動的でした」と丁寧に言葉をかけ、それから続けて、「しかし、父親が自分の息子の友達をクリスチャンに導くために自分の息子の命を犠牲にするなんて、あり得ないことだと思います」と言いました。 すると老牧師は、「ほんとにあり得ないことだね」、と擦り切れた聖書に目を向けながら答えました。それから満面の笑みを二人に向け、「確かに、それは非現実的で、本来あり得ないことなんだ。しかし、それが私のために独り子を犠牲にされた神の心であったに違いないことを私に垣間見させるために神が私に与えられた経験なんだ。そして、それを君たちに語るために私は今日ここにいるんだ」と言いました。 「分かるだろう。私がその父親で、君たちの牧師が私の息子の友人なんだ。」
今日の一言: 神はあなたのために独り子を犠牲にされた 平安鶴田健次
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