死に打ち勝つ道”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
”死に打ち勝つ道”について考えてみました。人間は必ず死ぬ者です。これは、非常に厳粛な事実です。人間は、いつか必ず死ななければならない存在です。これには、いかなる差別もありません。老人だけでなく、若い人も必ず死ぬ時が来ます。病気の人だけでなく健康な人も、貧しい人だけでなく金持ちも、また、いかなる身分にも関係なく、すべての人にやがて必ず死ぬ時が来るのです。人間が一番忌み嫌う言葉は「死」です。死が怖いので、できるだけ死について考えないようにします。日本では、ほとんどの病院やホテルに4号室の部屋がありません。「4」は「死」を連想させるからです。しかし、人がどんなに「死」について考えないようにしても、死を考えざるを得ないのです。どんなに死を避けようとしても、誰も死を避けることはできません。人間は、この世に生を受けて、誕生した瞬間から、一刻一刻と死に向かって歩んでいるのです。ですから、この死の問題は人生の最重要課題なのです。ぜひ、あなたもこの「死」の厳粛な事実をご自分の問題として真剣に考えてみて下さい。人は、人生の重要なことのために色んな準備をします。出産、入学、進学、就職、結婚、マイホームの建築、老後などのために準備をします。しかし、なぜ、人は、万人に必ず訪れる死のために備えをしないのでしょうか。世界の指導者たちは核戦争を避けるために、懸命に努力をします。なぜでしょうか。それは、「死」が恐ろしいからです。しかし、冷静になって考えてみてください。核戦争が起こっても、死者の数は、起こらなかった時よりも多くなるわけではありません。なぜなら、人間の死亡率は100%だからです。核戦争やテロが起こらなくても、人は必ず死ぬ時が来るのです。ところで、そもそも人はなぜ死ぬのでしょうか。人類は最初から死ぬべき者として創造されたのではありません。神は、最初の人アダムを罪のない死なない存在として創造されました。ところが、アダムは悪魔の誘惑に陥り、誘われるままに、妻のエバと共に神の掟を破ってしまい、その結果、罪が彼らの中に入り、彼らは死ぬべき者となったのです。それ以来、人間はその誕生の時から同じ罪の性質を持って生まれる者となり、今日に至るまで、神に背を向け自分勝手な罪の道を歩み、死と永遠の滅びへの道を突き進んでいるのです。(もしあなたが人間が死ぬ理由をご存じでないなら、聖書が明らかにしている死の原因を一笑に付さないで下さい。やがて必ず分る時がやってくるはずです)ですから、どんなに科学や医学が進歩しても、人間の「死」の問題を解決することは不可能なのです。医学によって病気を一時的に治癒することができたとしても、それは僅かな延命には役立ちますが、「死」の問題の解決にはなりません。科学の力も、権力も、富の力も、人類の「死」の問題を解決することはできません。私たちが死を考えないことで死から逃げようとしても、「死」の問題は解決しません。神は、神に敵対して罪を犯し、霊的に死んだ者となり、肉体的にも死ぬべき者となり、死後には「第二の死」と呼ばれる永遠の滅びを受けるべき者となってしまった人類を顧みてくださり、救いの道を備えられました。それは、神の子イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちの身代わりとして十字架につけることで私たちの罪を精算し、この方を信じるすべての者に永遠の命を与えて下さることでした。あなたのために十字架上で死なれたイエス・キリストは、墓に葬られて三日目によみがえり、今も生きておられ、あなたの救い主になることを切に願っておられます。どうか、神のこの絶大な愛の招きを拒否することなく、イエス・キリストを信じて救われて下さい。どうぞ、神の恵みを無になさいませんように。
今日の一言: キリストだけが死に打ち勝つ唯一の道平安鶴田健次
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