霊的成長、霊的死、霊的貧しさなど、「霊的」という言葉はよく使われています。この霊的とはなんと説明すればよいのでしょうか。小学生に話すとなると、自分で普通に使っていたこの言葉が言い表せません。
気持ちは、よく分かります。普段使っていても、いざとなると説明できない言葉というのは、たくさんありますね。
いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、人間は目に見える部分と、目に見えない部分からできています。
目に見える部分を、「肉体」といいます。つまり、人間もまた自然界の一部だということです。しかし、もう1つの部分があります。それが、目に見えない部分で、これを「霊」といいます。
イエス・キリストがマタイの福音書4章4節で語られた、あの有名なことばを思い出してください。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイの福音書4:4)
これは、人間が霊的存在であるということを前提に、語られていることばですね。
2番目に、目に見えない部分を、霊と魂に二分する考え方があります。
しかし、霊と魂を現実に二分することは不可能です。ですから、私は人間の内面を「ひとつの統一体」として考える方が、聖書的だと思っています。そして、いわゆる「知・情・意」の考えも、そこに含まれています。
「霊的死」というのは、「創造主との関係が切れている」ということです。「霊的成長」というのは、「創造主の御心を理解し、それを行うことができる」ようになっていくことです。
3番目に、聖霊の働きを表現するために、「霊的」という言葉を使うことがあります。
例えば、「霊的賜物」という言葉がありますが、これは聖霊がくださる賜物、つまり「御霊の賜物」のことです。
ローマ人への手紙7章14節にこのようなことばがあります。
「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です」
この場合の、「律法が霊的なものである」とは、「律法が聖霊に与えられた」という意味です。
ですから、「霊的」といった場合は、「私たちの内面を指す場合」と「聖霊の働きを指す場合」と、2種類あるということです。
さあ、今日の結論はこれです。私たちは、肉体的命に関心を払っているのと同じぐらい、あるいはそれ以上に、霊的命にも関心を払う必要があるということです。イエス・キリストを通して、父なる神と和解すること。これこそ、霊的な命を得る方法です。
「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように」(コロサイ人への手紙1:9)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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