文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第11回 「使徒の働き」の解釈 (下)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

関野祐二
聖契神学校校長

 「使徒の働き」に描かれた初代教会の出来事が、「先例」「普遍的教え」として後代の教会(つまり私たち)の規範となり得るかどうか、原則を学びましょう。そもそもこのルカ文書は、現在も前進しつつある教会に「起こるべき標準」「行うべき規範」として機能するよう、意図されているのでしょうか。

●教理的叙述の三区分と二レベル

 まずは一般原則。聖書が私たちの行うべきことをはっきりと語っているのでないなら、ただ述べられたり描かれているだけの事柄は、行うべき規範や義務としては機能しません。

 一般に、聖書から引き出される教理的な叙述は、「キリスト者は何を『信じる』(believe)か」(キリスト教神学)、「キリスト者は神と人に対してどのように『生きる』(live)べきか」(キリスト教倫理)、「キリスト者は何を『行う』(do)か」(キリスト教的経験と行為)の三つに分けられます。加えて、各々のカテゴリーは「主要レベル」の叙述と「二次的レベル」のそれに区別できるでしょう。前者には聖書の明瞭な前提や命令から引き出される教理的叙述(聖書が教えようと「意図する」事柄)があり、後者には含みや先例によってただ付随的に引き出された叙述があるのです。たとえば、主イエスが神ご自身であるとは主要レベルですが、神であり人である二性の関係は二次的レベル。後者が重要でないという意味ではなく、主要レベルがきちんと保持されてこそ二次的レベルが意味と価値を持つということです。

●聖餐式、バプテスマ、礼拝は?

 ここで注意すべき重要な点は、キリスト者が先例として聖書から引き出すほとんどすべての事柄が、第三カテゴリー「キリスト教的経験と行為」の二次的レベルに属していること。たとえば、主の晩餐(聖餐式)が教会で継続的に実行されるべきであるとは、主イエスご自身がそれを命じ、「書簡」や「使徒の働き」も証言する主要レベルの行為ですが(使徒二・四六、二○・七、一一など)、聖餐式の頻度は拘束力を持たない二次的レベルの事柄ですし、聖書は直接には答えていません。バプテスマの必要性(主要)と様式(二次的)、キリスト者がいっしょに集まること(主要)と頻度/曜日(二次的)も然りです。

●聖書はどのように「教える」のか

 聖書の明瞭な叙述をもって私たちは「聖書は我々に~と教えている」と言いがちですが、神のみことばは聖書の意図において見いだされるべきとは、「釈義優先」という解釈学の大原則。特に「使徒の働き」のような歴史物語文には重要で、著者が文書全体の目的を踏まえ、どんな意図をもって記事を収録したか、その事実を超えて読者が教育的価値を出来事解釈に付加すると問題を生じます。

●ルカの意図と教会モデル

 それでは、神に霊感された著者ルカが「使徒の働き」を執筆した際、どのような意図を持っていたか再構成してみましょう。彼は主の教会が、エルサレムを本拠地にし、ユダヤ人信者のユダヤ教に方向付けられたセクトを起源としながら、いかにして異邦人主体の世界大の現象として出現したか、また聖霊が恵みのみに基づいて、この普遍的救いのみわざに対し、いかに直接的な責任を持っていたかを示そうとします。こうした、教会の前進運動を妨げるものは何もないとのモティーフは、読者である諸教会にひとつの普遍的モデルを示す意図があったと思われます。正典としての「使徒の働き」は、教会とは本来伝道的で喜びにあふれ、聖霊に力づけられた共同体として意図されている、と教えるのです。

●歴史の詳細は二次的レベル

 とはいえ、歴史物語文としての「使徒の働き」の詳細部分には、前述と同等の教訓的価値や役割は持たされていませんし、「同じようにすべき」と考えるまでもなく、ルカの意図からすればそれは二次的レベル、付随的事柄なのです。「使徒の働き」は、バプテスマが浸礼であるべきとも、幼児洗礼を受けるべきとも、回心はパウロのごとく劇的であるべしとも、異言を証拠とする聖霊のバプテスマを受けるべきとも、聖餐式を毎主日に執行すべきとも、明確には命じていません。

●先例を類比に用いる危険

 聖書の先例に基づいた類比を、今日の行為に聖書的権威を付与する目的で用いるのも要注意。たとえば、ギデオンが用いた羊毛のしるし(士師六・三六―四○)を今日も用いることはできませんし、主イエスがバプテスマを受けた際に聖霊が鳩のように降ったこと(マルコ一・一○)を、今日バプテスマを受ける時に聖霊を受けたり、救いに続いて起こる聖霊のバプテスマの証拠と見るのも不適当です。後者に関しては、主の生涯に起こった出来事ひとつひとつに今日的規範性があるとしたら、私たちは実際に十字架で死に、三日目に復活することを求められるでしょう!

 もしどうしても「使徒の働き」所収の先例を現在のある行為を正当化するため用いたいのなら、その原則が、教えるため意図された他の箇所でも教えられていることを確かめましょう。「使徒の働き」は教会を前進させる同じ聖霊の躍動感をもって読みたいですね。

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