”世界一強いお父さん”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は感動的な実話をご紹介します。それは‘世界一強いお父さん’の話です。有名な話なのでご存知の方もおられるかも知れません。彼の名前はディック・ホイト。生まれつき重度の障害を持ち、話すことも体を動かすことも出来ない息子の願いを叶えるために鉄人になった人です。彼は、障害を持つ息子リックを車椅子で押して、トライアスロン、フルマラソン、クロスカントリースキーなど数々のレースに出場し、世界中の人々に勇気を与え続けてきた人です。トライアスロンでは、ゴムボートに乗せた息子を引いて4kmを泳ぎ、ハンドルバーに息子を座らせ180kmを自転車で走り、最後に42.195kmを車椅子を押しながら走るのです。また、背中に息子を背負って山に登り、自転車でアメリカ大陸横断をやってのけるなど、愛する息子のためにどんな努力も犠牲も惜しまない父親なのです。この愛の物語は50年前、マサチューセッツ州ウィンチェスターで始まりました。出生時にへその緒が首に巻き付いていたリックは、脳に障害が残り、脳性小児麻痺と診断されます。そのために四肢を動かすことができなくなり、生後9ヶ月の時、担当医は「一生、植物人間の状態だから施設に入れなさい」とディックに勧めました。ディックと妻のジュディは、「自分たちが諦めてしまったら、この子に明日はない」と自分たちで育てる決心をします。ディックは息子を励まし、チャレンジしようと常に声をかけました。しかし、現実は厳しく、リックは声が出ず、物を掴むことも、歩くこともできず、耳が聞こえているかどうかも分かりませんでした。ある日のこと、部屋の中を移動する両親を目で追うリックを見て、彼にはちゃんと意志があり、耳も聞こえていることが分かり、希望の光がディックとジュディを照らします。やがてリックは、頭の動きで「YES」「NO」を伝えられるまでなりました。ディックとジュディは、ヘッドギアをつけた頭を上下左右に動かすことで文字を入力できる装置の開発をタフト大学で研究していると知り、これが完成すればリックとコミュニケーションが取れると思い、この研究に5000ドルを寄付し、完成を待ち望みました。そしてリックが11歳の時、試作品が完成します。リックは中学に編入し、この装置を使って毎日猛勉強することで他の生徒と同じレベルであることを学校側に認めさせることができました。学校ではクラスメートに支えられ、彼らと同じように学ぶことができましたが、その一方で、自分には何ができるのかを考えるようになります。そんな中、彼の人生を変える出来事が起こりました。地元の大学のラクロスの選手が交通事故で全身麻痺になったことで、その選手を応援するための8kmチャリティマラソンが開催されることになり、それを聞いたリックが言ったのです。 「父さん、僕もやりたい!」 車椅子を動かすこともできないリックがどうやって参加できるのか、ディックは悩みました。しかし、人のために何かをしたいという強い気持ちを持っているリックのために、ディックはリックを車椅子に乗せて走ることを決心しました。リックのために仕事を辞めたディックは、翌日からトレーニングを開始しました。今まで運動など、ほとんどしていなかった38歳のディックが、愛する息子のために肉体を鍛え始めたのです。そしてリックと共にチャリティマラソンに出場したディックは、リックを乗せた0kgの車椅子を押してひた走り、無事ゴールするのです。 「父さん」、息子がひまわりのような笑顔で言いました。「一緒に走っている時、僕、生まれて始めて自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」 その一言が、ディックの人生を変えます。ディックは、息子のひまわりのような笑顔に取り付かれ、「今度はフルマラソンに出よう。できるよね?」とチャレンジするリックの希望を叶えるために2年間かけて車椅子を改造し、毎週末に様々なレースに出場しました。そして、父のチャレンジする姿を見たリックも、努力の末、名門ボストン大学に入学するのです。その後、ディックとリック親子は、1984年のボストンマラソンの一般の部で2時間53分20秒という驚くべき記録で完走し、全米の人々に注目されるようになりました。しかしこれらは、まだまだディックとリック親子の奇跡の序章にしか過ぎませんでした。リックは自らの力でボストン大学を9年かけて卒業し、全身麻痺を抱えた学生として初めて学位を取得しました。ディックの体もますます進化を続け、アスリートとしての評価が高まり勲章が与えられました。さらには、水泳・自転車・マラソンの過酷なレース、トライアスロンの招待選手に選ばれたディックは、一度は出場を断るのですが、「僕トライアスロンに出たい。きっとできるよ!」というリックの言葉に励まされ、5年間、その準備に取りかかります。そして、1989年のハワイ島アイアンマン世界選手権にリックを連れて出場し、屈強な若者が単独でも完走が難しい世界一過酷なレースを14時間2分4秒で完走したのです。一人で走れば世界記録が出るかも知れないという周囲に、それはあり得ない、とディックは即答します。彼が走る理由はひとつ。共に走り、泳ぐ中で息子の、ひまわりのような笑顔が見たい。ただ、それだけなのです。 車椅子を押しながらのマラソンの自己ベストは1992年の2時間40分。正式なマラソンの世界記録から35分しか離れていません。もちろん、この世界記録は、車椅子の男性を押しながら走ったのではありません。「疑う余地も無く、僕の父さんは世界一強い父親だよ」とリックは言います。 年齢を感じさせない体で1042回(2011年現在、70歳)のレースに出場したディックは、親子の絆がある限り不可能なことはないと、今なおリックと共にレースに参加し続けています。一方、50歳(2011年現在)のリックは、ホームケアを受けながらもアパートで一人で暮らし、ボストン大学のコンピュータ研究所で障害者用補助器具の開発をして働いています。リックは、お父さんがいなければ一緒に走ることはできなかったと言い、ディックは、息子がいなければ走ることはなかったと言います。いわばディックが体でリックが心のような関係なのです。彼らはいつも一緒に走るのです。一緒というのは力があります。一人ではないからです。人生には誰にでも困難な時があります。諦めたいと思う時があり、希望を失いそうになる時が誰にでもあります。しかし、人生の旅路において忘れてはならないことは、あなたは決して一人ではないということです。もしあなたが本当に望むなら、天の父は困難の中で歩けなくなっているあなたを運んで下さるのです。今日の一言: 諦めなければ何でもできる平安鶴田健次ブログランキングに参加しています。クリックでのサポートお願いします!