7日早朝に始まった、パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスによるイスラエルへの大規模攻撃と、イスラエルによる報復は双方に甚大な被害を出し、近年なかったほどに緊張が高まっています。
キリスト教会の一部には、イスラエル国を無条件で支持する人々がいます。それはある種の聖書解釈に基づいて、1948年のイスラエル建国を聖書預言の成就と考えるところから来ていると思われます。今回のできごとに関しても、「イスラエルのために祈ろう」という声をネット上で何度も耳にしました。もちろん、悲惨な状況の中にあるイスラエルの人々のために祈ることはぜひとも必要なことですが、イスラエルだけのために祈るのではなく、イスラエル/パレスチナ問題の複雑な状況を見据えて、当該地域に根本的な平和が訪れるように祈っていく必要があります。また、教会がイスラエルだけを無条件に支持する(つまり神はつねにイスラエル国の側に立つと考える)ことがあるとするならば、その神学的根拠を問い直していくことは必要でしょう。
そのような複雑な状況の一側面として、パレスチナ人の中にもキリスト教徒がいるという事実に目を留めることも、こうした時には有益だと思います。彼らはその民族的・宗教的アイデンティティのゆえに様々な意味でマイノリティとして抑圧されています。
私はこれまでの人生の中で、そのようなパレスチナ人クリスチャンの方々と知り合う機会を与えられてきました。今回はその一人、ヨハンナ・カタナチョー師が7日に書いた記事を紹介します。(本人の許可を得て翻訳・転載します。元記事はこちら)。カタナチョー博士はナザレ福音主義大学の教務主任であり、私とトリニティー神学校の博士課程で共に学んだ友人でもあります。
私はパレスチナ人クリスチャンであるイスラエル市民であり、この視点から話しています。私たちは常にイスラエル・パレスチナの戦闘地域に住んでいます。この戦争には心理戦も含まれます。メディアは問題だけでなく他者の人間性のレベルをどう描くかにおいて重要な役割を果たしています。私たちは戦争の中で、非人間化、恐れ、心配、怒り、復讐、分断、非難、痛み、暴力、過激主義、不正な論理、そして恥を経験しています。
生活は停止し、死はあらゆる形で自由に動き回っています。社会は分断され、人々の悩みは日常の活動に向けられ、彼らは長期的な解決策を求めていません。こうした状況の中、私はイエスに従う者として、次のポイントで神の知恵を私自身や他の人々に思い起こさせたいと思います。
神の目にも、神の民の目にも、人間の生命は尊い。私たちの行動や感情によって、その背景や性別、政治的信条にかかわらず、すべての人間の生命を守ることの重要性が軽視されるようなことが決してあってはならない。私たちは勇気をもって平和の君に従うことを確信していますが、皆さんの祈りと連帯を切望しています。私たちはつらい日を迎えていますが、それも過ぎ去ることを願っています。その日が短いものであり、その夜が陰鬱なものでなくなりますように。私たちが希望と平和と信仰と愛のろうそくとなりますように。あなたの祈りの中で、イスラエル/パレスチナと並んで、イエスに従う人々を思い出してください。
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カタナチョー師の言葉は、このような緊迫した情勢の国から発せられたものとしては、驚くほど冷静でバランスの取れたものであると思います。安全な場所にいる部外者が同じことを語っても、それほど強い印象を与えないかもしれません。しかし、扇情的なプロパガンダが飛び交う軍事的緊張と衝突の最中にあって、しかも社会的マイノリティの立場にある人間が上記のように真摯にかつ冷静に平和を求めようとする声を上げることが、どれほど勇気を必要とするものか考えた時、私は深い感銘を受けました。それは彼が書いているような、敵を悪魔化し対立感情を掻き立てる「心理戦」に対する彼なりの抵抗なのだと思います。
イスラエル/パレスチナの地に平和が訪れる日が一日も早く来ることを祈ります。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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