夢をあきらめないで「アンパンマン」の親 やなせたかし
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
漫画家やなせたかし氏は「アンパンマン」の生みの親である。やなせ氏がアンパンマンを発表したのは今から40年前の1973年。それから現在に至るまで500冊以上の絵本を出版しています。また、やなせ氏は聖公会のクリスチャンとしても知られています。やなせ氏は1919年高知県に生まれましたが、しばらくして両親、弟の4人家族で東京に引っ越します。しかし、父親はやなせ氏が5歳の時に、単身赴任先の中国で37歳の若さで急死。父の亡き後、再婚した母は弟とやなせ氏を叔父に預け、去っていきます。そして、たった一人の弟もフィリピンで戦死。22歳でした。父と弟の死はその後のやなせ氏の人生に大きな影響を与えます。今でも「弟がやりたかった事は何だったのか。それを自分がやらなければならない」と考えておられます。また、父の夢は「絵を書くこと。詩を書くこと。雄弁を続ける事。そして、絵本を出す事」だったと言っておられます。父の夢を引き受け、1973年に月刊誌「詩とメルヘン」を創刊。この本は読者が投稿した詩や絵のみでできている本でした。しかし、一番やりたい漫画家としての仕事はなかなか大成できずにいましたが、そのような中で色々な人との出会いがあり、いずみたく氏と作った曲「手のひらを太陽に」が発表されました。また、199年には漫画「やさしいライオン」が話題になりました。その後、手塚おさむの「千夜一夜」でキャラクターづくりの仕事を任され、自分の中にある秀でるものに気がつきます。それが「アンパンマン」誕生へと繋がるのです。54歳の時にアンパンマンを世に出し、0歳を過ぎてから人気漫画家となりました。一作目のアンパンマンの内容は、砂漠で飢える人を見つけたアンパンマンがあんぱんである自らの顔を食べさせ、助けるという内容です。しかし、その当時の子供達は顔がちぎれたアンパンマンの絵にショックを受けました。また、話の内容も不評でした。しかし、徐々に2、3歳児の子供達の心をつかみ人気が高まったのです。初本「アンパンマン」の後書きにはこう書いてあります。「本当の正義とうのは、決してかっこうのいいものではないし、そして、その為には必ず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えません」やなせ氏がアンパンマンを通して伝えたかった事を一番理解し、受け入れたのが、2、3歳児だったという事です。しかし、子供は大きくなりますので、今年の赤ちゃんにも自分の作品を受け入れてもらえるかと言う緊張感がありますが、それがまた楽しいとやなせ氏は語っておられます。やなせ氏はアンパンマンの歌をいくつも作詞しておられますが、有名な「アンパンマンのマーチ」の中にこのようなフレーズがある。「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」やなせ氏は小さい頃からこういうことを考える必要があり、歌を覚えることで、自然と大事な事を考えるようになってほしいと願っておられます。また、意味のある人生を送って欲しいと願う心がこめられています。今年94歳にならえたやなせ氏は「どんな時にもあきらめず、好きな事を追い求めれば、必ず夢はかなう。決してあきらめてはいけない。」と言っておられます。アンパンマンを通して子供達に与えられた愛、夢、希望、勇気を子供達が自分の人生に築き上げていける事を願います。(LVJCCブログ制作チーム:薫)ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。