アメリカを感動させた昭和天皇の言葉
昭和20年11月、天皇陛下とマッカーサーの会談から二ヶ月後、アメリカ政府は昭和天皇の戦争責任を追及するようマッカーサーに要請してきました。しかし、マッカーサーはアメリカ政府の要請を突っぱねます。その後、何度もアメリカ政府は天皇を処刑すべきだと主張してきましたが、マッカーサーはこう言って、天皇の命を守りました。
「天皇陛下を戦犯として告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされ、その結果もたらされる混乱を鎮めるのは不可能であり、もし天皇を葬れば、日本は国家として分解してしまうであろう。」
マッカーサーは誰よりも気づいていたのです。天皇陛下が日本には絶対に必要な存在であるということを。
それから30年が過ぎた昭和50年9月、天皇陛下は戦後初めてアメリカを公式訪問しました。しかし、この当時、日本の天皇に対するアメリカの国民感情は決して良好とは言えず、冷ややかなものでした。ところが、陛下がこの訪米中に語られた、ある「ひと言」が、アメリカ国民の態度を一変させることになります。
―― 天皇陛下の言葉にアメリカが泣いた ――
天皇陛下が訪米した時、日本とアメリカが戦ったあの戦争から30年が経っていましたが、アメリカ国民は真珠湾のことを忘れてはいませんでした。そして、天皇への戦争責任を問う声は非常に大きいものでした。なので、陛下が訪米する数日前になっても、アメリカでは決して歓迎ムードではありませんでした。そんな厳しい世論の中、天皇陛下はホワイトハウスでのフォード大統領夫妻が主催する晩餐会で次のようなスピーチをしました。
「私は、長年、アメリカ訪問を念願としていました。そして、もしその願いが叶えられた時は、このことをぜひアメリカの人達にお伝えしたいと思っていました。・・と申しますのは、私が深く悲しみとするあの不幸な大戦の直後、貴国は、どん底であった我が国の再建のために温かい好意と援助の手を差し伸べてくれました。そのことに対し、あなた方アメリカ国民に直接感謝の言葉を述べることが私の願いでした。当時の事を知らない・・新しい世代が、今日・・日米それぞれの社会において過半数を占めようとしています。しかし、たとえ今後、時代が移り変わろうとも、このアメリカ国民の寛容と善意は、日本国民の間に長く語り継がれていくものと信じています。」
陛下のこの意外すぎる「言葉」に対して、会場からは大きな拍手が巻き起こり、晩餐会は予定の時間を大幅にオーバーして深夜にまで及びました。かつての敵国の元首が、初のアメリカ訪問でいったい何を語るのか・・、その注目の中で述べられた陛下の言葉は、意外にもアメリカ国民へ向けた心からの感謝の気持ちだったのです。
―― 陛下は・・ いったい何に?感謝していたのか ――
敗戦後の日本が直面した大きな問題は、なんと言っても食糧難でした。昭和20年の米の収穫高は平年の6割という、明治38年以来の不作でした。国民のこの窮状を心配した陛下は、飢餓によって多くの者が命を落とす現実だけは何があっても避けなければならないと考えていました。
「皇室の御物である絵画、書籍、刀剣の中には国際的価値のあるものが多数あると聞いている。これを代償としてアメリカに渡し、食糧に変えて、国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい。」
陛下はこのように言って、侍従に皇室御物の目録を作らせました。この時、陛下は天皇家の私財であり、先祖代々受け継いできた国宝であり、相当な価値のあるものを手放そうとしていたのです。
しかし、陛下のこの気持ちを耳にしたマッカーサーは、御物を取り上げて、その代償として食料を提供するなど、自分とアメリカの面目にかけても、それだけは絶対にできない・・と言って、御物を求めるどころか、本国に半ば強引に食糧の緊急援助を要請し、無償で日本に食料を提供し続けました。そのおかげで日本の食料危機は大幅に緩和されることになったのです。
―― 反米運動 ――
天皇が訪米をした昭和50年当時、アメリアは国際政治や外交に自信を無くしていました。さらに、この時アメリカはベトナム戦争で泥沼に陥る経験をした直後でもあり、アメリカ国内は暗い雰囲気に包まれていました。そんな中、先の大戦で敵として戦った日本の天皇がアメリカを訪問し、アメリカが今までにしてきた日本への援助に対して感謝の気持ちを表明し、しかも日本国民の間にも、このアメリカへの感謝の気持ちは長く語り継がれていると言ったのです。
恩を恩と感じ、それをいつまでも忘れない。また、そのことを素直に感じ、長年にわたって感謝し続けることはなかなかできることではありません。ましてや戦争をしていた相手の国にです。普通であれば、心の中で様々な葛藤があることは想像できますが、しかし、そのような素振りを少しも見せずに、心から感謝の気持ちを述べられた天皇の姿は多くのアメリカ人に感動と喜びを与えました。
それ以降、天皇陛下の訪米に否定的だったアメリカのマスコミ報道も好意的になりました。当時のニューヨークタイムズの社説の中で、「30年前の仇敵は、今日、友情を確認し合い、政治上・経済上のパートナーとなった」・・と評しました。そして、「戦争という悲惨な過去をも超越した陛下の心がアメリカを包んだ」・・と全米に報道されました。
占領期の約6年間で日本がアメリカから受けた経済援助の総額は当時のお金で18億ドル以上と言われ、現在の価値に換算すれば10兆円相当です。この援助がなければ日本の復興は考えられなかったと言われています。
この話を聞いて、それぞれに思うことがあるでしょう。アメリカとの戦争も、正しく言えば、追い込まれ、仕掛けられたものです。東京の大空襲、広島や長崎のこと、沖縄のこと、東京裁判のことなど、あげればきりがありません。しかし、アメリカという目標があったからこそ、日本は必死に頑張り、再び立ち上がることができたのもまた事実です。
そして、現在のアメリカと日本の関係にしても、思うことはいろいろあります。だからこそ、過去の事実を正しく知ることは非常に大事です。そのうえで、自分がどう思うか、どう感じるか、どう行動するかは自由であってよいと思います。
今日の一言:ただ感謝を忘れないようにしよう
鶴田健次
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